隔たりを取り除き、一体となる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年2月15日】法難に直面する中、多くの同修がそれぞれの視点から意見や認識を述べており、私もその交流を通じて多くのことを学びました。ここで、私自身の浅い理解ではありますが、少しお話ししたいと思います。現在、邪悪がこれほどの攻撃を師父や大法に対して行えるのは、深い次元の要因があるにせよ、大法弟子である私たちが一体となること、つまり「固い団結」が築けていないことも一因だと感じています。

 師父は説法の中で、この問題について何度も説かれました。たとえば、同修同士がお互いを認めず、反発し、干渉されるのを嫌がります。そして、他人から指摘されるのを拒み、常に外に目を向け、責任者ばかりを気にし、時には足を引っ張ることさえあるのです。説法のたびに、師父は何度もこの点を指摘してくださっています。これほどまでに深刻な問題なのです。考えてみてください。こうした感情のままで、どうやって一体となることができるのでしょうか? どうすれば、より効果的に邪悪を消滅させることができるのでしょうか?

 師父は、このように説かれています。「仕事を指示されたら、それをやりたがらず、自分のやりたいことしかやらない人がおり、それぞれ自己中心的に動き、それではいけません。まさにこのこぶしを突き出すように、五本の指は固く握って初めて威力が発揮できます。(こぶしを握るしぐさをする) 各指がそれぞれ自分のやりたいことをやっていれば(五本の指を広げ、各指を示して)、力が入らず、威力が発揮できません。そうではありませんか? 皆さんは企画を立て、段取りをすべきであり、しっかり協調し、互いに良く協力しあうべきです」(『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」)

 この問題は海外だけのものではありません。中国でも同じような状況があるはずです。私の見る限り、中国人がいる場所では、こうした「嫉妬心」による問題がより顕著になる傾向があります。

 他の地域については分かりませんので、私が住む地域のことについてお話しします。

 私の住む地域には、現在40〜50人ほどの大法弟子がいます。この地では、同修たちが長年にわたり法輪功への迫害の真実(真相)を伝え、人々を救うことに励んできました。特に、一部の同修は、市場や人々が集まる場所へ日々赴き、ほぼ毎日、直接人々に真相を伝えています。その結果、私たちの地域では、どの町や村に行っても、大法の真相を知らない人はいません。

 しかし、これほど努力しているにもかかわらず、同修たちは本当の意味で「一体」になれていません。それどころか、一部の同修に見られますが、お互いを見下したり、嫉妬したりする心があり、さらには派閥を作り、私情でグループを維持し、自らの権威を築こうとし、他の同修を排除し、孤立させることすらあります。衆生を救うという神聖な行為においてさえ、争いや対立が生じることがあります。ある同修が複数の同修から排斥され、孤立させられたこともありました。そのような出来事が何度も起こり、多くの同修が深く傷ついてきました。このような人間的な感情や対立は、長年にわたり私たちの地域に存在しています。

 また、一部の同修は、このような「争い」の中で自分を守るために沈黙を貫き、波風を立てないようにします。それ以外にも、ずる賢さや噂話、口を慎まないなど、人間の世界で見ても良くない心が残っています。さらに、一部の同修は、ある事柄で良い成果を出すと、自分がすばらしいと錯覚し、無意識のうちに傲慢になってしまいます。そして、周囲の同修がそれを持ち上げると、次第に心に魔が生じ、結果として迫害されて命を落とした同修もいました。

 もちろん、長年の修煉を通じて、私たちは師父の説法の中で向上してきました。しかし、それでもなお、多くの頑固な人心や、根深い「利己心」、あるいは性格的な要因に気づかずにいます。

 こうした問題が、どれほどの損失をもたらしてきたでしょうか? 私たちの地域では、ほぼ毎年、大法弟子が迫害によって命を落としています。昨年も、2人の同修が亡くなりました。ここ数年、同修が連行される事件が頻発しています。2年前には、2人の大法弟子が連行され、15日間拘留された後に釈放されました。そして、昨年6月には、6人の同修が連行され、今もなお解放されていません。

 迫害が起こるたびに、同修たちは積極的に救援活動を行い、発正念をし、手紙を書き、関係者に真相を伝えるなど、必要なことをすべて行ってきました。しかし、同修を事前に救い出すことはできていません。同修が迫害されるのは、個人の問題に邪悪がつけ込んだからという側面もありますが、大勢の同修が協力して救援しているのに、なぜ救えないのでしょうか? それは、私たちが本当の意味で「一体」となっておらず、「あなたの問題は私の問題」として、無私の心で助け合えていないからではないでしょうか? これでは「揺るぎない団結」には、ほど遠いのではないでしょうか?

 このように考えている私自身もまた、その一部なのです。自分自身を省みると、同修に対して偏見を持っていたことに気づきました。私は、同修の短所ばかりを見て、長所を見ていませんでした。他の人から「○○さんはこういう人だ」と聞くうちに、私の中で固定観念が生まれ、「あの人はこういう人」「この人は自己中心的」「あの人は利己的」と、偏った見方をしていたのです。このような考え方こそが、私たちの間に隔たりを作り、団結を妨げていたのです。

 最近、久しぶりにある同修に会った時、「私はこの同修に対しても固定観念を持っていたのではないか?」と気づきました。そこで私は、発正念をして、この考えを解体しました。その瞬間、エネルギーが強く流れるのを感じました。そうしたネガティブな思考は、本当の自分ではなく、後天的に形成された負の物質であり、妨害なのです。

 隔たりを取り除き、同修同士のすべての先入観や固定観念をなくすべきです。私たちは「ともにこの世に来た」同修であり、悪を根絶するために共に戦う仲間です。今こそ、互いに心を開き、無私で向き合い、家族以上の絆を築くべきです。

 今、師父は巨大な苦難に耐えて時間を延ばしてくださっています。その恩に報いるためにも、私たちは一刻も早く修煉を成し遂げ、一体となり、邪悪を解体し、世人を救うのです!

 【修煉者同士の理性的な交流は、一般的に、その修煉者がその時点で修煉を通して得た認識に基づいたものであり、善意を持って交流し、互いに向上することを目指すものです。】

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/8/490463.html
 
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