文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年2月5日】私はすでに50代です。常人でしたら、目は早くから老眼になったはずですが、大法を修めているので、視力はずっといい状態でした。
ある日、突然、目がかすんでよく見えないと感じました。これはどうしたのでしょう? そこで、師父の説法を思い浮かべると、師父は天目の問題について語る際に、次のように説かれていました。
「人がものを見る時、目に直接画像ができるわけではなく、目はカメラのレンズのように、道具の働きをしているに過ぎません」 [1]
もしかして、レンズ(眼球)が他の空間で汚れてしまったのではないのかと思いました。そこで、私は分子の層の空間に行き、自分の功でそこら中をきれいにしました。きれいにしたところ、目の調子がよくなったような気がしました。
しかし、数日後、またよく見えなくなりました。これはどうしたのだろう? また目に何か悪いものが入ったのだろうか? 私はもう一度、眼球をきれいにしました。すると、また随分よくなったような気がしました。
数日後、また目が見えなくなり、私は師父の説法を思い出しました。「遠いところを見る時、レンズが伸びるように、目もその働きを持っています」 [1]もしかして、目のオートフォーカスに何か問題があったのでしょうか? 私は焦点距離を自動的に調整することを邪魔する生命を取り除きました。
さらに数日後、目は再び見えなくなり、私は天目に関する師父の説法を思い出しました。
師父は次のように説かれました。「暗いところに入ると瞳孔が開くように、カメラも暗いところで撮影する時、絞りを大きくする必要があり、さもないと、露出不足で真黒になります。反対に、外の明るいところに出ると、瞳孔が急に収縮します。そうでなければ、眩しくて見えません」 [1]
私は誰かが私の瞳孔をいじったんじゃないかと思いました。そして、瞳孔に影響を与えている悪い生命や要素を取り除いたら、目が再びはっきり見えるようになりました。
こうして、目はとても長い間大丈夫でした。ある日、また見えづらくなりました。私は天目の構造上、他にどんなところが邪悪に邪魔されるのだろうかと、改めて考えてみました。そして私はまた、師父の説法を思い出しました。「実際われわれがものを見る時、人や物体の存在の形は人間の脳に画像としてできるのです。つまり、目で見たものは、視神経を通って大脳の後部にある松果体に伝導され、そこで画像になるのです」
私はまた他の空間に行き、視神経と松果体にある悪い生命や要素を取り除きました。そうしたら、また目がはっきり見えるようになりました。
数カ月後、再び見づらくなりました。今回は本当にどういうことなのかがわからなくなりました。長い間その原因が見つかりませんでした。
ある日、同修が不用意に印刷を間違ってしまい、印刷した資料の色が薄かったのです。同修がもう一度印刷し直したところ、うまくいったものもあれば、二重像になってしまったものもありました。私がそれを見ていると、さらに目がかすんできました。私はふと、二重像も目がかすむ原因になるんだ、と気づきました。どうしたら目に二重像が見えるのでしょうか? 私は師父の次の説法を思い出しました。「皆さんがご存じのように、映画のフィルムが一秒間に二十四コマで動くと映像をスムーズに見られますが、二十四コマより少ないと、画面が跳ねて動くように見えます」 [1]
もしかしたら、私が見ている映像は、ある生命が二回スナップショットをして二重像にしたものが、松果体に反映され、目がものを見る時にぼやけたように見えているのではないかと思いました。そして、私は天目の二十四のマスのところに行って片付けをしたら、確かに目が澄んで、またはっきり見えるようになり、老眼鏡をかける必要もないほど、今でもずっとはっきりと見えています。
この老眼仮相を解決する過程の中で、私は常に法理に基づいて認識し続け、法理に基づいて法に対する認識を高め続けました。もし、問題に遭遇したときに、法理に基づいて法を認識することができなければ、私たちは間違いなく旧勢力によって手配された道をたどっていることになり、仮相が現実となる可能性があるのです。もし法理に基づいて法を認識することができれば、今度は逆にその問題を以って法を実証し、旧勢力の按配を否定し、神へと向かうことになります。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』