文/台湾の大法弟子
【明慧日本2024年5月28日】師父は 『大法弟子とは何か』のなかで「トラブルに遭ったら、自分が間違ったかどうかに関わらず、このことに関して私に間違ったところがあるのか、本当に自分が間違ったのではないかと自らを考え、皆このように考え、最初の念は自らを考え、問題を考えているのです。このようにしない人は本当の大法修煉者ではありません。これは修煉上の最も有効な手段であり、大法弟子が修煉する際の特徴です。いかなることに遭っても、最初の念はまず自分を考え、これはすなわち『内に向けて探す』」ということです」と説かれました。
実は、自分の執着心がまだ見つかっていなくても、「内に向けて探したい」という一念があるだけでも、とても有難いと思います。なぜなら、その一念が生じたのは、私心のためでなく、相手を傷つけたかどうかを考えることができたからです。次に、修煉の中で、執着心を放下し内に向けて探す体験を同修と分かち合いたいと思います。
1、文句を言わず、善良さを保つ
香港のパレードに参加したことのある人なら知っていますが、男性はほとんど大きい旗や横断幕を挙げるポジションに配置されます。大きい旗は高さも重さもあるので、挙げるのに3人が必要で、風が強い時は大変です。大きい横断幕も左、中央、右と3人が必要で、行進の時、スムーズに前へ進むためには、3人の歩調も一致しなければなりません。
ある日のパレードで、私は大型横断幕の左側の位置に配置されて、1時間以上待機してようやく出発しました。行進中に、中央にいた同修のAさんは、ずっと右側にいたBさんに「皆のペースに合わせて、早足にならないように」と指示を出し続けていました。私からすると、Bさんが早足だと思わなかったのですが、Aさんはずっと大きい声で言い続けました。さすがにBさんは心性が高く、Aさんの指摘を気にせず黙って歩いていました。
行進中にAさんはずっと「皆さん歩調をそろえてくださいね」と注意していたので、私は少しイライラして、「真ん中の位置は最も楽な場所だよ。着力点は左と右にあり、私たちは全身の力を出して風や重力と戦って棒を真っ直ぐになるように引っ張っているが、真ん中の位置はただ棒を上向きの方向に持つだけだ。どうしてずっとぶつぶつ注意するのか」と思い、「Aさんは心性に問題がある、変な人だ」と不満に思いました。
行列は中間地点で休憩に入った時、Aさんは突然、説明もなく立ち去りました(トイレに行ったのでしょう)。行列が再開してもAさんは戻ってこないので、私とBさんは2人で大きい横断幕を持って前進しました。道端で中国から来た中年女性の3人組が私に「真ん中の人は? 死んじゃったのか」と言いました。びっくりしました。パレード中の私たちの一挙手一投足がずっと常人に見られて観察されている、きちんとやらなければ悪い影響が出るとあらためて分かり、「パレード中に大声を出しまくり、説明も告げずに去っていく、これが大法修煉者の流儀なのか!」と心の中でAさんに不満が生じました。後ほど行列に戻ってきたら、必ず彼を睨みつけてやろうと思いました。
行列が進むにつれ、自分の不満だらけの考え方が間違っていると思うようになりました。Aさんが「口うるさい」のは、足のペースをそろえるようにという注意であり、私への試練でもありました。疲れて汗をかいて、のどが渇いている状態で外部からの注意に耐えられるか、平常心を保てるかどうか……Aさんが突然いなくなったのも、体調が悪くてトイレに行ったのでしょう。この時、私がやらないといけないのは、心のキャパを大きくして、横断幕をしっかり挙げることです。人心を見つけた後、Aさんが列に戻った時に文句を言ったり睨んだりしないように自分に言い聞かせました。
その後、Aさんが列に戻ってきましたが、私は睨んだり話しかけたりせず、静かに発正念をしながら前へ進みました。奇妙なことに、Aさんは戻ってきてからずっと静かに歩いていました。
パレードが終点に到着すると、両側の歩道は中国からの観光客に埋め尽くされて、みな驚いた目で行列を見ていました。私は同修たちと一緒に大法を実証するための偉大な旅を終えました。師父が『長春法輪大法輔導員のための説法』に「実は一つの問題をしっかり把握して、つまり心性から探せば、どんな問題でも解決できます」と説かれたた通りです。
2、水漏れの時に、内に向けて探す
私と妻は築数十年の古いマンションの5階に住んでいます。ある日、下の階の住人が呼び鈴を鳴らして、我が家の寝室のトイレから彼の寝室まで水漏れしている、早く修理してと訴えました。その時の「水漏れ」を聞いて、まず修煉に漏れがあるのではないかと考えましたが、住人にせがまれて、内に向けて深く探すことができなかったので、とりあえず寝室のトイレを使用しないことにしました。
しかし、水漏れは続いていました。私は母の知っている水道工に電話をかけて、我が家に来て水漏れのところの検査を頼みましたが、電話の中で彼は来たがらないように感じました。彼はただ電話の中で私に水漏れの場所を突き止める方法を教えました。給湯器の中の配管から検査して、熱湯の配管は何周回っているか、冷水の配管は何周回っているか、出口から出ているのは熱湯か冷水かを見る、とのことです。聞いてもさっぱり分かりませんし、これは水漏れをチェックする方法でもなさそうです。電話で、再三に彼に来てみてほしいと頼んだのですが、彼はやはり来たがらないようなのです。金を稼げる仕事なのに、なぜ来たがらないのかと不思議に思って、彼と母との友情を盾に取って説得しようとしてもうまくいきませんでした。そんなやりとりしている中でも、私はやはり内に向けてよく探していませんでした。
水漏れは非常に厄介で、場合によっては壁の取り壊しまでしかねません。常人の修理方法を取ると、時間と金がかかってしまいます。しかし、修煉上で「修理方法」を取りたいなら、内に向かって探して、心の中から漏れているところを見つけ出すべきです。
私と妻は落ち着いて話をしました。明慧ネットに「心を直してから機械を直す」という文章があったことを覚えています。最近、朝の煉功に起きられないことはないか、学法、発正念、真相を伝えることを怠っていないかを、まず内に向かって探してみました。
交流の後、まず修煉において精進しようと決めました。もし水漏れが改善されないようでしたら、水道屋に対応してもらいます。
それからは、水道屋に電話をしていません。夜、仕事から帰ってきて玄関のドアを見ると、隣人がまた呼び鈴を鳴らすのではないかと少し不安になることもありましたが、数日経って隣人が呼び鈴を鳴らしたことがなく、私たちも寝室のトイレを使い始めました。そして数日間、地方に出張して、帰ってきてからも、隣人から水漏れについて連絡してくることが有りません。水漏れの騒ぎはこのように収まりました。