文/海外の大法弟子
【明慧日本2022年9月3日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
以前、交流会である同修が「同修の皆さんが散らばっている一粒一粒の真珠であれば、協調人はその真珠をネックレスにつなぐ糸になる」という言葉を聞いたことがありました。当時、私はこの言葉にとても感銘を受けました。今この言葉を考えると、それは真珠の美しさを最大限に表現するために透明で、目立たない、しかも非常に丈夫な糸が欠かせません。しかし、そのような糸になることは容易ではありません。私にとって、その真珠に喩えるのは同修だけではなく、インタビュー対象者も含まれています。
インタビュー対象者と読者をつなぐ存在になる
17年前、明慧ネットのためにレポートを書くことになると分かり、とても光栄であると感じました。そのことは今でも覚えています。当初、編集長は「地域の出来事は報道されなければ、その影響は地域内にしかとどまりません。しかし、明慧ネットで報道されれば、より多くの人が知ることができます。特に、明慧の定期刊行物に掲載されることになれば、その影響力は計り知れないものになるでしょう。多くの中国国内の大法弟子たちが配布するからです」と言いました。
これで、明慧記者の責任について少し理解し、少なくともイベントを確実に報道する必要があることが分かりました。最初は、イベント終了後に参加した大法学習者に、どんな特別な経験や交流があったかを尋ねました。しかし、通行人に直接インタビューした方が、より正確な答えが得られることが後で分かりました。
不思議なもので、もともと内向的で人と接することに消極的だった私が、インタビューをする時にはもっと勇気が出てきて、時間が経つにつれ、相手に断られても気にせず、次第に聞く質問が増えて、ますます冷静になりました。最初は、インタビューの録音を聞いて「なぜここで質問のフォローをしなかったのか?」と後悔することも多かったのですが、語学力の向上につれ、うまくできるようになりました。
しかし、惰性が強く、正念が欠けていると、気が抜けてしまうことがよくあります。「まあ、今日は十分な取材が成文化(文章化すること)しないと思うので、また今度一緒に書きましょう」と思っていても、次回になると、また同じような考えになります。何度かイベントの後、十分な情報があったにもかかわらず、結局先延ばしにしてしまい、レポートを完成しませんでした。 同修たちは一生懸命努力したのに、私のせいで効果が薄れてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
その後、私たちはインタビュー対象者と国内の読者をつなぐ役割を果たすことができると分かりました。レポーターとして、読者の視点からイベントを見て、読者の耳で聞き、読者に代わって知りたいことを質問するべきだと考えるようになりました。
インタビューを受けるた通行人は、偶然に見えるかもしれませんが、このタイミングでインタビューに応じ、意見を述べることで、大法を支持するという誓いを立てたかもしれません。この機会を逃すと、誓いを果たせなくなることになるでしょう。
記事を書くにあたって、私は改めてインタビュー対象者の代弁者となり、大法への支持と迫害への非難を読者が受け入れられる形で表現し、読者、特に中国共産党(以下、中共)に洗脳された読者に、世界中の人々がこの迫害をどのように見ているかを見てもらい、彼らの視野を広げて、中共の噓偽りの宣伝に毒されないことを願います。
レポートを書くことは、地域のイベントの影響力を広めるだけでなく、取材対象者の声を届けることでもあります。もちろん、修煉における話題も同様です。頭を冷静に保っている時には、師父が取材対象者を私のところに連れて来てくださり、私を励ましてくださっているのをはっきり感じることができます。
何度も挫けそうになった時、気力を取り戻して最後まで頑張ろうと自分に言い聞かせたり、内に向けて自分を探しました。その後、署名に来る人や、インタビューに応じてくれる人が現れます。イベントの最後の1時間に、十分な素材が手に入ることもよくありました。
ある時、同時に2つの都市で活動があり、電車で1時間かかりました。最初のところでは、特に満足な取材ができませんでした。不安な気持ちで次のイベントに駆けつけると、すぐに期待していたインタビュー対象者に出会いました。彼が言ったことは、まさに私たちが大法の真実を伝える内容で、しかも包括的で、とても素晴らしいインタビューでした。師父のご加持であると分かりました。
またある時、パレードに遅れて終わるころに到着し、悔しくて仕方がありませんでした。それでも諦めず、通りすがりの人に声をかけたところ、インタビューに応じてくれました。それがその日一番の見事な取材でした。
最近のパレードで、私は歩きながら取材をするため、何度も遅れを取りました。焦る心を捨て、自然に任せて落ち着いて取材を続けていると、次々と積極的にインタビューに応じてくれました。励みを感じながら取材を終えると、パレードの隊列が私に向かってくることに気づき、その時とても嬉しく感じました。
しかしその後、歓喜心が生じ、再び「迷子」になってしまい、パレードの終了後にやっと合流することができました。もっと冷静で、謙遜な態度を保つことができれば、より多くて素晴らしい取材ができたのではないかと反省しました。最も重要なことは、より多くの人が自分たちの「役割」を果たすことができるようにすることです。
内に向けて探し、意外な収穫を得た
しばらくの間、家庭の事情で取材班には出ていませんでしたが、せめて現地取材だけはしなければならないと思っていました。 当時はフィードバックをもらえず苦労することも多かったのですが、師父の指導と励ましの下で、何度も経験するうちに、取材が上達し、自信が持てるようになりました。
ある時、言葉の通じない国へ行って取材することになり、週末の2日間というだけで、具体的な取り決めもありませんでした。土曜日に地元の同修が私を連れてグループ学法に参加しました。終了後、人がいなくなる前に、私は中国出身の同修たちに「私を中国からの観光客と見なして、自身の物語を通して大法の真実を伝えることはできますか?」と、誰かインタビューをしたい人はいないかと聞いてみました。しかし、彼らはみな私に「佛学会に連絡してください。私たちは佛学会からの指示だけを受けます」と言いました。私は諦めることしかできませんでした。結局、私の隣にいた2人の西洋人同修だけがインタビューに応じてくれましたが、そのうちの一人はほとんど英語が話せず、通訳してくれる人もいませんでした。
このままでは今回の旅が無駄になるのではないかと思い、とても不安な気持ちでいっぱいでした。「こんな些細なことも自分で決められないのか?」と中国人同修に不満がありました。しかし、すぐに「これだけ多くの人が取材を受けたがらないということは、私に何か問題があるのではないか?」と気づき、内に向けて自分を探し始めました。
するとドアが開かれ、見た目の爽やかな西洋の女性同修が入ってきました。会話の中で、彼女はプロのメディアの人で、イギリスに何十年も住んだことがあり、今は別な町に住んでいて、たまたま今週末に用事があってここに来ていたのでした。インタビューだけではなく、通訳も引き受けてくれたのです。こうしてすべての問題が解決されました。
午後のインタビューで、私は最初の質問をしたところ、彼女はすぐに「なぜ、最初に自己紹介を求めませんか?」と問い返しました。私が忘れたと思っていたかもしれませんが、実は、今までこれは失礼になると思っていました。
翌日の集団煉功の後、彼女は私が2時間近く写真を撮っていたのを見て、パノラマ写真とクローズアップ写真の両方を撮ったのかどうかを尋ねました。インタビューや通訳を助けてくれるだけでなく、プロの技も教えてくれるこの同修は、師父の按排で私を助けに来てくれたのだとすぐに分かりました。
この週末の収穫はとても多かったのです。修煉にまつわる素敵なエピソードを拾っただけではなく、勉強にもなりました。最も重要なことは、内に向けて探す力と師父のご加持を確実に感じました。
もう1つの出来事は、同じく言葉が通じない国で開かれる大規模な法会前のイベントでした。当時、私は同じ班のよく知っている同修が取材しているのを見て、自分も参加したいと思っていました。 ちょうどその時、記者を担当する同修から通訳を頼まれたので、自分がすべきことだと思い、すぐに応じました。協力している間、同修は強い正念を持っていると感じました。「これこそ、私に欠けているもので補うべきものだ」と自分に言い聞かせました。
その後、同修は私に、ある小柄であまり目立たない女性をインタビューするようにと提案しました。私がその女性にインタビューをお願いすると快く引き受けてくれました。 しかし、現地の同修はその後、彼女をイベント会場の前まで案内し、カメラを設置しました。 その時、彼女が国会議員であることが分かりました。私が最初に取材を申し込んだので、他のマスコミの記者はなかなか求めにくくなり、結局、私がメインで大勢の前でインタビューをすることになりました。もう緊張したり、逃げ出したりする時間はありません。「明慧ネットが取材した内容は、他のメディアも使用できるが、他のメディアが質問した問題は、明慧が使用できるとは限らない」と思い、明慧ネットの角度から質問し、インタビューを行いました。
インタビューの時間はあまり長くありませんでしたが、その過程で自然に質問することができました。これは師父が私に与えてくださった特別な機会だと感謝し、自信を持って取材ができるようになりました。
師父の絶え間ないご加護に感謝し、同修たちの寛容と信頼に心から感謝しています。一日も早く多くの執着心を捨てて、本当に師父が望まれることをしたいと思います。
師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!
(明慧ネット海外報道及び明慧の窓内部法会発表原稿)