【明慧法会】法の中に溶け込み初心に返る
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2021年7月19日】

 尊敬する師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 20歳の時、病弱の母が法輪大法を修煉してから別人のように健康になったのを見て、私も修煉を始めました。母はかつて、道路を渡るのもよろよろした足取りで、ベッドから起き上がることさえも私たちが順番に母を介助して、やっとベッドから降りていました。母は修煉するようになって、声がよく響き、精神状態が10代前半から20代に見える行動的な母親に変わったのを見て、私は20歳のとき修煉を始めました。

 私が修煉を始めたばかりの時、台湾で法輪功を広める方法は資料の配布、署名活動、集団煉功が中心であり、当時まだ大学生だった私は、毎日数百部の資料をもって大学に通い、持ち上げられない時はパンフレットを入れたバスケットを引いて学校周辺の住宅地まで行き、1軒1軒資料を届けました。その後、大紀元が設立を開始し宣伝し始めた後、私は積極的に台湾の庶民や民間の中小企業を訪問して取材を始め、企業家たちが奮闘して創業した物語をコラムに書き、大紀元の内容を豊かにしました。

 しばらくして、明慧ネットの報道とライティングに参加するように同修が私に言いましたが、新唐人、大紀元、RTCなどのプロジェクトにも次々と参加していたため、心の奥では結局自分を明慧ネットのメンバーとみなさず、会議にもほとんど参加しませんでした。しかし、このような意識であっても、明慧ネットは私が初めから終わりまで離れたことのないプロジェクトで、明慧ネット上の文章を師父がすべて読んでおられることを信じていたので、自分の目で師父にお目にかかったことのない状況下で、このような信念がずっと私を支え、私は明慧から離れたことはありませんでした。

 一、取材の過程で人心を取り除く

 2018年、師父はワシントンD.C.での説法の中で、はじめて明慧に大きな評価を与えてくださいました。この説法が発表された後、師父が説かれたのは明慧ネットの中で昼夜にわたって頑張っているのはあの同修たちであり、私のように大法の活動にぶつかってから誰かの紹介があったら初めて取材しに行くような弟子ではないと思いました。しかし、師父のこの説法について私は絶えず考えていました。私は「もし師父が明慧ネットをご覧にならなかったら、私は書かないのか? 師父が説かれた明慧ネットの同修の中に、自分は含まれていないのだろうか?」と自問しました。

 そこで、私は「私は師父の弟子であり、明慧ネットのメンバーで、師父の説法は私の修煉の不足を明確に指摘され、私が一層積極的になり、人を救う上でさらに大きな役割を果たすように勇気づけてくださっているのだ」と自分に言い聞かせました。そこで、電話をかけて同修と会う約束を始め、私は明慧記者であり同修たちの修煉の話を取材したいと思うので、台湾のさまざまな業種の修煉者が、法輪大法を修煉することで健康な体と健全な精神がもたらされ、さらに家庭と社会に対して献身的な奉仕をしていることを世界中の人々に知ってほしい、ということを同修たちに伝えました。

 すぐに、最初に私が会う約束をした同修が承諾してくれました。話を聞いて原稿を書き上げた後に明慧ネットのページのトップに掲載されました。これは私にとって大きな励みになりました。続いて、私は「1カ月に少なくとも修煉の話を2篇完成させる」という目標を設定しました。連絡をとる過程で、何人かの同修は修煉がよくできていないという理由で拒絶し、またある同修は二つ返事で承諾しただけでなく、話の途中で師父のご慈悲に何度も涙しました。

 毎回の取材は2時間以上かかり、同修の修煉の経歴を聞き終わった後、私はいつも自分が上から下まで浄化されたと感じました。私は同修たちが最初に修煉に入ることを決め十方世界を震撼させたその心を目にし、同修たちが身体を浄化された時に信念を固め無条件に内に向けて自分の心を探し、仕事や家庭の難関に直面した時に歯をくいしばって法をもって判断し、さらに周囲の人々の心を動かした話を聞きました。すべての同修の心がみなきらきらと輝いており、私は感動しました。

 ここ数年、師父は何度も私たちに「修煉の初心にもどるように」[1]と説かれました。すべての同修の話は本当にみな最初の修煉の感動を私に再認識させてくれました。さらに偶然にも、自分の取り除くことができない執着に出会い、生活の中での何かの問題が乗り越えられない時に取材した同修の心性の境地は、まるで鏡のように、自分の不足、さらにもともと気にかかってどうしても忘れられず、おぼつかない人心と執着を確認し、さらに取材の過程で、知らず知らずのうちに不足や人心、執着が溶けていきました。

 もちろん、取材の過程の中でも絶えず向上しなければならないところがありました。はっきり覚えているのですが、ある同修の話の原稿を書き上げた後、その同修が電話をかけてきて、過去に母親がその同修にどのような仕打ちをしたかという内容を、自分の母親が了解せず、この文章を取り下げてほしいと言っていると伝えてきました。コミュニケーションをとった後も同修の態度はやはり硬く、私も明慧の協調人に連絡し、事のいきさつを伝えて明慧の協調人たちにその記事を削除してほしいとお願いしました。しかし、私の心の底では深い無力感が浮かび上がり「原稿を書くためにあれほど多くの時間を費やし、書き終わった後もあなたに見せ、間違いなく掲載できることを確認した後に、はじめて明慧に送ったのに、なぜこんなにも簡単に撤回するのか?」と思いました。

 この出来事が過ぎた後、私は再びまた同様のことに遭遇しました。私が多くの時間を費やして取材し、原稿を書いて相手に送り、内容を改め、最終的に原稿を書き上げた後、同修が翌日私に電話をかけてきて、最初は内容がとてもよくできていると褒め、同時に同僚に見せると、同僚もよく書けていると思ったが、明慧ネットに掲載した後に同僚たちが所属している役所が厄介をもたらすのではないかと心配している、と言いました。そのため、その原稿を無効にし、送らないでほしいと言いました。私はショックを受け、では代わりに仮名を使うことができ、さらに同修が敏感だと感じた部分を修正すると言いましたが、相手(訳注:同修)は最終的に原稿を発表してほしくないと思っており、さらに、もしかしたら今後同修はずっと取材を受けるのが難しいかもしれないとも言いました。

 その時、私は理解できず、「あなたが取材を受けることに同意した時、すでにこれらの要素を考慮したのではないのか? それならなぜこんなにも簡単に自分の心配のために、他人の努力をこんなにも軽々しく扱うのか?」と思いました。私はさらにあまりにも腹が立ち、その同修のアドレスを削除し、さらに今後の明慧の取材に対して落ち込み、無力を感じました。

 その後、私は「なぜ不機嫌になり、なぜ続けたいと思わないのか? せっかくの努力が水の泡になり、人の目に触れなくなったために、私は落ち込み始めたのではないか? それなら私は何のためにこのことを行っているのか? 自分のために行っているのか、それとも人を救うために行っているのか? 私が苦しんで文章を書いたからといって、掲載されなくても、損をすることはないのではないのか?」と自問し始めました。

 師父は「善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです」[2]と説かれました。にもかかわらず、私は「長年の人心と観念を変えることができず、与えることで収穫があるべきだと無意識に思い、さらに苦をもって楽とすることを穏やかに行い、気楽にすべてのことに取り組み、発生したすべての良いことも悪いことも、みな良いことにすることができず、さらに言うと、私は自分の利益と損失のために苦しんでいただけではないか? これは最も汚い私心ではないか? もしこれらのことがなければ、どうやって自分の人心を見ることができ、さらにどうやって人心を追い出すことができるのか? これはまさに良いことではないか?」と気づきました。

 突然、私はとても恥ずかしく感じ、こんなに些細なことを乗り越えられず、さらに他人のために考え、同修の立場に立って考えることができず、ただ自分の苦心と労力が重視されないことを気にしていただけでした。特に、師父の慈悲なる済度と中国の同修の多大な献身を考えた時、本来のつらさ、不満、憤慨が本当に跡形もなく消えてしまいました。

 二、明慧Facebookに参加する

 昨年(訳注:2020年)9月、台湾で明慧ネットのFacebookを立ち上げ、常人に合った明慧ネットで常人に話題になっていることや常人に喜ばれる文章を専門に掲載することを明慧ネットが希望しているということを同修から聞きました。私はすぐに引き受け、プロの同修からの指導の下、ファンサイトの設定を開始し、操作手順を学び、掲載方法について検討し、明慧ネットの関連記事を掲載しました。

 始めたばかりの最初の2カ月間は、原稿審査の責任を負い、「掲載されるすべての文章のコメント文と写真は、必ず標準以上でなければならず、そうして、はじめて常人を引き付け、見に来させることができる」と感じました。そして、当時のグループ内の同修が書いたコメント文は、まださらに手直しできると感じる多くの箇所がありました。そのため同修がはじめにしっかりと書いた内容は、私が文章を見て変更を考えた後では、すでに同修たちがはじめに書いたものとは違っていました。

 当時、私はかつて同修の気持ちを気にかけ、同修たちが傷ついたと感じることを心配しましたが、法のために考える立場に立てば手直しせざるを得ませんでした。同修の心性はみな素晴らしく、さらにすばらしいフィードバックを私に与え、手直しした後はさらによく的確に表現していると感じました。同修たちの励ましのおかげで私はさらに多くの時間と労力を費やして文章を熟考し、文章の主旨に集中しました。必ず完成度の高いものでなければならず、それではじめて掲載することができると感じました。しかし次第に、私は「自分はすでに当初の全体のため、質のために自分に要求したあの初心ではなく、自分を実証する歓喜心が生まれ、さらに自分を同修の上に置く心がある」ことに気づきました。この時、私はコメント文を手直しする過程で、最初の謙虚さと安定さはなくなり、まるでそれは努力して完成させる必要があるただ一つの仕事になっただけでした。

 続いて、米国の大統領選挙が本格化し始め、明慧ネットは相次いで大統領選関連の多くの評論と修煉体験を掲載し、明慧Facebookも時事文章と一緒に相次いで関連文章を掲載し、私も大統領選の文章の投稿文を専門に書くことに重点を移し、原稿の審査と写真の審査は他の同修に責任を負ってもらいました。そして正邪の戦いの中で、私は自分の状態を警戒し始め、本当に大法を実証することに基づき、自分を実証するいかなる人心も入り混じっていないかどうかについて心の中を点検しました。

 私が自分を下に置き、大法の同修を第一位に置いた時、私は「過去のFacebookのコメント文に対する細かなあの方法は実際には基準にはまだまだ足りない」ことに気づき、さらには技法を重視すること自体がまるで無私の境地を基礎としておらず、すべてがみかけ倒しだと感じました。心から本当に読者の立場に立ち、読者が最も理解することができる言葉と修煉者の最も浄化された心で、大法の威徳、師父の慈悲と作者である同修が人々に伝えたかった着想と意思を質朴で自然に表して、はじめて本当に人々を感動させることができ、またそれではじめて本当に人を救う目的を達成することができるのです。

 師父は「それでは、彼らの心はどういう状態なのでしょうか? それは寛容であり、非常に洪大な寛容であり、他の生命を受け容れ、本当に相手の立場に立って他の生命のことを考えてあげることができます。これは多くの人が修煉の過程でまだ到達できていないことですが、皆さんは徐々にそれを認識し、到達しようとしています。ある神がある方法を提示した時、彼らはそれをすぐに否定し、自分の方法を示し、自分の方法が最も良いと言うのではありません。彼らは他の神から出された方法の最終結果がどのようなものなのかをまず見るのです。道が異なり、一人一人の道も異なっており、生命が法から悟った理は皆それぞれ違っていますが、結果は同じかもしれません。ですから、神たちはまず結果を見るのです。到達する結果を見て、本当に達成したいところまで達成することができれば、それに同意します。神はこのように考えています。更に、足りない所があれば、無条件で黙々とそれを補い、圓満させます。神はこのようにして問題に対処しています」[3]と説かれました。

 この時、私の明慧ネット上のペンネームに「容」の字があるのを思い出し、突然「容」の本当の意味を知りました。それはただ容量を拡大し他の人を許容するだけではなく、その「容」の字には師父がすべてをささげ、中に注ぎ込まれた苦心がどれほど包括されているのでしょうか! それは大法を円融し、全体を円融し、自分の生命を用いて無条件に師父の要求を円融し、なぜなら、それは私たちがこの世にやってきた責任と意義だからです!

 結び:着実に修煉して修煉の道を歩む

 少し前、私はちょうどある病業の関を経験しましたが、それは病業の関ではなく、心性の関だと思いました。なぜなら私は「正常ではない状態が現れた時、心の奥底にやはり体が正常で健康であるかどうかということに対する一種の疑いがあり、自分が何かの『病気』にかかったのではないかと恐れていた」ことに気が付いたからでした。このような「不信」を私は残念に感じ「自分はこんなに長い間ずっと修煉して、なぜ師と法を信じるという最も根本的な問題において揺らぐのか?」と思いました。私は絶えず自分の心を内に向けて探し、さらに「自分には多くのところが十分に確固としておらず漏れがあり、さらにどうでもいいと思うようなたくさんの小さなことを、狡猾な人心の中に隠しながら、ごまかして通り過ぎてきた」ことに気が付きました。

 師父は「一部の学習者は病業の関を乗り越えられません。重大な過ちばかり考えないでください。大きな過ちがなく、法に対して確固たる信念を持っているとあなたは思っています。しかし、あなたはそれらの小さいことを軽視しないでください。邪悪は隙に乗じてくるのです。多くの学習者は小さい過ちのせいで命まで失いました。本当に非常に小さいことが原因だったのです。修煉は厳粛であり、漏れがあってはならないからです。あなたはそれらのことを長い間修めていません。小さいことですが、あなたは長い間重視していません。これで大ごとになりました。多くの人がこれで命を失いました」[4]と説かれました。

 私は「天上の一層一層の、計り知れない神はみな目を大きく開けて私の心がどのように動くのかを見ている」ことがわかり、私が何度も師父のビデオや説法を読んで自分を照らし合わせた時、「もともと本体を覆っていた何層もの汚泥が、師父のご慈悲と大法の精錬の下で、剥離脱落し、光を放ち始めた」と感じました。私がこの文章を書くと同時に、孫がちょうど熱を出してベッドに横たわっており、私は原稿を打ちながら内に向けて自分の人心を探し、「どんなことがあってもみな邪悪を排除し、向上し昇華するために良いいことだ」とわかりました。

 20歳のときに修煉を始めて現在(訳注:2021年)まですでに20年以上になり、私には他の空間が見えず、また何も感じることのない学習者ですが、師父はいつでもずっと私のそばで私を見守ってくださっています。修煉の道で私はかつて怠けたことがあり、また意気消沈していたこともありましたが、私は大法弟子であり、大法弟子が行くべき道はすでに他になく、無条件に基準に達しなければならない修煉の道を正しくしっかり歩み、時間を無駄にせず、人心を修めて取り除き、最も純粋な状態でさらに多くの人を救います!

 師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 妥当でないところがありましたら、慈悲深いご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1]
 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進の要旨』「境界」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』

 (2021年法会明慧交流文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/9/427800.html)
 
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