明慧法会|大法弟子は一つの全体である
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文/山東省の大法弟子 三帰

 【明慧日本2022年9月6日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 20年以上修煉し、体験から最も悟りが深かったのは「法が心の中にあれば進路を見失わず、法は私を導いてくださる基礎である」ということでした。師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]と説かれました。魔難や関に遭遇するたび、師父の啓示と師父の慈悲深いご加持の下で道を歩んできました。

 私は10年前45歳の時に職場を離れ、体当たりで自分の使命を実行し始め、法を正す師父にお手伝いし、衆生を救い済度してきました。過去十数年間の修煉における協調といういくつかの経験と過程についてお話しします。

 一、衆生を救うための全体的な協力

 過去数年間、地元の同修が全体として互いに協力し、人を救う過程で紆余曲折の困難な試練を受ける中で出会った感動的な出来事の一幕一幕が目の前に現れてきます。大変ですがとても充実していました。私たちは一日中師父の恩恵を受け、幸せと喜びを味わいました!

 過去数年間、私たちは市内のすべて、遠隔地の村にまでオートバイや車を運転して行きました。はじめは資料を配り、その後は面と向かって法輪功が迫害されている実態を伝え、その後一軒一軒に行って伝え、救われた後の衆生の喜びを見て、心の中で表現できないほど喜びました。言うのは簡単ですが、行ってみるとそれほど順調にはいきません。しかし、その過程で私たちは試練と向上を得、多くのことを成熟させました。

 私たちがはじめて遠隔地へグループで車を運転して行き資料を配る時、同修たちの心はみな緊張しており、最後の一人の同修が乗車した時、この同修にかかるプレッシャーはさらに重く、顔色が悪く、真剣な表情をしていました。同修の気分を和らげるために、私は「ご飯食べた?」とそっと声を掛けました。「はい、食べました」と同修は小さい声で答え、顔色は少しリラックスしました。山岳地帯の道路は凸凹で、田舎には犬がたくさんいますが、師父のご加護のもとで順調に資料を配り、無事に帰宅しました。帰り道で、その同修は「車に乗る前は、再び家族に会えない永遠の別れのように感じ、プレッシャーが大きかったのですが、おばさんの優しい一言が、私をとてもリラックスさせてくれました」と率直に言いました。個人的な感情について言えば、誰もが共通認識を持ち、恐れの物質を多く取り除き、法輪功とはどういうものかを伝える緊張をずっと緩めませんでした。

 次に、週に一度組織を組んで遠隔地への資料の配布を行いました。通常2台の車で行き、私たちは師父の「論語」、『精進要旨』の「真修」、「弟子の偉大さ」、「法を正す時期の大法弟子」などを暗唱しました。道中の暗唱で、私たちはみな自分が多くの正念を与えられたと感じました。当初は、車はありましたが、全体で協力して資料を配ることのできる同修が少なく、その後、精進している同修を中心に、出てくることのできる同修がだんだん増えてきて、現在(訳注:2019年11月)は出て来られる人も多く、同修たちは正々堂々と資料を配ることができるようになりました。

 私たちには二つの学法グループがあり、それぞれ4、5人のグループですが、年齢はみな40~50歳で、経済状況がよい者もいれば、よくない者もいます。基本的に誰もが人々を救うために最善を尽くしており、金持ちと貧乏人を比較したことはなく、三つのことにおいて互いに学び修めました。さらに当時それぞれの家で食費を切り詰め、人を救う資料を手際よく作り上げました。

 二、同修を救うための確固とした正念

 近年、真相を伝えるために出てくる同修がますます増えましたが、面と向かって真相を伝える同修の殆どが不当に連行され罪に陥れられました。しかし中国共産党(以下、中共)がどんなに狂ったように迫害しても、同修たちは中共に脅されず、依然として衆生を救う道を歩んでいます。

 私たちは衆生を救うためのことを行っていますが、迫害に反対するために法律も利用しています。特に不当に拘禁された同修を共に救った同修たちの衝撃的なシーンは本当に危険でしたが、最後は何事もなく「修は己にありて、功は師にあり」[2]と師父が説かれたことを本当に理解できました。

 はっきり覚えているのですが、それは日曜日で、私たちは2台の車で地方へ行き、一台の車の5人は市から東50キロ先の山村へ行き、もう一台には6人が乗って50キロ以上離れた西平原区に行き、二つの場所は100キロ離れていました。私の用意した資料はすぐに配り終わり、10時30分ごろ、西に行った同修から電話がかかってきて「止められた」と言いました。私たちはさっそく市内に戻り、西に行った4人の同修も戻ってきて、AさんとBさんの2人の同修が連行されたことを知りました。連行された2人の同修の夫(探すのに大変な労力を要した)に会い、何度も地元の警察署へ行って釈放を要求しました。

 その時、空は真っ暗でした。警察署を訪れた時「610弁公室」と国家安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の人がすでにそこにいました。私たちは家族の一員として釈放を要求し、警察署の副署長が「あなたたちは今日も来たのか? 何度か走ってきたと聞いたが」と言いました。私たちは直接返事はしませんでした。私は「お会いしたあなたは悪い人のようには見えません。ここにいる人たちもよい人す。彼女たちを早く釈放してください」と言いました。副署長は「私たちはよい人ですが、しかしこの案件が私たちのところにやって来た以上、無視するわけにはいきません」と言いました。運転手の同修が中で副署長たちに真相を伝えると、法輪功迫害の実行機関の人員が「身分証を出して、あなたが誰であるか見せなさい」と言いました。運転手の同修は恐れることなく、賢く運転して警察署を離れました。私たちは警察署の構内で2人の同修が車で留置場に送られるのをなすすべもなく見ていました。その中のAさんは車に乗る前にしっかり私を見ていました。

 警察署でAさんは中共の採血と健康診断に協力せず、体に傷を負ったため、留置場も受け入れを拒否し、その夜Aさんは正念で帰ってきました。Bさんは中共の偽善を認めなかったため、指定された15日間の不当な拘束を黙認したとされ、警察署長もBさんをだまし「あれ(Aさん)は地方の留置場に送られ、判決を言い渡される」と言いました。外で解放を要求していた私たちはこの15日間を認めることはできず、受け入れませんでした。私と同修はBさんの家族に会い、解放を要求するために留置場へ行きました。

 このようにして階下へ降りることができなかったBさんの母親と息子は同修を伴って、留置場に行きBさんに会い、Bさんの正念を啓発しました。その間、私は同修に協調して留置場に向けて正念を発するよう働きかけながら、他の同修と協調を取って陥れた者の電話番号と名前を調べ、通報した人の村や町に資料と善を勧める手紙を送り、陥れた者が行った悪事を町全体で迅速に明らかにするために、3往復しました。反応は大きいものでした。真相を伝える手紙を読んだ後通報した者の友人は、通報した者に電話をかけ「ちょっと、あなたはこれらのことで何をしたのですか? どうしてこんなことをすることができるのですか!」と言いました。通報した者は「どうしてそれを知ることができたのですか?」と恥ずかしそうに言いました。

 すべての過程を通じて、協力してくれた同修は自我を放下し、すべての力で救助に参加し、私たちに協力してくれた同修の心は基準に達し、全体的な向上が現れ、5日目にBさんは正々堂々と留置場を出て、15日間の中共による不当な拘束の迫害を断ち切りました。私たちは全体で協力する力を体験し、AさんとBさんの2人の同修の表現と結果から、法の威力をさらに体験しました。師父は「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください」[3]と説かれました。

 さらに同修の救出に成功した出来事が、数年前の端午節の日に起こりました。Cさんは地方で連行されましたが、私たちはその知らせを聞いた後、時間を無駄にしないために、Cさんの家族と連絡を取る暇がなく、その夜地元の警察署に駆け付けました。連行されたCさんに会うために、Dさんは警察署の事務所に入っていき、家族の身分で解放を要求しました。この時Cさんの息子の嫁(真相を知らない)がDさんのことを見て、怒って事務所に入っていき、警察署の警官に「彼女たちは暴力団だ」と言いました。警察署の警官はDさんを捕まえました。損失を減らすために、私と他の同修は警察署から離れました。

 その時私たちはその場を離れましたが、私たちの心は重く、大いなる善と慈悲の威徳が出てこない自分を責め、警察が罪を犯して業を作るのを制止していないと自分を責めました。しかし協力している同修は恐れず、落胆せず、私たちは家に帰らず、警察署に解放を求めに行ったDさんの父親に直接会いに行き、家族は同意しました。私たちが帰宅したのはすでに朝の3時半でした。翌日私たちは再び戻り、Dさんがすでに地方の留置場に送られて拘禁されていることを知り、私たちはDさんの父親と話し合って弁護士を雇いました。弁護士は間もなくDさんと面会し、他の同修は外で正念を発し、6日後Dさんは正々堂々と、無事に家に帰り、再び全体的な協力の威力を呈しました。

 三、法律を使って衆生を救う

 私の地元でのこの8年間で、同修を救うために、合計で14回弁護士を頼みました。私たちはできないところからできるようになり、法律を使って迫害に反対し、衆生を救う道を歩みました。これは地元の「610弁公室」にとって大きな打撃であり、実情を知らない人々へのメッセージでもありました。

 弁護士に同修を弁護するように依頼することについて、最も難しいのは家族を説得することでした。迫害された同修の家族は一般的に弁護士を雇うことに抵抗があります。なぜなら「610弁公室」は最初に家族に「北京の弁護士を頼むことはできない、さもなければ『一級重い刑罰に処する』」と脅すからです。したがって私たちに一定の困難があり、ある家族は私たちに会わず、私たちに敵意を持っている人や、さらに激しくののしり私たちを叩くものがおり、また私たちを直接押しのける人がおり、しぶしぶ同意する家族はいても、お金を出しませんでした。

 しかしこのすべては同修を救うという私たちの自信を揺るがすことはありません。一人の同修を迫害することは私たち全体を迫害することであるということを私たちは理解しているので、外にいる同修もしっかりと救う仕事を行う義務があるのです。同時に迫害された同修の家族のさまざまな感情を私たちはとても理解しています。同修が迫害されると、家族は苦しみ「610弁公室」や法輪功迫害の実行機関などからの脅迫に耐えなければなりません。ですから恨んだりくやんだりせずに何度も訪問し、何度もドアをノックし、その家族が耳を貸さなければ、他の親族のところに行って話を聞いてもらいます。私たちの忍耐と善良さは最終的に家族を感動させました。その中のある同修の弟は感動して「あなたたち法輪功を修煉する人たちは真の鉄(密接な関係を意味する)のようですね、私たちは兄の救出にかかわりたくありませんが、あなたたちはとても大切な存在で、私たちの家族以上に親しみがあります」と言いました。

 他の同修もまた真相を伝えたために連行され、同修の夫は妻(訳注:連行された同修)のために弁護士を雇うことに率先して協力することはなかったのですが、しかし同修の家族と一緒に解放を要求するために協力し、司法関係者に手紙を書き、大法を修煉した後の妻の変化を書き、検察庁の人員を感動させ、事件は検察に戻されました。30日後連行された同修は家に帰りました。

 迫害された同修の家族の経済的負担を軽減するために、過去数年間私たちが弁護士をお願いするためのお金のほとんどは同修が自発的に持ち寄ったもので、私たちのやり方は迫害された同修の家族がお金を持ち寄りたければ持ち寄ればよく、持ち寄らなければ私たちが持ち寄り、弁護士に頼んで同修を救出することがお金のために遅れたことはありません。そして救出の過程で感動的な多くのことが起こりました。はっきりと覚えているのはある同修が真相を伝えに行って連行されたことで、同修たちの学法グループのある同修は翌日連行された同修の弁護士を雇うために1万元を支払いました。この同修の一年間のすべての収入がこのお金(訳注:1万元)でした。同修の息子はまだ結婚しておらず、市内の平屋建ての家に住んでいました。そして連行された同修が出てきた後、基本的にまず考えたことは弁護士を雇ったお金を払うことでした。その過程はとても感動的でした。

 大法弟子のために無罪の弁護をしてもらうよう弁護士に頼むことは「610弁公室」が最も恐れていることであり「610弁公室」が最も見たくないもので、したがって「610弁公室」は家族が弁護士を頼まないように八方手を尽くし「610弁公室」が使用する方法は強制、脅迫、偽善、尾行などの手段です。旧勢力は「610弁公室」の人員を操作して悪だくみを使い尽くし、弁護士の介入を許しませんが「610弁公室」はいつも成功しませんでした。私たちにとっては弁護士を雇うことは正邪の戦いです。まさに師父が説かれた「法を正すことが絶えず前へと進むにつれ、この現象はますます顕著になります。あなたの力がますます強くなり、邪悪の力が削減されつつあるからです。あなたの人心が重いとき、加えて邪悪と良くない要素の妨害があれば、あなたが強くなると、邪悪が弱くなりますが、あなたが弱くなると、邪悪が強くなるということが見られます」[4]のようです。

 同修を救い出す過程で、私たちは全員法の中で修めた知恵と勇気に加えて、同修たちの全体的な協力を利用してかさねがさねの困難を克服し、真相を伝え、同修のために弁護士に無罪の弁護をしてもらうよう弁護士に頼むことを家族に説得することに成功しました。以下、いくつかの例を示します。

 1、どうやって入ってきたの

 2012年の「7.20」の日は、暑い日だったので、連行された同修のLさんのために無罪の援護をしてもらうよう弁護士を迎えに地方に行きました。私たちが初めて弁護士を雇った時私たちは力不足で、地方の同修の力を借りて、弁護士を受け入れました。弁護士に追いつき留置場で同修のLさんと面会しました。弁護士は自転車に乗ってきて汗びっしょりで、シャツもずぶ濡れになっているのを見て、私はとても感動しました。迫害された家族のお金を節約するために弁護士にタクシーに乗らないように頼み、食事もとても簡単なものでした。

 弁護士が迫害された同修と初めて会った時、私はAさんと一緒に行きました。はじめは弁護士と一緒に留置場に入ろうとは思わなかったのですが、弁護士が留置場の入口で名前を記入しているのを見て、私は突然Aさんに「入ってみませんか?」と聞きました。Aさんはゆるぎない口調で「入りましょう!」と言いました。このようにして私たちは順調に二つの登記所を通過しましたが、どちらも身分証を要求されませんでした。2人の弁護士が私たちの後ろについて、私たちが入っていくのを見た時、弁護士2人は「どのようにして入ったのですか?」と驚きました。私たちは窓を隔てた椅子で正念を発しました。弁護士が面会を要請しましたが、留置場が「610弁公室」に相談すると面会を拒否され、大体40分経ち、外にいる同修も心配になり、弁護士に電話して、私たちを急いで外に出させ、私たちが緊張した気持ちで急いで出てくると、なんと同修たちが私たちのことを心配していました。

 午前中に会見は成功しませんでしたが、私たちは自信を増し、恐れる心や何かあった時に不安定になるなどの自分の不足を見つけました。同時に念が正しく、心が正しくさえあれば、大法の威力を現すことができると感じました。午後、弁護士の強い要望で、Lさんに会いました。Lさんもすぐに師父の経文を受け取りました。Lさんが留置場内で非人道的な拷問を受け、負傷したことを知りました。そこで外にいる同修は家族が悪人を非難するのを助け、このようにしてLさんの環境が緩和されました。

 地元の「610弁公室」は家族を威嚇し、北京の弁護士に頼むことを許さず、さらに「北京の弁護士を雇えばより厳しい判決が下される」と脅しました。紆余曲折を経て、案件は2回公安局に戻され「610弁公室」の統制下で案件は法廷の段階に引き続き進んでいき、その時私たちは裁判官と直接連絡を取ることができず、Lさんの家族が裁判官に会うことしか協力することができませんでしたが、家族が恐れ、裁判官に会いに行くことに消極的になり始め、その後で裁判官に会いに行っても何を話せばいいのかわからなくなり、裁判所の人間にだまされ誘い出されてしまいました。その時私たちはできる限りのことを行いましたが、満足のいく結果は得られず、最終的にLさんは懲役5年6カ月の不当な判決を下されました。しかしこれは私たちが継続的に同修を救助することに影響を与えませんでした。

 2、思う念力岩をも徹し家族が衝撃を受ける

 2017年、私たちの地域の地方に住む70歳近い同修が真相シールを貼ったために連行され、私たちはすぐに家族に連絡し地元の警察署に解放を要求しました。この同修は以前に3回拘禁されましたが、いつも刑務所に送られた後になってからやっと家族は知らせを受けました。同修が戻って来てから聞いたのですが、開廷はいつもただ行ったり来たりするだけで、法廷も開かれず、裁判官は判決を言い渡して終わらせ、ものの10分足らずで、家族を開廷審理に参加させたことはありませんでした。

 今回私たちは同修の2人の娘が弁護士と交渉するのを見ましたが、どちらの娘も表に出て行くつもりはなく、母親がほとんどの時間を刑務所で過ごしていると思い「どうしようもないので、開廷に参加したくない」と表明しました。母親が繰り返し迫害されたので、2人の娘は子供のころから驚いていました。私たちは何度も同修の2人の娘に会いましたが、2人の娘はさまざまな理由を言い、またさらに私たちが同修のおじに会うのを妨げました。

 私たちはあきらめず、続いて同修の弟を探し、私たちは贈り物をもって、同修の弟に会いました。会った後私たちの来意を説明すると、同修の弟はとても感動しましたが、警察署まで行って同修を救助するのはとても難しいと聞いており、私たちは同修の弟に「あのようなお姉さんがいることは本当にあなたの幸せであり、今お姉さんのために何かをすることは歴史に記録されます。私たちはあなたのお姉さんを知らず、私たちはお姉さんが法輪功の修煉者であることだけを知っていますが、お姉さんを迫害することは私たちを迫害していることで、大法弟子は一つの全体です。あなたのお姉さんが真相を伝えることは人を救うためであり、自分のためではなく、慈愛の行動です。できるだけ早くお姉さんが家に帰れるようにあなたが最善を尽くしてくれることを願っています」と伝えました。同時に同修の弟に「心配しないでください、私たちもお金を出してあなたを手助けします」と伝えました。私たちの説得と説明の下、同修の弟はとても感動し、私たちと一緒に行うことを約束しました。最後に同修の弟はまた私たちに「私も大法を学んだことがあり、刑務所で若い法輪功修煉者に教えられ、私は法輪功を学ぶ人を最も敬服しています」と伝えました。私たちが同修の弟に「なぜ学ばなかったのですか」と尋ねた時、同修の弟は「よい人になって拘禁されることに何の意味があるのですか」と言いました。

 このようにして私たちは何回走ったかわからず、物事がようやくまとまり、同修の弟は警察署と検察に資料と告訴状を提出し、すべての過程において私たち同修が協力し、外で正念を発しました。同修の弟にとっては毎回が感動で、私たちに会うと「みなさんは素晴らしい、法輪功を修煉している人はとても親切です」と言いました。

 開廷の日、弁護士が論拠を以って公訴人(訳注:検察)の起訴に反論しているのを同修の弟が見て、公訴人(訳注:検察)の首が垂れ下がり回答できず、70歳近い姉の精神状態を見て、同修の弟は震撼しました。不当な法廷審理の後、私たちを見て親指を立て、力強く高らかに「弁護士がよく言ってくれました。私の姉は無罪であり、犯罪を犯しているのは中共です。法輪功を修煉することは犯罪ではなく、私の姉はこんなに長い間拘禁され、煉功していなければとっくの昔に倒れていたでしょう」と言いました。同修の弟は大法弟子の無私な努力を見て、私に「また同じようなことがあったら私に連絡してください、私も参加します」と言いました。もっとうれしいことは、この昔からの同修が大法弟子の助けを借りて、再び大法に戻ったことでした。

 同修の娘も大きく変わり、大法の真相を理解して、無償で他の同修を救うために忙しくしており車を何回も出しました。身内の変化を見て、私たちの心の中の悲しみにも慰めがありました!

 3、正邪の対戦の4次開廷

 2018年の旧暦の12月、地方の2人の同修が真相を伝えたとして連行され、同修の家庭の原因で、同修のEさんの家族は無罪の弁護を行うために弁護士に依頼することに同意し、同修のFさんの家族は常人との関係に走り、弁護士を頼みませんでした。その結果Fさんの家族は1万元以上を接待に費やしましたが、何の連絡もありませんでした。最終的にFさんは「610弁公室」によって地元の弁護士を割り当てられその弁護士は有罪を主張したと聞きました。

 一つの案件で、一人の弁護士は無罪の弁護を行い、もう一人は「610弁公室」によって任命された弁護士ですが、有罪を主張したと私は理解しており、このような不当な開廷において、真相を伝えて衆生を救うことは不利であり、案件に関わっている同修にとって恥でした。その案件の過程でも私たちに存在する不足を目にし、家族が中共の言うことを聞くのはなぜでしょうか? 師父は「皆さん、このことを覚えておいてください。今日の人類の舞台は大法弟子のためにあるもので、決して邪悪のためにあるものではありません」[5]と説かれました。そのため私たちは地元の「610弁公室」に対して正邪の大戦を開始しました。

 まず行わなければならなかったのはFさんの夫に真相を伝えることでした。その前に私は何度か(70キロ)を行ったり来たりしましたが、Fさんの夫の態度は冷たかったのです(私は贈り物を持って行った)。今回は私と年配の旧い同修が子供用に牛乳を2箱買ってFさんの家に行ったところ、Fさんの夫のいつもの態度が変わり、笑顔が浮かんできました。

 私たちはFさんの家に入った後、地元の弁護士(訳注:「610弁公室」が任命した弁護士)と北京の弁護士のメリットとデメリットとその結果をきっぱりと説明し、私はFさんの夫に「お兄さん、610弁公室があなたのために弁護士を任命するのにあなたのお金を使っていないのはなぜだかわかりますか? これからもその手口で人々をだまし続ける彼らを使いたいのですか? もし彼らが本当にそんなに親切であるならば、私たちを捕まえるはずがなく、さらに奥さんを解放するはずではないですか! 北京の弁護士が無罪の弁護をする勇気があるのはなぜでしょうか、法輪功を修煉することは国の法律に違反していないからです。法律に法輪功が有罪であると記載されているなら、どの弁護士が無罪の弁護をする勇気があるでしょうか? 弁護士は正義を守るべきだと思います」と言いました。最後にFさんの夫は「子供を探してください」と言いました。私たちは今度は同修の息子を探し、私と年配の旧い同修は辛抱強くFさんの息子に「今日あなたのお母さんが弁護士をお願いするのにあなた自身が決定するのが最も適任です。あなたはお母さんの息子であり、お母さんは問題を抱えており、あなたは立ち上がるべきです。お母さんのために声を上げましょう。あなたのお母さんは犯罪を犯していないのです!」と伝えました。私たちは様々な方面からいくつかの例を挙げました。同修の息子はお金のことを心配していたので「心配する必要はありません」と伝え、私たちは同修の息子と一緒に委任状に署名しました。

 もともと初めて開廷されたことを、裁判所はすでに家族に知らせていたのですが、またしかし裁判官会議は取り消されたということで、家族が指名した弁護士は行かないということでした。二度目の開廷の時「610弁公室」が弁護士を雇っていたことに気づき、理由なく開廷を取り消すことを突然通知してきました。中共の目的を達成するために「610弁公室」の人員は牛乳を持参してFさんの家にやって来て、誘惑と脅迫の手段を利用して同修の息子を脅しました。息子は母親に過大な判決が下されることを恐れ、本心とは裏腹に委任状を撤回しましたが、しかし敢えて私たちに伝えませんでした。重大な時にはいつも師父は私たちを助けてくださり、「610弁公室」が派遣したもう一人の弁護士が翌日Fさんと会い、記録を調べることを私たちは意図せずに知り、私たちはすぐにみんなに正念を発して、中共の一切の按排を解体し、「610弁公室」が派遣した弁護士の参加を許しませんでした。

 状況は日々変化し、3回目の開廷のわずか3日前、私たちがFさんのためにお願いした弁護士が突然電話してきて「お姉さん、私は解任されました」と言いました。開廷の時間が次の月曜日なので、間が土曜日、日曜日の休日で出社せず、弁護士はまったく同修と面会する時間がなく、同修の息子のところからの局面の奪回はすでに不可能であると思い、これ以上何を言っても仕方がないと思いました。私たちは消極的な状態にあり、その時は本当に無力でした。しかし私はまだあきらめず、正念を十分にして弁護士に「あなたはやはり来なければなりません!」と言いました。弁護士は責任をもって「私は行かなければなりません、あなたたちは正しい考えを持っているに違いないからです」と言いました。

 開廷当日、最大級の台風が突然私たちの街にやって来て、鉄道が封鎖され、弁護士が来られなくなり、奇跡的なことに解任された弁護士が2日前に到着していました。私たちはこの好機をつかみ、弁護士と協力してFさんと会う準備をしました。しかし開廷されるかどうかを裁判官が弁護士にずっと通知していなかったため、私たちはみな腹に力が入らず、弁護士も腹に力が入りませんでした。これもその時の私にとっての試練であり、私はパソコンの前で「弁護士が来たらどうしたらいいか? 『610弁公室』はすでにこのことに着手しており、家族は仲たがいし、安全のために私はすべきかどうか……」と思案していました。私のその考えが激しく思い乱れていた時、私は師父が発表したばかりの経文をたまたまプリントし「元気を奮い起こして北米の大法弟子のように困難の前に尻込みしないようにしてください。人間の枠に制限されないでください。邪悪に怯(ひる)まないでください。なぜなら、歴史は皆さんのために残すものだからです」[6]というこの法が私の目に飛び込んできました。私は両手で合掌し「師父、悟りをありがとうございます、弟子は理解しました!」と申し上げました。この法は永遠に私の記憶に残るでしょう! 翌日私たちは予定通りに行動しました。

 さらに奇跡的なことには、開廷当日に「610弁公室」が到着し、裁判官も到着し、Fさんの家族も到着し、もちろん正念を発する同修も到着しました。留置側側は9時に出勤し、私たちがFさんのために頼んだ弁護士は30分前に留置場に入り、司法警察が同修を審問する前に入り、裁判官は同修のEさんの弁護士からの電話を受けた時「なぜあなたは来なかったのですか?」と尋ねました。弁護士は「台風で鉄道が運行されていないからです」と言いました。それは開廷できないことを意味していました。私たちこちら側の弁護士は順調にFさんに会い、外で起こっていることを同修のFさんは一切知らず、喜んで弁護士との委託にサインしました。弁護士も順調に委託書を裁判官に提出しました。「610弁公室」の人員は失望して帰宅し、「610弁公室」の人員がいろいろと知恵を絞って計画したすべてはこのようにして慈悲偉大なる師父のご加持の下、同修の正念の協力の中で解体されました。

 4回目の不当な開廷では、2人の弁護士が法廷で強力に無罪の弁護を行い、家族の承認を勝ち取り、検察側も賞賛しました。2人の同修はまた自分のために十分な無罪の弁護を行いました。Fさんは法廷で中共人員が人をだますやりくちを直接暴露しました。法廷を通して法廷に参席した人々はみな「法輪功を修煉することは違法ではなく、法輪功修煉者はみな善良な人々だ」という真相を理解しました。裁判官は「よければ家で修煉してください」と自然に口をついて出ました。

 結び

 師父は「私はくり返し話したことがありますが、つまり、最後の結果がどうであるのかを重く見ておらず、法を正す中でやり遂げられるのは必然なことです。法を正す中でいくら恐ろしいことがあっても、結果は必然なことです。ですから、私はその結果をあまり重く見ておらず、それは必ず成し遂げることができるからです。私が最も大切にしているのはその過程です。生命の全ての過程こそこの生命の全体です。法を正す全過程が最も貴重で、これは即ち宇宙の全てであり、最も素晴らしいことです。そのため、法を正すこの過程は非常に重要なことであり、旧勢力が思うままに参与することは許されません」[7]と説かれました。

 全体の過程について考えると、私たちが歩んだすべての過程は、みな法が開いてくださった知恵であり、師父の慈悲なるご加護と法の悟りから切り離すことはできません。同修と協力していく過程で、私は自分が善の心を修めていないことでずっと悩みました。最後の残り少ない日々の中で自分に対する執着を取り除き、党文化を取り除きたいと思います。最後に師父の法を以って励まし合いたいと思います。「この歴史の舞台は大法弟子が法を実証し、衆生を救うために残されたのです。皆さんが現したこのすべてはどんなことがあっても、未来は輝かしいものです。私はほかでもなく、皆さんが本当にもっとしっかり行ない、協力がもっと良くなり、協調がもっととれるように心から願っています」[8]

 法に則っていないところがあれば同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いいたします。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「二〇〇七年ニューヨーク法会での説法」
 [6] 李洪志師父の経文:『フランス法会へ』
 [7] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「米国首都での説法」
 [8] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「新唐人テレビ討論会での説法」

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/7/395459.html)
 
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