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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年11月11日】私は『洪吟二』を勉強しました。「人の世、五千年 中原は是劇の舞台 心は劇中の事に夢中になり 陸離として多様多彩 醒めてから、あなたと私を見れば 舞台は法の為に設けられている」(『洪吟二』「大舞台」)と、「天は幕と作り 地は是舞台 乾坤を運行し 天地開く 万古の事 法の為に来る 法輪轉じて 新たな三才」(『洪吟二』「劇一台」)を読んだ瞬間、「私は大法弟子だ!」と思いました。

 そして、このことをじっくり考えました。「私は正真正銘の大法弟子なのだろうか?」と自分に問いかけました。常人社会に深く迷い込んでしまって、大法に出会わなければ、自分が何のために生きているのか、わからないままでした。師父が絶えず導いてくださらなければ、きっと追いつけなかったでしょう。しっかり法を勉強しなければ邪悪に妨害されて、どうなっていたか分かりません。幸いなことに、本当の私はまだ正念を保ち、人間社会の偽りの「役割」に惑わされてはいないのです。

 修煉する前の私は、完全に常人社会に迷い込んでおり、さまざまな「役割」をうまく演じるために、この体をボロボロにしてしまいました。43歳にしていくつもの不治の病にかかりました。人間の役割を上手に演じるのは難しいことです。幼いころは両親の娘、兄と姉の妹、結婚して妻となり、義父母の義理の娘、夫の兄弟の義理の妹、そして、大勢の親戚におけるさまざまな役割があります。子どもが生まれると母親となり、子どもが大きくなって結婚した後、また別の役割が増えるのです。

 しかし、すべての役割をうまく演じることは容易ではありません。常人なら、さまざまな役割から生じるトラブルにのめり込んでしまうことでしょう。しかし、大法弟子として、これらの役割を本当の自分と思ってしまうと大変なことになります。これらの役割に纏わされて、永遠に常人から抜け出せなくなります。大法弟子は、これらの役割をうまく演じながら、それに苦しめられてはいけません。私たちは身の回りの人たちと縁で結ばれ、縁があるからこそ深くつながり、そして、救わなければならないのです。彼らに真相を伝え、あるいは「三退」させてこそ、彼らは私たちの範囲から離れていき、私たちも役割の責任を果たす必要がなくなるのです。

 思い返せば、一部救われた人々は徐々に自分から離れていったり、連絡を取らなくなったりしました。これにより、その人に関する私の役割も無くなりました。役割は、あくまでも役割でしかありません。真剣になってはいけないのです。私たち修煉者の本当の役割は「大法弟子」なのです。

 数々の輪廻転生を経て、どのくらいの役割を演じて来たのか、数えきれないものです。かつて神の位を放下して、師父と誓約を交わし、師父とともに人間界へやってきました。だからこそ、今日の大法弟子になれたのです。この役割をしっかり果たさなければ、師父に合わす顔がありません。自分の世界の衆生に合わす顔がありません。私たちは師父の弟子であり、自分の世界の王です。その責任をしっかり認識し、為すべきことを行わなければ、師父と結んだ誓約を果たすことができず、自らの世界の衆生を破滅させてしまいます。だから、今日の大法弟子は何の理由があって、この役割を果たさないでいられるでしょうか!

 私は、この役割をしっかり果たすには、まず法を勉強し、「三つのこと」をきちんと行わなければならないと思うのです。特にこの最期のとき、少しも怠ってはならないのです。旧勢力は常に私たちの隙を探しています。最後になればなるほど邪悪は少なくなりますが、その分、より邪悪になるのです。表面の邪悪な現象や虚像に怯えてはなりません。強い正念をもって正しく行い、常に法理をもって自分を律すれば、邪悪は何でもありません。いまや大法弟子がその神通力を発揮する番です。自我を放下し、人間の偽りの相を見破り、さまざまな人心から抜け出し、大法弟子としてなすべきことを行ってこそ、より多くの衆生を救うことができ、かつての誓約を果たし、師父とともに家に帰ることができるのです!

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/8/467995.html)
 
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