恐れを取り除くことについて
■ 印刷版
 

 【明慧日本2023年3月10日】最近、自分と周りの同修が、やや不正な考え方があると気付きました。認識ややり方の面で法に合わない部分があり、交流してもうまくいっていない同修を見るたびに、心の中に不安がよぎります。

 その心配は、なんですか? 旧勢力に同修は隙をつけこまれ、迫害を恐れています。同修が用事で外出して、時間通りに帰ってこないと心配になります。特に、いつ何をするか約束したときに、遅れて約束の時間に間に合わないと、「同修が来ると言ったのに来ないのは、何かあったのではないか」と心がとても不安になります。同修の安否が心配になり、時には精神的に追い詰められ、「約束を守らないなんて、心性に何か問題があるのではないか」と、同修を恨む気持ちさえ出てきます。

 実は、本当に心を落ち着かせて内に向かって探してみると、このような心配や不安は、何かを恐れる心の現れであり、心が正しい状態ではない現れだとわかります。私たちの周りで、同修が拉致されたり、肉体的な迫害を受けたりする事件が絶えないことを考えると、これは私たちの「恐れ」と関係があるのではないでしょうか? 旧勢力は私たちの考え方の抜け穴を知っているのでしょうか。

 師父はこのように語りました。「師父はこれらのことを認めませんが、あなたが邪悪に弱みを握られたから、邪悪はこのようにできたのです。この執着を早く放棄できたら、この損失もありませんでした。これほど大きな集団で修煉する場合は特にそうです。以前、人間が修煉していたとき、修煉が成就できるよう、それぞれの人心に対してそれを取り除く異なる方法が取られていました。大法弟子に漏れがあれば、邪悪はあなたの人心に対して問題を起こします。時々、邪悪はあなたが恐れていることを起こし、あなたが思っていることを起こしてしまうことがあります」[1]

 これは私自身の最近の考えで、法理に則っているかどうかはわかりませんが、この点については、同修と切磋琢磨し、共に向上し、被害を少なくなることを願います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十二』
「二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/7/457473.html)
 
関連文章