文/中国遼寧省の大法弟子
【明慧日本2023年9月27日】一年以上にわたり、私は空いている時間を利用して『洪吟六』を暗記しています。暗記すればするほど、師父が語られた法は私のために語られていると感じています。自分の悟性が低いため、一遍暗記するたびに少しの法理を悟り、そのため、この本を手放すことができなくなりました。どれほど忙しくても、たとえ10分の時間でもあれば、私は本を手に取り、詩を一編、暗記しています。暗記が終わると、大法の法理が私に無限の修煉の力を与えてくださっていることを感じ、これほど多くの天機を得ることができ、法を正す時期の大法弟子になれたことをとても誇りに思います。今世、師父について世間で法を正す修煉ができ、衆生を済度できることは幸運であり、この世での万古の機縁を大切にし、大法に従って自分を修めて人心を取り除かなければいけません。そして、多くの衆生を救い、偉大な師父の法を正す進展についていけるようにします。
『洪吟六』を5回目まで暗記したとき、私が受けた感動は非常に大きかったのです。そのため体験文章を書きたくなりましたが、悟ったわずかな法理は心で理解していますが、言葉で表現することができず、なかなか文章は書けませんでした。
最近、私は6回目の暗記に入りました。今回の暗記を通じて、新たな理解が得られ、人心が修煉の道に立ちはだかる頑な岩石であることを悟りました。そして、修煉を続ける限り、師父はそれを溶かす手助けをしてくださるのです。
現在、宇宙の「成、住、壞、滅」の法則はすでに「滅」の時期にあり、師父は宇宙を救うため、新たな天体を創造し、そして一層一層と降りられた世界に大法を伝え、私たちを率いて法を正し、人々を救い、新しい宇宙の生命として再誕させているのです。師父は誰を救っているのでしょうか? もちろん、大法弟子を救うために尽力されていますが、同時に世界中の衆生をも救っています。私は毎日法を学んでいますが、自分の修煉はどうでしょうか? 大法に基づいて行っていますか? 師父の要求にほど遠く、大法の基準にほど遠いのです。このまま続ければ、法を得ることができないかもしれません。救われるでしょうか? 法を正すことが終了する時、後悔が残ることは避けられません。その根本的な原因は何でしょうか? それは人心という頑な岩石が修煉の道に立ちはだかり、前進するのを妨げ、精進できないようにしています。
私は修煉の過程でうまく対処できず、子供たちが間違ったことを言ったり、行動したりすると、慈悲深い心構えで問題を適切に処理するのではなく、親権者の権威で子供たちを叱責し、批判し、過激な言葉を大声で言ってしまうことがあります。師父はおっしゃいました。「子供をしつける時にも、ひどく怒り、かんかんになる人がいますが、しつけはそこまでしなくてもいいはずで、本気で怒ったりせず、理性的に教育して、はじめて本当に良い子供を育てることができます」『轉法輪』)私はこの段落のとおりで、まったく同様のことをしていました。
以前、私はかんしゃく持ちで、修煉してから改めたものの、完全には直していませんでした。主人が間違ったことをした時は、忍することができ、夫婦関係は対等であり、人を叱責すべきではないと思いました。しかし、娘の前では、自分は目上だと思い、私は親として指摘する権利があると感じました。娘が一度誤りを犯すと、それを執拗に追求し、善意と理性を用いて導き、問題を冷静に解決することができませんでした。
特に、私たち母娘の関係は悪化しています。私は20年以上修煉してきましたが、残念なことに、私たちは会うたびに喧嘩を避けることができませんでした。娘は私を見るとイライラし、煩わしいと思い、私を怒らせようと必死になり、私を傷つけます。私は落胆し、悲観的になり、その辛い思いは言葉では表現できません。
もちろん、これには因果応報の要因があります。師父は私が娘との関係を克服できないとみて、夢の中で私が前世で人々に指図して娘を殺した場面を見せてくださいました。私はあのように残忍で、娘にむごいことをして苦しめ、容赦しませんでした。夢から覚めた後、私は娘と悪の縁で結ばれていることが分かりました。彼女が私の娘として生まれ変わって来たのは、私が彼女に対する命の借りを返すためのものだと理解しました。私は大法の法理を用いてこの問題を善解すべきだと思いました。
その時そう思ったのに、私はすっかり忘れてしまいました。これは修煉者の状態でしょうか? 師父の慈悲なる啓示を受けているにもかかわらず、大法の法理と照らし合わせると、自分が修煉を怠っていたことを痛感し、恥ずかしく思います。自分が命の借りを返すべきだと知りながら、それを放置しているのは人心を抱いていることではないでしょうか? 最終的に、修煉は無駄になるのではないでしょうか? 自分に後悔を残すだけではないでしょうか? 同修との交流の中で、私は自分のこの魔性をさらけ出し、それを解体し、できるだけ早く向上できるようにしたいと思いました。この文章を書くことで、再び自分の人心をさらけ出すためです。
この前、娘が帰ってきました。娘に会うとすぐに私は罪悪感を感じ、前生で娘に対して犯した大きな罪について、娘に申し訳ないと感じました。私は娘に対して命の借りを返すべきだと考え、娘に復讐の機会を与えるべきだと思いましたが、実際には言葉で嫌がらせをするだけで、師父が多くの恨み、憎しみを解決してくださっていますが、自分にも引き受けるべきだと感じました。私たちは同じ家に転生し、どちらも大法を修煉しています。私は修煉者らしい慈悲で娘に接し、母親の愛で温かく接するべきだと考えました。このように考えると、娘の態度も変わり、以前のように私を怒らせることはなく、とても親孝行するようになりました。私は法に則り一歩向上したことがわかっています。師父が私を助けて、私の修煉の道に立ちはだかる頑な岩石「人心」を溶かしてくださいました。
わずかな悟りであり、不適切なところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。
(文章編集:宇悦)