【5.13応募原稿】刑務所内で法輪功の修煉を始める(2)
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文/中国の大法弟子   

 【明慧日本2023年9月7日】(前文に続く)

 私に「煉功の人数を増やすように」と指示したあの刑務官の態度は180度変わりました。これまでの優しさや励ましもなくなって、私を厳しく威嚇しました。「7.20」以降、暗黒の時が来て、煉功音楽が聞こえなくなり、囚人たちはまたタバコを吸って酒を飲んで、汚い言葉を口にするようになりました。邪悪な中国共産党は、このように人間を悪魔に変身させていきました。

 その後、私たちは呼び出されて、「今後はもう修煉しない」という意思表明を要求されました。「しかたない」と皆が言い始め、私も不本意ながら「修煉を止める」と言いました。しかし、法輪大法が良いもので、これは中国共産党が行った政治運動だと分かっていたので、私は密かに大法書籍を読んでいました。数カ月もしないうちに告発されて、隠した大法書籍をすべて没収され、私は独房に入れられて、減刑資格も取り消され、また管区大会で「修煉を止める」ことを表明するように強要されました。そのため再び本心に反して、「法輪功を修煉しない」と言いました。しかし、「法輪大法は宇宙の真理で、私の命の深いところに根を下ろしたので、共産党の威嚇と迫害手段によって消滅できるものか!」と思いました。しかし、どうすればいいのか分かりませんでした。

 2002年から、大法弟子は次々と私がいる刑務所に収監され、私の管区にも1人が入りました。その同修に会って、私は自分の状況を教えると、彼は国内外の状況を話してくれました。また、個人修煉と、法を正す時期の修煉の関係を話し、持ち込んだ新経文を見せてくれました。『予測参照』に書いてある「師父がこの世で法を正す過程は、神々の角度から見れば、まさに死からよみがえる過程そのものなのです」[2] を見た時、師父は弟子のためにたくさん耐えておられるのに自分はこんなにも意気地がないと思うと、私は涙を流しました。そして、自分のすべきことが分かりました。つまり旧勢力の按排を否定して、修煉を続けて「正々堂々とした修煉者になる」ということです。

 私は刑務所と管区それぞれに声明文を書きました。以前私が書いた「煉功しない」の言葉は高圧な脅迫の下で書いたものであり、本心に反したもので無効であると声明しました。もう一度彼らに、法輪大法の素晴らしさ、私の修煉した後の変化を語って、法輪功修煉者を公正公平に扱って修煉を許可するように願いました。管区は私に厳格な監視と管理を行い、他の囚人と接触してはならず、家族との面会も許されず、減刑もできないと強要しました。このような迫害に直面して、私は恐怖心が生じてしまって刑務官に殴打され電撃されるのではないかと心配しました。

 そこで、絶え間なく発正念をしました。私は『正念』の経文を暗記して、心の中で黙々と繰り返し読んで、正念がますます強くなったと感じました。また覚えている『轉法輪』の言葉を心の中で読み返しました。そのように3カ月をかけてやっと恐怖心を除去して、「柳暗花明又一村」[3] の心境を体得しました。

 私は刑務官に、「自分の部屋で煉功することを許可してください」と願い、申し出ると、刑務所長は机を叩いて「許さないぞ」と叫びました。私は穏やかに「自分の部屋で煉功するのを許可しないなら、あなたのオフィスでやります」と言うと、彼はニヤニヤ笑って「じゃやってみろ」と言いました。私は床に座り、足を組んで印を結び静功をやり始めると、あっという間に入定しました。「立ち上がれ!」という声がとても遠くから聞こえていましたが、彼らの足で顔を蹴られて、鼻から血が流れてきました。それからも何度も何度も殴られたり、蹴られたりしたのですが、妙なことに全然痛みを感じることはなく、まるで殴られていたのは自分ではなかったようでした。

 そのまま座禅していましたが何の雑念もありませんでした。ドアが開いて、二人の囚人が私を部屋に連れ戻しました。鏡を見ると、顔が腫れて唇が切れて、胸元に垂れた血がすでに乾いていましたが、痛みを感じませんでした。師父が傍にいらっしゃって、「すべての痛みは、師父が私の代わりに耐えられたのだ」と分かりました。師父、ありがとうございます!

 私は管区の迫害に直面していたのですが、皆に真相を伝えて大法を証明しなければなりません。紙に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、法輪功に対する迫害を止めなさい」と書いて服の下に隠すと、工場内の広場に行きました。そしてすぐに、柱に紙を貼り付けました。私はそこで法輪功第1式の功法「佛展千手法」をやり始めました。広場には千人以上の囚人と、各管区の刑務官がいましたが、皆は貼り紙を見ながら「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、法輪功に対する迫害を止めなさい」と口々に言っていたのでした。

 そのことで、私は2週間余り独房に入れられ、その後別の管区に移されました。新しい管区では、学法と煉功は制限されなかったので、私はかえって「よかった」と思いました。そして「そこにいた大法弟子たちが環境を切り開いたからだ!」と分かりました。

 師父は、「修煉者が経験する試練は、常人にはとても耐えられないもので、歴史上、修めて圓満成就できた人はほとんどいませんでした。人間はしょせん人間であり、肝心なとき、なかなか人間の観念を放下し難く、かえっていつも何らかの口実を設けては自らを納得させようとしています。ところが偉大な修煉者とは、すなわち、重大な試練の中にあって自我を放下し、さらに一切の常人の考えを放下できる人です。わたしは、圓満成就できるかどうかという試練を乗り越えてきた大法の修煉者へお祝いの意を表します。皆さんの生命の不滅の永遠、さらには未来にいる次元までもが皆さん自身で切り開くものであり、威徳は皆さん自身が修めて出来上がるものです。精進しなさい。これこそ最も偉大にして、最も殊勝なことです」[4]と説かれました。

 その言葉を読むたびに、「精進していきたい!」という決心が強くなるのです。人生に恥じることなく、師の恩に恥じることなく、末後の暗黒な時を乗り越えて新しい宇宙の到来を迎えることができるように、この文章で同修たちと励まし合いたいと思いました。

 注:
 [2] 李洪志師父の経文:『精進要旨二』「参考としての予言」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [4] 李洪志師父の経文:『精進要旨二』「位置」

 (明慧ネット第24回世界法輪大法デー入選文章)

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/24/461096.html)
 
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