明慧ネットとの縁
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年8月2日】私は、ある同修が初めて明慧ネットにアクセスできた時のことを回想した記事を読んだとき、突如、青春時代に引き戻されました。

 1998年の夏休み、私はまだ大学3年生で、すでに法輪大法を3年間学んでいました。ある日、地元の通信局で偶然にもインターネットに無料で接続できるパソコンを見つけて、学校で学んだコンピュータの知識で、初めてインターネットに触れたのです。その後の数日間、私は暇があれば、そこへ行き、インターネットでいろいろなものを見ていました。そんなある日、検索を使って、香港の法輪大法のホームページを開きました。そのホームページを開くと法輪が回っているのが見えたので、感激したことを覚えています!

 1999年4月25日以降、国内の環境が緊迫化し、輔導点から師父の経文を入手することが難しくなり、インターネットで経文を入手することが主な手段となりました。当時、私は主にインターネットカフェでネットサーフィンをしていましたが、大法のウェブサイトはブロックされていなかったので、直接アクセスすることができていました。「法輪大法in北米」のウェブサイトが開設されると、私はそこをアクセスする主なウェブサイトとなりました。 

 1999年7.20以降、法輪大法に対して狂気的な弾圧、テレビや新聞など、メディアのでたらめな宣伝が絶えなかったのです。天安門広場では毎日、大法を守ろうとする大法弟子たちが迫害停止を求めに行っていましたが、逮捕されたり迫害を加えられました。その時から「法輪大法in北米」のサイトにアクセルすることができなくなり、私はどうしていいか分からず、今まで入手できた大法に関する本当のニュースが突然途絶えてしまいました。当時、私は夏休みになって、すでに学校を離れ、周りに同修がいなくなり、連絡手段もなく、大法のウェブサイトにアクセスする方法も知らなかったのです。ある日、偶然にも私は登録した263netのメールボックスに一斉配信のメールが届きました。大法のことについての真実の一部が書かれた中国語のメールでした。当時の私には宝物のようで、そのメールの最後には、プロキシサーバーを通してネット封鎖を突破することができると書かれていました。

 それで、私はネット封鎖を突破することを知りました。しかし、プロキシサーバーを通してネット封鎖を突破できることは知っていても、プロキシサーバーとは何なのか、どうやって突破するのか、まったくわかりませんでした。しかし、このメールは一筋の光のように私に希望を与えてくれました。 

 急いで夏休みを終え、予定より20日以上も早く学校に戻った私は、学校の近くのインターネットカフェに入り、プロキシサーバーを探し、インターネット封鎖を突破する方法を探しました。すぐに、匿名のプロキシサーバーを見つけ、封鎖を突破する方法を見つけ、法輪大法のウェブサイトが再び私の目の前に現れました。

 1999年9月の新学期が始まって間もなく、学校の先生たちは交代で私に修煉をやめるよう説得し、実家にいた両親を学校に呼び出して私を説得させました。大学の学業を続けるか、大法を学び続けるかという選択で、私は大法は良いものだと堅持し、修煉を放棄する誓約書は書きませんでした。それで、学校は私を退学させたので、両親は私を家に連れて帰りました。

 帰宅後、私は自分の信念を貫き、明慧ネットにアクセスし続けました。そこで、多くの大法弟子たちの法を実証する感動的な行いを目の当たりにしました! 1999年10月、私は家を出て天安門広場へ大法を実証する旅に出かけました。しかし、11月、父親が北京の駐在事務まで私を迎えに来ました。帰りの電車の中で寝ている時、空にたくさんの神仏が現れ、私は「空に神仏が現れている。みんな、見てごらんなさい」と叫び続けている鮮明な夢を見ました。目が覚めて「外へ出てきた人だけが、空に現れた神仏を見ることができ、出てこなかった人は見ることができません」。私には、この夢の意味がわかりました。

 1999年末、帰宅して間もなく、父の会社が父に仕事用のノートパソコンとプリンターを配布しました。あの時期にパソコンが配布されることは珍しい出来事ですが、まさに師父のご按排だと私にはわかっていました。それ以来、私は法を正す修煉の道を歩み始めました。

 その当時、インターネットは自宅の電話回線からアクセスしていました。私は毎日、ネット封鎖を破って明慧ネットにアクセスし、大法の資料をダウンロードして印刷し、地元のある同修に渡しました。その同修はそれをコピーしました。当時は常人向けの大法の真実を伝える資料ではなく、全国の大法弟子が大法を守る壮挙の行動や修煉体験が主な内容でした。 

 2000年6月、師父は明慧ネットで『心自明』と『圓満成就に向かって』の経文を発表されました。私はその日のうちにダウンロードし、地元の同修に渡してコピーしてもらいました。多くの同修がその経文をもらって、感激しました。

 その後、私は省の省庁所在地に行き、大法の資料を作ったり、ネット封鎖を突破して明慧ネットにアクセスする方法を同修に教えたりしていました。ある日、ある若い同修の家に行って明慧ネットにアクセスする方法を教えたとき、師父の新しい経文が発表された日でした。同修が自ら師父の「正念を発する時の二種類の手印」の写真を印刷できたとき、大法の資料を作れたことを誇らしく思ったと同時に、同修のそれまで見たことのない笑顔がとても印象深いものでした。

 2003年、私は自分の欲望に(インターネットでよくないビデオを見た)とらわれたことと、法理に対する認識不足で連行され、刑務所に入れられました。刑務所では暴力的な「転向」が行われ、私は大法に対する信念を揺るがされました。同修と接触することを避け、大法の本も読むことができませんでした。2009年、刑務所から家に帰った後、両親は私に対してあまり文句を言わず、私が人生をやり直すことを望んでいました。私の生活は常人と同じように平凡な日常生活を送るようになりました。 

 2010年にラジオを買って、ある海外の番組で「ネットを突破する三銃士」という言葉を聞き、よく聞こうとしましたが、それ以上の詳細は聞き取れず、漠然と壁を破るためのソフト(中国のネット規制を(VPNで)回避する)のことだとわかっていました。

 そして、私はパソコンを使って壁を破るためのソフトを見つけました。それが自由門(Freegate)というソフトで、明慧ネットにアクセスすることができると知りました。しかし、ソフトを開いて実行する前に、私は迷い悩みました。セキュリティを心配し、見つかることを心配しましたが、結局、長い間慣れ親しんだ明慧ネットを開くことにしました。 

 明慧ネットで同修の修煉体験を多く読んでいくうちに、私の正しい信念が蘇り、新たに修煉する勇気を与えられ、修煉の道に戻りました。私は同修を見つけて会ったり、法輪大法の真実が書いてある手紙を作り、印刷して郵送し始めました。ある晩、井戸に落ちたけど、井戸口まで登ると、誰かが引き上げてくれた夢を見ました。「師父は私を見捨ててはおられない」と分かりました。

 それから、私は毎日明慧ネットにアクセスする習慣を維持し、明慧ネットで世界中の大法弟子たちの修煉体験を読んで、私は励まされ、やる気が出てきました。大法弟子たちの身に起きた奇跡的なことも、私が持っている多くの常人の観念を打ち破ることができました。

 大法弟子にとって、明慧ネットは本当に重要で必要なものです。すべての大法弟子が明慧ネットにアクセスできるように、師父の要求される三つのことを実行できるようにと願っています。 

 ありがとうございます! 合掌!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/5/462663.html)
 
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