真に修め確実に修煉する大法弟子になる
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文/中国河北省の大法弟子  

 【明慧日本2025年3月24日】私は法輪大法の修煉を始めてから、もうすぐ4年になります。三つのことを行い続けているので、表面的には精進しているように見えます。しかし、私はまだ法に対する感性的な理解にとどまっており、多くの人心(執着)を手放せずにいます。これが修煉の道において、私の精進と次元の向上を妨げているのです。

 ある時、同修の蓮さんが都合がつかず、彼女の住む団地のコミュニティ主任の家のドアノブに、真相資料を掛けてほしいと私に頼んできました。というのも、この主任はいつも人を率いて大法弟子を嫌がらせに来ているからです。私は喜んで引き受けました。蓮さんは詳しい場所を教えてくれました。

 翌日、私は目的地へ向かい、集合住宅の右側の棟に入って三階へ上がり、左側の家のドアノブに真相資料を掛けました。

 翌日、私は蓮さんの家へ行き、二階に上がりました。蓮さんが真相資料を掛けたことについて話しながら、コミュニティ主任の家の壁に取り付けられたエアコンを指差し、「ここが彼女の家です」と教えてくれました。

 家に戻った後、私は何度も考え直しました。蓮さんが指差したエアコンの位置を思い浮かべると、どうしても違和感を覚えました。「やっぱり家を間違えた…! 別の棟のドアに掛けてしまった!」、実際に行くべきだったのは、右側の棟ではなく、左側の棟だったのです。

 この時、私は強い自責の念に駆られていました。「どうしよう…?」、この日、蓮さんがこの話をもう一度持ち出しました。これは決して偶然ではない、「もしかして、師父が蓮さんの口を借りて私に悟らせようとしておられるるのでは?」と思いました。

 「間違った場所に資料を掛けたのだから、すぐに補わなければ!」とそう思いましたが、すぐに別の思いもよぎりました。「でも、蓮さんに言ったら怒られるかもしれない…、がっかりされるかも…、こんな小さなことすらちゃんとできないなんて、情けないと思われるのでは…?」。私は結局、面子が邪魔をして蓮さんに本当のことを言い出せませんでした。

 3日目の午後5時、私は同修に週刊を届けた帰りに、信号のある交差点に差し掛かったところ、1台の乗用車が猛スピードで私の電動自転車に衝突しました。私は自転車ごと激しく投げ出され、お尻から地面に落ち、あまりの痛みに息もできないほどでした。

 私は心の中で「師父、助けてください! 師父、助けてください! 法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫びました。運転手は車から降りて、「大丈夫ですか?」と聞きました。彼は赤信号を無視したことを知られるのが怖かったのか、小声で話していました。私は迷わず「大丈夫です、行ってください」と答え、歯を食いしばりながら地面から立ち上がりました。

 家に戻ると、坐骨を痛めており、両方の腰骨もひどく痛み、左の肋骨と骨盤もずれてしまい、息をするたびに痛みが走りました。

 私はベッドに座りながら、何とか30分ほど坐禅をしましたが、どうしても耐えきれなくなり、足を組まずに学法を続け、夫に気付かれないように、痛みに耐えながら夕食の準備もしました。

 夜、ベッドに横になると、痛みで身動きすらできませんでした。そこで、私は正念を発し、自分を迫害するすべての黒い手・邪悪な要素・異なる空間の邪悪を取り除きました。

 翌朝の午前3時、煉功の時間になりました。私はベッドから必死に起き上がり、心の中で強く決意しました。「今朝は五式の功法をすべてやり遂げなければならない。もう師父に私のために業力を背負っていただくわけにはいかない」

 「法輪周天法」を煉功しているとき、しゃがむ動作をするたびに激痛が走り、動きも思うようにできませんでした。そのとき、師父の法が過りました。「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」(『轉法輪』)。師父の加持のもと、私は何とか第一式功法から第四式功法までをやり遂げました。

 最後に坐禅の時間になりました。坐骨と腰の痛みが激しく、最初はベッドの背もたれにもたれながら座りました。しかし、私は考えました。「私の命は、師父が生死の境から引き戻してくださったものです。それに、師父は私のために命の借りまで返済させてくださいました」と思った瞬間、私は痛みをこらえ、背もたれに寄りかかるのをやめました。気づけば、1時間の静功はあっという間に終わっていました。

 私は痛みに耐えながら食事を作りましたが、夫の態度は冷たく、さらにあれこれ文句をつけてきました。「今日は料理の香りが足りない」、「油が少なすぎる」、「塩が多すぎる」と、小言が止まりません。しまいには不機嫌そうな顔まで見せてきました。

 私たちは40年間一緒に暮らしてきましたが、彼がこんな態度を取るのは初めてでした。家の中の空気が重く、私の空間場も息苦しく感じました。さらに、この数日間、家のトイレが何度も詰まるようになりました。専門の業者に修理を依頼しても、なかなか改善しません。特に、私が使うときに限ってひどく詰まるのです。仕方なく夫に「また詰まったけど、どうしたらいい?」と聞くと、彼は不機嫌そうに言いました。「なんでお前が使うときだけ詰まるんだ?」

 私は突然、悟りました。今回の事故は決して偶然ではなかったのです。この大きな漏れは、私がコミュニティの主任の家のドアノブに真相資料を掛けたことに関係していました。

 私は自分の間違いに正面から向き合うことができず、隠そうとしていました。漏れをすぐに補うこともせず、面子の心に支配されて、ごまかそうとしていたのです。そもそも、私は心から彼女(主任)を救おうという慈悲の気持ちを持っていたでしょうか?

 あの主任も私たち大法弟子が救うべき衆生の一人です。もし彼女が真相を理解し、大法弟子を迫害することをやめることができたら、それはどれほど素晴らしいことでしょう。

 それなのに、私は自分が賢いと勘違いし、「誰にも言わなければ知られることはない」と思い込んでいました。これは、同修を欺き、自分を欺くことではないでしょうか?

 神佛は人の心を見ておられます。私は何度もチャンスを与えられていたのに、悟ろうとしなかったのです。その結果、旧勢力に隙を乗じられ、あのような大きな事故に遭わされたのです。

 悟ったなら、すぐに行動しなければなりません。そう考えた私は、すぐに封筒を買いに行き、真相資料を準備し、この漏れを一刻も早く埋め合わせることにしました。ちょうどこの日の夕方、蓮さんが訪ねてきました。私は正直に彼女に事情を話しました。「あなたが頼んでくれたことを、私はちゃんとやり遂げられず、それで、衆生を救う機会を遅らせてしまいました。だから、今すぐ補おうと思います」

 すると、蓮さんは私を責めることなく、「自分を責めることはない。できなかったら、もう一度やり直せばいいのです」と優しく言ってくれました。そして、蓮さんは自らその漏れを埋めてくれたのです。私は、自分と蓮さんとの修煉の次元の差を思い知り、まるで地面に穴があったら入りたいほど恥ずかしく感じました。

 大量に学法し、煉功し、内に向かって探すことで、師父のご加持を受け、私はわずか2週間で完全に回復しました。蓮さんは言いました。「今回の事故、あなたは法に基づいて対処しました。だから、こんなに早く回復できたのです」。本当にその通りです。もし私が常人だったなら、あの日、命を失っていたかもしれないし、あるいは半身不随になっていたかもしれません。師父の洪大な慈悲と命を救ってくださったご恩に、心から感謝いたします!

 法の中で自分を正した後、家の環境も一変しました。詰まっていたトイレはすっかり通るようになり、夫の険しかった表情も穏やかになりました。

 この大きな事故を通して、修煉の厳粛さを深く悟りました。これからは、修煉の道を歩む中で、人心・人の念・人の情を手放し、過ちを正面から受け止め、勇敢に認めることを心がけます。また、他人の欠点を通して自分を省みることを忘れず、師父の真の弟子として、真に修め確実に修煉する大法弟子になります。

 (文章編集:李明)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/15/491607.html
 
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