全体で助け合い 慈悲の心を修める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年3月23日】私たちの学法チームの同修は、師父の経文『目覚めなさい』を学んだ後、「ただ学ぶだけでは意味がない。師父の新しい経文を学んだ以上、その教えを実践しなければならない」と話し合いました。そして、師父の要求に従い、常に慈悲の心を持ち続けることを意識するようになりました。これからは、どんな時も穏やかで慈悲に満ちた心を保ち、悪念や怨みを根絶し、怒らず、感情的にならず、話すときは穏やかに、決して声を荒げず、もし心が穏やかで慈悲に満ちた状態でなければ、話したり行動したりせず、すぐに法理に従って心を調整してから動くと、私たちは決意しました。

 数日後、同修Aさん腕は肩にかけて腫れ上がり、指先までパンパンにむくんでしまいました。「何か不適切なことをしたのでは?」と尋ねましたが、Aさんは「特に思い当たることはない」と言いました。私は何気なく「前世の業かもしれませんね」と口にしました。すると、まるで師父が私を通して導いてくださったかのように、Aさんはすぐに笑顔になり、「これは良いことだ。前世の業を消す機会が得られたということだから、これで向上できる」と悟りました。その後、彼女はさらに修煉の意識を高め、実践にも力を入れるようになり、わずか1週間でほぼ回復しました。

 この出来事を通して、私たちは師父の説かれた法理を改めて深く理解しました。修煉の過程で遭遇するすべての出来事—良いことも悪いことも—本質的にはすべて良いことなのです。

 約1年前、同修Bさんは時々視力を失ったり、めまいを起こして倒れたりすることがありました。年末になると、彼女の夫(同修)は「長期の家政婦を雇おう」と提案しましたが、Bさんは「正念でこの試練を乗り越えたい」と言って反対し、結局、短い間だけ手伝いに来てもらう形になりました。

 ところが1か月ほど前、Bさんの症状がさらに悪化し、彼女の夫(同修Cさん)は心配のあまり、長男に状況を伝えました。もともと孝行者の息子はすぐに仕事を放り出し、母を車に乗せ、知り合いの病院へ連れて行きました。検査の結果、Bさんの血圧は240まで上がっていました。それを知った息子はショックを受け、「なぜもっと早く教えてくれなかったか!」と責めつつ、最善の治療を強く勧めました。そして、薬を取りに行き、水を用意し、母がきちんと薬を飲むのを見届けた後、服薬方法や注意事項を何度も確認し、ようやく仕事に戻っていきました。

 そのとき、Bさん夫婦は「修煉をもっと強めなければ」と考え、「これからも外に出て真相を伝えたい」と決意しました。また、息子や孫たちの「過度な心配」にどう対処するかも考えました。

 私は、すでに80歳以上のBさん夫婦を前にして、「これは私たち全体が向上する機会ではないか」と感じました。師父は法を通して向上することが最も重要だと説かれています。であれば、私もBさんが法の上で早く向上できるよう助けなければなりません。たとえ嫌がられても、法に対して責任を持つべきだと思いました。

 私はBさんの不足している点を考えました。すると、彼女の表情が冷たく見えることがあり、それが無意識のうちに周囲に影響を与えていると気づきました。「相は心より生じる」という法理に基づけば、表情の冷たさは心が十分に善に満ちていないことを示しています。師父は『洪吟五』の「信仰とは何か」で、「善のない心は、魔性を強くさせ」と説かれています。つまり、冷たい表情は魔性を引き出し、心の状態を悪化させ、ひいては身体や精神に悪影響を及ぼし、病気や災難を招く可能性があるのです。

 これは重要なことなので、すぐにBさんと交流しました。「私たちは教師として長年生徒を指導してきたため、無意識に抑えつけるような態度が染みついています。生徒に甘えを許さないために、あえて厳しく接し、冷たい態度を取ることが当たり前になっていました。さらに、党文化の影響もあり、生徒を従わせるために彼らの欠点を指摘し、厳しく管理することが習慣になっていたのです。その結果、表情が冷たく、言葉もきつくなり、善の心を十分に持てないまま今日まできてしまいました。しかし、私たちは修煉者です。善の心を修め、慈悲の心を育むことこそ、今すぐ克服すべき課題なのです」と。

 Bさんは深く共感し、「こんなに素晴らしい大法と師父がおられるのだから、変われないはずがない。絶対に改める!」と強く決意しました。その瞬間、私は「彼女は必ず病業の関門を突破できる」と確信しました。私はさらに続けました。「今は真夏で、外に出る人も少ないから、無理に外で真相を伝えようと焦らなくてもいいのです。今は家で学法と実修に集中し、まずは表情を和らげることを意識しましよう。心の底から楽しくなるまで話さず、行動しないことです。私たちはこれほど素晴らしい師父と大法を得ているのですから、本来、喜びが尽きることなどないはずです。もし常人が『なんだかいつもニコニコしているね』と皮肉っても、それを気にする必要はありません。彼らは、私たちが冷たい表情を改め、党文化を取り除き、慈悲の心を修めようとしているとは知らないのですから……」。そして、この取り組みはBさんだけでなく、私たち全員が実践すべきことだと提案しました。

 本来なら、私はもっとBさんが病業を突破するのを手伝うべきでした。しかし、彼女は「自分でやり遂げたい」と強く主張し、助けを求めませんでした。そこで、同修たちはそれぞれの家で彼女に向けて発正念をしました。ある者は彼女を思い出したときに発正念し、またある者は料理をしながら、掃除をしながら、心の中で彼女のために正念を送り続けました。

 翌週の学法の日、部屋に入ると、Cさんが開口一番、「妻は本当に変わったよ、すごく良くなった」と嬉しそうに報告してくれました。Bさんも、「夫が家事を全部引き受けて、きちんとこなしてくれているの。それだけじゃなく、学法やインターネットでの修煉の取り組みも、とても順調よ」と話しました。猛暑の中でも、Cさんは苦労をいとわず、同修たちを探し回り、Bさんのために必要な携帯電話を整え、修煉の障害を取り除く手助けまでしてくれました。さらに、Bさんは率直に自分を振り返り、真摯に内に向かって探し始めました。私は改めて、「なんと素晴らしい同修たちなのだろう」と思いました。

 学法の後、いつものように法理について交流し、私も自分の悟ったことについて「師父は私たちに『内に向かって探す』ことを教えておられます。それは、法理に自分の内面を照らし、身も心も法にそぐわない部分を正すためです。もし、私たちの身・口・意がすべて法に沿うようになれば、法に反するものは自然と消えていきます。そうなれば、病業もまた自然に消えていくのです」と伝えました。これを聞いたBさんは「本当にそうね、もっとしっかり自分を見つめ直さないと」と頷きました。

 次の週、学法の場に新しい顔が加わりました。Cさんの姪で、以前は熱心に修煉していましたが、ある事情で精進できなくなっていた同修です。彼女を連れてきたのはBさんでした。「彼女がこのまま取り残されてしまうのが心配で、何も求めずに、とにかく一緒に学法し、煉功するように誘ったの」と話しました。Bさんの思いやりと誠意を感じ、私たちも心から嬉しく思いました。

 帰宅途中、私は以前、Bさんが少しきつい言葉を発したことを思い出しました。そのときは他の話題に気を取られ、指摘するのを忘れてしまっていました。内に向かって探してみると、自分にも同じようなところがあると気づきました。「次回の学法のときは、このことを忘れずに、皆で言葉を修めることの大切さを確認しよう」と心に決めました。

 翌週、学法の場でBさんの様子を見ると、明らかに変化がありました。表情が柔らかくなり、穏やかで調和のとれた雰囲気をまとっていました。学法の後、血圧を測ると、以前の240から193まで下がっていました。私は驚いて、「この猛暑の中、たった21日でここまで下がるなんて、本当にすごいね!」と言いました。すると、Bさんは微笑みながら、「師父と法のおかげよ! それに、こんなに多くの同修たちが努力してくれたからこそ、ここまで来られた」と答えました。その言葉に、私たちは改めて感謝と感動を覚えました。

 今日までに、Bさんの血圧は160まで下がりました。それだけでなく、学法に集中できるよう師父に「目を守ってください」と願ったところ、視力も大幅に回復しました。私たちは、法の上で全体が向上し、共に昇華する喜びを実感しました。そして、心性を修めることの大切さを再認識するとともに、互いに助け合うことの重要性を改めて悟りました。

 その日、私は以前から考えていたことを皆に伝え、「言葉の使い方に気をつけましょう」と呼びかけました。そして、言葉を慎むことの重要性について交流しました。「言葉は心の反映です。心と口はつながっており、言葉を正しくできなければ、心も正しく修めることはできません。さらに、『禍は口から出る』とも言うように、不用意な一言が大きな影響を及ぼすこともあります」。皆、深く頷き、日々の修煉で言葉をより慎重に扱うことを心に誓いました。

 7年前、私は家を購入し、改装し、引っ越す過程で法に沿わない行動をしてしまい、その影響で腰や脚に痛みが出るようになりました。特に足の痛みがひどく、煉功するのもやっとの状態でした。何年も内に向かって探しましたが、なかなか根本的な原因に気づけずにいました。しかし、「執着に囚われて、やるべきことを遅らせてはいけない。法に従って正しく行動すれば、自然と間違いも正されるはず」と思い直しました。そして、私が心からBさんの向上を助けようとしたその晩、突然、右膝の裏がズキズキと痛み始めました。「あれ? 新たな症状が出るなんて…?」と一瞬思いましたが、すぐに「いや、これは良いことだ!」と思い直しました。

 翌朝の煉功中、驚いたことに、長年続いていた足の痛みがすっかりなくなっていました。それだけでなく、毎年夏になると腫れて水疱ができていた太ももの部分まで、完全に治っていたのです! これこそ大法の偉大な力であり、師父の慈悲深いご加護でした。この経験を通して、私は改めて悟りました。「同修を助けることは、自分自身を高めることでもあり、互いに救うことでもあるのだ」と。さらに深く理解したのは、修煉において最も大切なのは、心が法にあること。執着を持たず、やるべきことをしっかりとやり遂げること。求めるのではなく、ただ実践すること。それこそが真の修煉であり、無欲の境地にこそ、計り知れない得があるのです。重要なのは、私たちが実際に行動し、そこまで歩んでいけるかどうかです。

 これまでの修煉の道を振り返ると、私たちが一歩前へ進むたびに、師父の慈悲とご加護があったことが分かります。私たちが向上するたび、私たちが成し遂げたことのすべてが、師父の慈悲なる救い済度の賜物なのでした。これほど偉大な師父に巡り会えた私たちは、何と幸運なのでしょう! もし修煉を怠り、精進できなかったなら、それは計り知れない悲しみです。だからこそ、私たちは「やるべきことをやり遂げる」しかないのです。実践を通して、修煉においては心が慈悲に満ちていればいるほど、その効果はより良く現れるということが、すでに証明されているのです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/17/485914.html
 
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