明慧法会|精進して恒心を持ち前へ進めば師父のご加護がある(一)
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文/四川省の大法弟子

 【明慧日本2022年11月30日】私は1998年に法輪大法を修煉し始めた76歳の女性大法弟子です。現在(訳注:2021年11月)までの道のりで、さまざまな苦労や魔難を経験したこともありましたが、師父の慈悲深いご加護の下、総じて言えばおおむね穏やかで順調でした。

 一、師父は苦しみから救いだして下さり、正念と正行で法を実証する

 修煉前、私は先天的に障害を持って生まれてきたため、強い劣等感を抱いていました。当時、足が変形・萎縮して歩行が非常に困難で、神経が麻痺して思考が鈍く、筋肉痛がひどく、内臓が未発達で弱り、内分泌障害で体の痛みやむくみがひどく、それを解消するために睡眠時間が長くなりました。10代の時に学校から省立病院に強制的に送られ、がんの大手術を強要され、さらにクラスメイトに術後数日しか生きられないと説明され、人生の前半にさまざまな理由で何度も死の脅威に遭ってきました。

 たとえ仕事がうまく行っても、誰かに嫉妬され、誣告され仕事を打ち切られました。しかし、正しいことをしたので、誣告は解消され、関係者は罰が当たったのですが、当時の私に大きな被害をもたらしました。当時、私がどれだけ生きづらかったか、想像つくでしょうか! 天も地も人も、みんな私の命を狙っているようでした。しかし、無料で占ってくれた人が私に「あなたを見守ってくれる人がいる、あなたは死なないし、今後、衣食住に困ることはありません」と言いました。そして、私の人生は周りの人にとっても良いものだ、と言いました。それを聞いて私は、どんなに苦しくても生きなければならずこのような苦しみを耐え忍ばなければならない、と思いました。そこで私は生命が好転する日を待つことにしました……。

 1997年、長年音信不通だった故郷の同級生が私を見つけ、私に大法の修煉の道を歩き始めさせてくれました。繰り返し法を学ぶうちに、慈悲深い師父が私を加護して下さり、私の人生を変え、大法の修煉に入らせてくださったことがわかり、私は師父が衆生を救い済度することをお手伝いするという使命を果たすためにやってきたことを理解しました。

 大法を修煉した後、私の身体は基本的に正常な状態に戻り、心は浄化されて向上し、今まで感じたことのないような幸福感を感じました。

 師父は「人が世に来たのは法を待つため 善者は天に戻り、家へ帰る 輪廻転生して千百年 世に来たのはこの一回のためである」[1]と書かれました。

 師父は「一切の功、一切の法はすべて本の中にあり、大法を通読すれば、おのずと得るのです。学ぶ人は自然と変化して、繰り返し通読すれば、すでに道の中にいます。師の法身は必ず静かに護り、ずっと続けていけば、いつの日か必ず正果が得られるのです」[2]と説かれました。

 師父が私に与えてくださった修煉の機縁を大切にし、大法を堅く修め、大法を実証し、歴史的使命を果たしていきたいと思います。

 私は二十数年来、師父が要求された三つのことと、『轉法輪』を2~3講読み通すことを基本的に毎日続けています。毎日『轉法輪』を通読し、他の説法を学び、法に溶け込んで浄化され、絶えず正念を確固とし、人が私に対して言う「あなたは修煉という柄ではない」、「あなたは圓満成就まで修めることができない」、「あなたの後ろには楼台亭閣はない」等の主張を排除し、思想業力による重大な妨害を排除し、師父にお任せしていることだけを固く信じ、師父を信じて師父が要求されたことだけを行いました。師父が私に修煉を始めさせてくださったことは大変光栄なことであり、もっと法を学び、自分をしっかりと修め、もっと多くの人を救ってはじめて、師父が弟子のためにしてくださった大きな費やしに見合うのであり、私はほかには何一つ求めていません。

 大法を実証し衆生を救うことは、私が毎日必ずやらなければならないことです。修煉後は、健康な体で大法を実証するようになりました。人は目で見たものが確実だと思う習慣があります。私は、自分が大法の修煉でいかに恩恵を受けたかを人々に伝えました。昔の友人や同僚に会った時の第一声は、ほとんどの場合「どうしてそんなに若く健康になったのですか?」という驚きの質問でした。私は、法輪大法は高徳な佛法であり、病気治療と健康保持に不思議な効果があること、共産党がなぜ法輪功を迫害しているのかを伝え、昔の友人や同僚に「佛法は無辺であり『法輪大法は素晴らしい』と念じれば、災いを取り除き困難を排除することができる」と伝えました。異論がなければ、私は昔の友人や同僚にお守りをあげました。昔の友人や同僚は基本的にすべてを受け入れてくれました。

 面識はないが縁あって話す機会があり、特に金品を要求してきた人に対して「法輪大法は素晴らしいと念じれば病気が治り、福報を得る」と、自分の病気治療の例を挙げて説得しました。私を観察した後、ほとんどの人はすぐに私の後に続いて「法輪大法は素晴らしい」と念じました。

 2020年の新年を前に、私が大法を紹介した若い店主は、すぐに「法輪功の本を読みたい」と言いました。私がその若い店主に本を贈った時、店主は学力試験を控えていましたが、すべて受け入れ、実名で「三退」しました。

 何年も前、警察に連行された時、私は法輪功がいかに私を重度の障害者から健常者に変えたかを話し、警官たちの私に対する迫害を否定しました。調査の結果、私が言ったことが事実であることがわかり、私に対する迫害は軽減され、その日、ある署長が私の家族に謝り、警察は二度と私のところに来て騒ぎを起こさなくなりました。

 今でも歩く時に足に力が入らないので時々転びますが、これまで一度も怪我をしたことはありません。夜7時に一度、4階の踊り場から3階に落ち、2回転してそのまま長年私を無視していた3階左側の同僚宅の金属製のドアに、庭にいる人にまで聞こえるほどの大きな音がして落ちたことがありました。その同僚の家族は、怖くてドアを開けて様子を見ることができなかったそうです。私が倒れたことを知り、みな私が死んだかもしれないと思い、翌日、外出先で同僚に会うと、同僚たちは私に「倒れたのに、なぜ家で休んでいないのですか?」と聞きました。私は「私は法輪功を修煉しており、師父に守られていますので、全く怪我をしませんでした」と言い、袖をまくり上げ、体を叩いて見せると、同僚たちはみな驚いていました! 特に、私がドアを壊した同僚は、最近の家族居住区域の取り壊しの際に、何度も挨拶にきて「安全第一に、口を慎むようにしてください。解体業者は、以前からあなたの言動に注意していました」と声をかけてくれました。その同僚が心の準備をさせてくれたので、解体業者の問い合わせにも問題なく対応することができました。

 師父は私に健康な体を与えてくださいました。このことによって私は大法の奇跡を実証し、恩恵を受け、身近な同僚を正しい位置に置くことができました。

 二、解体業者の作業員が真相を聞く

 2019年10月、私が住んでいた家族寮が取り壊されることになり、そのための正式な打ち合わせが行われることになりました。その打ち合わせの直後、街道(訳注:役所)出張所の主任が、社区の主任を連れて、私に会うために私の自宅を訪ねてきました。私は街道出張所の主任と社区の主任に体調はどうかと聞かれました。私は「私は毎日鍛錬していますので、ずっと健康です」と言いました。健康であれば問題ないとのことで、取り壊しについて問題はないかと聞かれました。最近、解体を成功させなければならないと発表があったので、私は修煉者であり、金銭的補償を得られるのは私だけであり、まず自分の立場を表明しなければならないので、利益心を放下し、争わず、私の家に問題はなく、私が世帯主であり、私がすべてを引き受け、期限内に必要な契約を結ぶと伝えればよいだけでした……。

 私が解体業者が思っているよりずっと元気で、落ち着いて話しているのを見ると、解体業者は満足して、私の邪魔を一切せずに帰っていきました。

 2020年1月16日の朝、予定通り解体工事契約書一式にサインをするために夫と解体工事事務所に行くと、作業員が突然、解体工事事務所の所長と街道の書記を連れてきました。20人近い作業員の前で、この書記は笑顔で私に「70代には見えず、血色が良く顔がつやつやで、顔にシワがありません! 私の父はあなたより少し年上なのに、大病を患っています!」と言いました。そして、知っていながらわざと私に「どうしたらそんなにうまく健康を維持できるのでしょうか?」と聞きました。人が多く、主任も何人かいて、制服を着ていない警官も何人か座っており、私は「毎日の鍛錬を続けているからです!」と言いました。

 街道の書記はさらに「どのように鍛錬しているのですか?」と問いかけてきました。その場にいた人たちの顔を見て、私は躊躇しましたが、修煉していない夫が、私に代わってその書記に「彼女は法輪功をしっかり修煉しており、本当に法輪功をしっかり修煉しています」と言いました。続いて、私が大病を患ったこと、そして法輪功で回復したことを説明し、その書記は話を聞きながら、視線を私の方に向け、納得したようにうなずき、周りの人たちもみな静かに聞いていました。夫が言い終わると、その書記は微笑みながら、結論付けるように「健康であることはいいことです!」と言いました。その場にいたすべての人から、特に変わった反応はありませんでした。後日、再び事務所に行った時も、とても親切に対応してくれました。

 三、同修と協力して真相を伝え人を救う

 同修が真相を語るには、資料が必要であり、中には「真相の資料を手に入れるのは簡単ではない」と感じている同修もいました。これも人を救う私の使命の一つだと師父が按排なさったのかもしれないと思い、同修に資料を送ろうと思いました。同修はしっかりと行っており、どの同修がどの資料を必要としても、法輪功に関する文言を印字した紙幣の両替を含め、距離や金額に関係なく、資料拠点から一刻も早く資料を送ることに長年全力を注いできました。

 中共ウイルスの流行が始まってから、さらに何人かの同修に資料を届けるように依頼され、資料のピックアップと配布に追われていましたが、この特別な時期に大法の真相と、中共ウイルスの流行時にいかに救われるのかをより多くの人に理解してもらうのは、人を救う最高の機会でした! ですから、私はとても嬉しく、修煉者ではない夫に協力してもらい、それぞれの同修の需要に合わせて資料をうまく分けました。

 このプロジェクトを行うことは大変な仕事です。経済的にも厳しいし、最大の問題は、いつも身の危険があることでした。食料や燃料すら買ったことがなく、歩くのも困難な私にとって、これは大変なことでした。心理的プレッシャーが大きい時は「万古の艱難は只今回の為だけである」[3]という師父の法を暗唱しました。どんなに大変でも、どんなに疲れても、どんなに苦しくても、行わなければなりませんでした。師父のご加護があり、誰にも妨害されませんでした! しかも行うだけでなく、うまく行わなければなりません。

 資料を背負って歩けなくなった時、師父にご加護をお願いすると、リュックが軽くなり、疲れなくなった気がし、空っぽのバッグを持って歩いて帰る時は、今度は歩けないような感じがし、バスに乗ると、足に問題があることを他の人に見抜かれ、席を譲ってもらうことがよくあり、師父のご加護と按排に心の中で感謝しました。

 同修から「ずっとこのように行っていて疲れませんか? どのように堅持するのですか?」と聞かれました。そしてここに書いたことが私の答えでした。

 資料を届ける過程で、電話で話したり相談できない特別な事情が発生することもあり、その時は流れに身を任せるしかありませんでした。一度、法輪功に関する文言を印字した紙幣の印刷を手伝ってもらうために街の外に出ようとしたのですが、一時的に行くことができず、ちょうどある同修が街の外に行くことになっており、小額紙幣をきちんと束にして包みましたが、直接は数えず、合計金額だけを伝え、それを同修に渡すと、同修は急いで持って行きました。合計額が大幅に下回っていることに気づいたのは2時間後で、私はあわててお金を届けた同修に電話をして、お金を数えてから印字を担当している同修に渡すように頼みましたが、同修は、すでにお金を数えずに渡してしまった、と言いました。私は数年前から街の外の同修と連絡を取り合っており、その同修たちはお金を一カ所に集め、それを何人かに分けてプリントし、申告してきた金額に応じて各地に分配していました。

 街の外の同修の方で数え、私が言った金額を同修たちに渡さなかったと同修が言ったのを聞き、私は「この大金は戻ってこず、前の晩に5000元を落とした夢を見たことを思い出したのに、なぜ気を引き締めて金額をしっかり数えなかったのか? 何も言わずにこの資料作成費としての大金をみんなのために寄付しよう」と思いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「世に来たのはこの一回のため」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「師を拝む」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「只今回の為だけ」

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/10/433253.html)
 
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