文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年1月13日】(前文に続く)
3回派出所に行って証明書を発行してもらう
姉の弁護のために親族として弁護する必要があり、派出所で証明書を発行してもらう必要がありました。
初めて派出所で証明書をもらいに行くことになり、私はびくびくして、とても恐ろしかったのです。派出所のような場所には本当は行きたくなかったのですが、姉のために仕方なく覚悟を決めて行きました。派出所の戸籍係に着き、用件を説明すると、20歳くらいの女性に待つように言われました。彼女は分厚く、黄ばんだ手書きの帳簿をめくり始め、一生懸命探して、やっと見つけるとコピーしてくれました。私は証明書を持って派出所を出ると、その時、やっとほっとしました。
私は、その証明書を裁判官に渡しました。しかし、裁判官はその証明書を見て「これにはあなたたち2人が親族関係だとは書いていない。これではだめだ」と言いました。
私はそれを聞いてしばらく呆然としてしまいました。私にはどうすれば裁判官が納得する証明書を取得できるのかが分かりませんでした。どうすればいいのでしょうか? 仕方なくもう一度派出所へ証明書をもらいに行くことになりました。私が身分証を出すと、前回証明書を発行してくれたあの女性が私を一瞥して「前回、発行しましたよね?」と言いました。私は「裁判官がこれではだめだと言ったのです。私たち2人の親族関係が書かれていないから、だめだと言われました」と答えました。
女性は、他の人にはいつもこうやって発行していると言いました。私は「裁判官の要求が通常のやり方とは異なっていても、裁判官の要求に従うしかないのです」と言いました。女性は仕方なくまた以前のあの分厚くて重たい書類の束を探しに行き、またコピーを1枚くれ、私たち2人の関係を書き加えてくれました。私は女性にお礼を言い、ほっとしました。
再度証明書を裁判官に提出したところ、彼女はその証明書を見て「だめです。これに押されている印鑑が不鮮明で、誰が押したのか分かりません。それに、職員2人の署名も必要です」と言いました。私はそれを聞いて、なんて面倒なのだろうと思いました。これは明らかに私を困らせて弁護人をさせないようにしているのだと思いました。
私は、自分に何か人心があるのではないかと考えました。そして、はっきりとわかりました。私には面倒を避けたいという気持ちがありました。そこで私は、「私はこの人心は要りません。私が弁護するのは、大法を実証し、法廷にいる人々に真相を理解させ、彼らを救うためです。どうか師父のご加護をお願いします」と強い正念を発しました。
しばらくすると、私は師父が空中で私のために二つの大きな文字「成就」を顕現してくださったのを見ました。「ああ、理解しました。師父は弟子を成就させるために、私を試しておられるのだ!」と気づきました。夜に座禅をしていると、体がふわふわと軽く感じ、法輪が私の体の上で左に回ったり右に回ったりして、とても心地よく、言葉では言い表せないほど素晴らしい感覚でした。師父の弟子への励ましに感謝申し上げます。弟子は必ず師父の期待を裏切らないように精進いたします。
裁判当日の午前中、裁判官から電話があり、開廷するので証明書を再度用意するようにとのことでした。私は「分かりました」と答え、再び派出所へ証明書を取りに行きました。今回は、良くない人心を全て捨て、ひたすら「全ては師父が私のために按排してくださったことであり、私はただ実行するだけだ」と考えました。派出所へ行き、以前対応してくれた若い女性を探しましたが、別の職員にまだ来ていないと言われたので、しばらく待つことにしました。
待っている間に、その職員にこれまで2回証明書を取りに来た経緯を説明しました。「裁判官が押されている印鑑がはっきりしないと言ったのです」と伝えると、職員は「それは裁判官があなたを困らせているのよ。この印鑑は特製の銅製で、電子印鑑のようにくっきりとは刻印されないの。銅製だから、どうしても印影が不鮮明になるのよ」と言いました。私は「それも分かっています。私たち一般庶民は裁判官の管轄下にあるので、どうしようもないのです」と答えました。そして、職員に頼み、もう一度印鑑を押し直してくれるようにお願いしました。家族が法輪功を修煉しているために不当な判決を受け、私がその無罪弁護をしなければならないことを話しました。
職員はそれを聞いて、私たちにとても同情してくれました。しばらくすると、例の若い女性がやって来たので、その職員が彼女に、私のためにもう1部発行するようにと頼みました。若い女性はとても不承不承で、文句を言いながらも、私が「どうかお願いします。これは人命に関わる大事なことで、きっと良い報いがあります」と頼むと、仕方なくまた探しに行きました。書類を見つけると、私に隣の印刷屋でコピーするように言いました。私は急いで2部コピーし、1部は自分の控えとしました。コピーが終わると、その職員に印鑑を押してもらうように頼みました。今回は、職員が力を込めて印鑑を押しましたが、それでもはっきりしないと思ったのか、さらに横にもう一つ印鑑を押しました。私が「裁判官は証明人2人の署名も必要だと言っています」と言うと、職員は横にある職員の名札を指さしたので、私は2人の職員の名前を署名し、これで証明書が完成しました。
午前中に裁判があったので、私は急いで証明書を持って留置場へ裁判官に会いに行きました。裁判官はすでにそこで待っていました。私は証明書を持って裁判官に渡すと、彼女は証明書を見ても何も言わずに私に中に入るように言いました。こうして私は堂々と留置場に入り、姉のために無罪弁護をすることができました。
執行部門の局長に三退を勧める
裁判所では毎週月曜日が陳情を受けつける日でした。人々の来訪を受け付けているので、私たちは控訴を契機として裁判所の幹部に情況を伝えるようにしました。
ある日、いつものように裁判所へ行くと、当日の当番の幹部が(裁判所の)執行部門(訳注:判決を執行する専門部門)の局長だと分かりました。私たちはロビーで発正念をしました。発正念が終わってから、私と同修のAさんが真相を伝えに行き、同修のBさんはロビーで発正念をしました。中に入ると、執行部門の局長に何の案件かを聞かれたので、私は法輪功の案件だと答えました。局長はそれを聞くと、少し落ち着いた様子で、何年も前にこの手の案件に携わったことがあると言いました。私たちはどのように対応したのか尋ねると、局長は「当然、有罪判決だ」と答えました。
私たちは局長に共産党の成り立ちの歴史、江沢民がどのように中国共産党(以下、中共)を利用して法輪功を迫害したのか、法輪功が世界百カ国以上に広まり、全世界の人々が恩恵を受け、無数の褒賞を受けていることなどを話しました。局長は私たちが話したことのすべてを認めました。私たちはまた「今は中共を捨て、その組織から脫退する時です。中共に付き従って犠牲にならないでください」と言いました。局長は何も言わなかったので、同修のAさんが少し焦って「中共は法輪功を迫害しています。天が中共を清算しないわけがありません。今の疫病は中共と足並みを揃えている人々を清算するために來ているのです。早く中共の組織から脫退してください。あなたに仮名をつけますから、脫退しましょう。心からあなたのためを思っているのです!」と言いました。
局長は私たちが本当に局長自身のためを思っていることを理解し、頷いて「分かりました。今後何か必要なことがあれば、私のオフィスに電話してください」と言いました。私たちはとても安堵し、また一つの生命が素晴らしい未来を選んだことを感じました。
その後、私たちは駐在紀律検査グループ(訳注:特定の組織や機関に派遣され、その組織の規律違反や不正行為を調査・監督する部署)のグループ長にも会いいました。私たちは自分たちの案件について話しました。グループ長たちは皆、私たちに同情してくれました。
メンツを重んじる心を放下する
案件はすでに数カ月も過ぎたのに、何の進展もありませんでした。そこで私は裁判官に電話をかけ、いつ開廷するのかを尋ねると、彼女は通知を待つように言いました。数日後、私が再び電話をかけると、裁判官は電話に出なくなりました。私は「きっと自分にどこかよくできていない点があるのだろう」と思いました。そして悟ったのは、私が慈悲心を持って裁判官に接していなかったこと、友人のように裁判官に接していなかったことでした。
そこで私は裁判官の助手に電話をかけ、なぜ裁判官が私の電話に出ないのかを尋ねました。すると助手が「あなたたち(海外の同修を指す)が私たちのオフィスの電話にひっきりなしにかけてくるので、私たちの業務に支障が出ているのです」と言いました。そういうことだったのかと分かりました。海外の同修の協力に感謝します。裁判所側がより多くの真相を知る機会を得られたのは、海外の同修の皆さんのおかげでした。
翌日、私たちは裁判所の入り口に着きました。中共ウイルス(訳注:新型コロナウイルス)発生期間のため、中に入るにはPCR検査が必要で、私たちは中に入ることができず、外で発正念をしました。しばらくすると、黒雲が湧き上がり、まるで今にも土砂降りの雨が降り出しそうな空模様になりました。私は携帯電話を取り出し裁判官に電話をかけました。すぐに電話が繋がり、裁判官が「どなたですか?」と尋ねるのが聞こえました。私が自分の名前を言うと、裁判官は「何か用ですか?」と聞きました。私は「特に用はありません。ただ、あなたに謝りたかったのです」と答えました。裁判官は「何を謝るのですか?」と尋ねました。私は「今日は心からあなたに謝罪します。私たちはすでに何度か会っていますが、私の言い方が悪かったところや、至らなかったところがあったら、どうかお許しください。私はあまり口が上手くないので、もしあなたを怒らせてしまったのなら、どうかお許しください。どうか法輪功の真相をもっとよく知って、自分のために素晴らしい未来を選んでください」と言いました。最後に私は裁判官と裁判官の家族全員の幸福と平安を祈りました。裁判官は私の言葉がとても誠実なのを聞き取ると相槌を打って電話を切りました。
私はとてもうれしくなりました。裁判官が私の謝罪を受け入れてくれたからです。私はとてもプライドが高く、メンツを重んじる人間ですが、裁判官が救われ、大法を認めることができるように、私はメンツを重んじる心を放下し、大法弟子としての風格を示しました。しばらくすると、黒雲に覆われていた空がたちまち快晴になりました。
二審の公判(訳注:公開の法廷で行われる裁判)
二審の開廷前日、私たちは一緒に裁判所に行きましたが、感染症の影響でやはり中に入ることができず、外で発正念をしました。同修のAさんが裁判所の門の内側に、何らかの役職についていると思われる人が立っているのを見つけ、その人に挨拶をし、世間話を始め、彼に法輪功の真相を伝えました。彼はそれを聞くとすぐに「2人いるのではないですか? その中には高齢の方もいて、明日には開廷です」と言いました。
この知らせを聞いた同修のAさんは、すぐに私たち2人を呼び寄せ、もう一度詳しく事情を聞きました。二審が開廷することを知り、私たちはすぐに徹夜で親族の弁護陳述書(訳注:被告の無罪を主張するために被告人の親族、友人、知人などが裁判所に提出する文書)を準備しました。翌朝8時、裁判官から、留置場で開廷するという電話連絡がありました。私は師父がずっと私たちを見守ってくださっているのだと分かりました。
覚えているのは、その日はまぶしいほどの日差しで、とても良い天気だったことでした。私は青いシルクのブラウスを着て、姿勢を正しくして、軽い足取りで歩きました。同修たちは事前に留置場の近くで発正念をしました。私はこれもまた正邪の大戦であり、天の神々が私たちを助けてくださっているのだと思いました。9時10分、裁判官と裁判官補佐がチームを率いて留置場の門まで歩いてきて、私の名前と同修の家族が雇ったもう一人の弁護士の名前を呼び、一緒に留置場の中に入りました。
9時半に正式に開廷し、事前に裁判官たちは事務的な手続きとして、まず検察庁の人員が公訴を提起し、法廷でいわゆる「証拠」を読み上げ、その後、弁護士と親族が弁護を行いました。しかし、同修の家族が雇ったもう一人の弁護士が減刑弁護をしたので、私の思考は一瞬混乱し「姉も自分が有罪だと思っているのではないか? それでは私は無駄足を踏んだことになるのではないか?」と思いました。その時、裁判長が私の名前と職業を尋ねたので、私は一つ一つ答えました。裁判官は弁護人に弁護を始めるように言いました。私は「上訴人に一つ質問があります」と言いました。裁判官は「どうぞ」と言いました。私は姉に「あなたは罪を認めますか?」と尋ねました。姉は「私は罪を認めません。私は法律を犯していません」と言いました。この時、私の心は初めて落ち着きました。私は準備しておいた弁護陳述書を取り出し、弁護を始めました。
私は大声で「裁判長、裁判官の皆様、私は上訴人の親族であり、法に基づき委託を受け、その弁護人として法律を学び、本件で明らかになった事実を調査した結果、以下の弁護意見を述べます。1、上訴人の行為は社会的危険性を有していません。犯罪行為とは、社会的危険性を有し、かつ刑法に基づき刑事責任を追及されるべき行為でなければなりません。本件の上訴人は法輪功の修煉者であり、真・善・忍の基準に従って善い人であろうと修煉しています。法輪功の修煉者は、真実を語り、嘘偽りのないことを行い、誠実で信用を重んじ、人に親切にし、何事も他人のことを考え、他人とトラブルが起こった場合は自分に原因を探し、殴られても殴り返さず、罵られても言い返さないようにしています。彼女たちの行為は、いかなる社会的危険性もないだけでなく、社会にとって百利あって一害もありません。信仰の自由は公民の憲法上の権利であり、法輪功修煉者が法輪功を信仰することは、誰の利益も害していません。同様に、その信仰の伝播と表明も、誰の利益も害しておらず、いかなる社会的危険性も有していません」と言いました。
私は続けて「2、法輪功は正統な信仰であり、邪教ではありません。《刑法》第300条第1項を用いて上訴人に有罪判決を下すことは、法律の誤用であり、成立しません」と読み上げました。この時、検察官が私の弁護を遮り、弁護陳述書を読ませようとせず、さらに、もし読み続けたらどうこうすると脅しましたが、私にはよく聞き取れませんでした。裁判長が、後で弁護陳述書を渡せば良い、と言いましたが、私は動じませんでした。「彼らの言うことなど当てにならない、無駄足を踏むわけにはいかない」と思いました。そして、私は読み続けました。分量が少し多かったので、大見出しだけを読み上げました。「3、上訴人が『邪教組織を利用して法律の施行を妨害した罪』を犯したという指摘は、事実が不明瞭であり、証拠不十分であり、認定できません。4、本件の証拠写真は犯罪事実を裏付ける証拠として機能していません。写真に写っている人物が誰なのか、彼女たちが何をしているのか、何も証明できません。5、最高裁判所と最高検察庁の司法解釈は《憲法》における公民の宗教信仰の自由と《立法法》の規定に違反しており、審理の根拠とすることはできません」
最後に私は「裁判長、裁判官の皆様、今日私が皆様に大法の真相をお伝えするのは、善良な皆様がこの迫害に巻き込まれるのを見たくないからです。古人は『福禍門無し、唯人自ら招く(訳注:幸福と不幸は天から与えられるものではなく、全て自分の行いによって引き起こされる)』と言いました。歴史上、正法修煉や信仰への迫害は、これまで一度も成功したことがありません。私は心から皆様が、大法の真相を全面的に理解し、是非をはっきりと見分け、善の心を堅持されることを願っています。どうか、銃口を1センチ高く上げ(訳注:「銃の照準」を相手から外すことで相手の命を救う、ということから、大法弟子の裁判において、法律の条文を杓子定規に適用するのではなく、人道的な配慮、寛大な心を持って判断し、大法弟子を無罪にすること)、法に基づいて賢明に事件を処理し、大法弟子を無罪で釈放し、ご自身のために素晴らしい未来を選択してください! 大法弟子を保護することは、ご自身の家族を保護することであり、天から幸福と平安を賜ることにつながります!」と言いました。
その場にいた検察官、裁判長、裁判官、裁判官補佐、書記官は皆、静かに聞いていました。その瞬間、まるで空気までが凝固したかのようで、邪悪な策略が解体され、他の空間の邪悪な要素が解体され、邪悪な騒がしく勢い盛んな気炎が解体されました。
最後に私は弁護陳述書、中国新聞出版総署50号令(訳注:2011年3月1日に中国新聞出版総署が発布した命令で、1999年に発令された法輪功関連の出版禁止に関する通知を撤廃するというもの)、並びに2000年の中国共産党中央弁公庁、国務院弁公庁と公安部の公通字39号(訳注:中国共産党中央弁公庁、国務院弁公庁と公安部が2000年と2005年に発出した公文書で、この公文書によると14種類の邪教の中に「法輪功」は属していない)をまとめて助手に渡しました。
裁判が終わった後、一審の裁判官も裁判官席から降りてきて、私にひどく憎々しげに「お前も姉と同じようになるぞ」と言いました。私はすぐに一審の裁判官に「そんなことにはなりません、あなたの言うことは当てになりません」と言い返しました。ちょうどその時、裁判長が出てきたので、私はすぐに彼のところへ行き、彼と一緒に留置所を出ました。私たち二人はまるで友人のように歩きながら話をしました。
留置場へ行き姉の解放を要求する
ちょうど二審の開廷翌日、家族は留置場へ姉の解放を要求しに行く準備をしていました。姉が留置場の中で非常に大きな精神的圧力を受け、体に変調をきたしていたからでした。
二審の開廷前に、姉の体内に大きな腫瘍ができているのが分かり、しかも体は急速に痩せ、精神状態もますます悪くなっていました。留置場での治療でも改善が見られず、裁判所も釈放してくれませんでした。そこで私たちは、留置場へ姉の解放を要求しに行くことを決めました。合計で何人かの人数で行きました。私たちは、これは師父が姉にこのような病気の虚像を使って留置場から出るようにと仰っているのだ、あそこは姉が居るべき場所ではないのだ、と考えました。その日は土砂降りの雨で、雷が鳴り響き、気温が急降下し、私たちは凍えてガタガタ震え、上の歯と下の歯がぶつかり合いました。
留置場に着くなり、当直の者がたちまち緊張した様子で「何か御用でしょうか」と聞きました。すると、私の家族が「家族に会いに来たのです。入所した時は元気だったのに、たった数カ月でこんなに具合が悪くなってしまって。ちゃんと診たのですか? もし万が一のことがあったら絶対に許しませんよ! 今日中に問題を解決してくれないなら、毎日市長ホットラインに電話して、電話回線がパンクするまでかけ続けます!」と言いました。私たちが大勢で押しかけたのを見て、留置場の人員は慌てて「こんなに大勢で来てどうするんですか? 代表が1人か2人いればいいでしょう」と言いました。家族は相手にせず「所長を呼んで来てください」と言い返しました。その人員はますます慌てた様子で、奥に引っ込んで行きました。しばらくして、その人員が1人の人員を連れて奥から戻ってきて「所長は本日不在にしております。何かあればこの者に仰ってください」と言いました。家族は先ほどの言葉を繰り返しました。すると、もう1人の人員は家族を落ち着かせようと「問題は解決するように手配いたします」と言いました。
いくつか慰めの言葉を述べ、騒ぎ立てると影響が良くないので一旦帰るように促しました。私たちを含め、留置場に来た人たちは代わる代わる当直の者たちに話をし、彼らをさらに困惑させました。しばらく話しているうちに、時間も遅くなってきたので、私たちは徐々に解散しました。
翌朝朝早く、裁判官から電話があり、強制変更(訳注:拘束されている姉の自由を回復するための法的手続き)の手続きを行うようにと言われました。こうして、休暇前の最後の日、最後の瞬間に、私たちは姉を救い出すことができました。
様々な苦難を乗り越え、同修たちが姉に会えたその瞬間、万感の思いが込み上げ、師父の広大な佛恩に感謝申し上げました。私たちは衆生を救い済度するという基点に立ち、100パーセント師父と法を信じ、磐石のように堅固でなければなりません。師父が私たちのために按排してくださったものは最善のものです。表面的には私たちが同修を助けているように見えますが、実際には慈悲深く偉大なる師父が、この出来事を利用して私たちの人心を取り除き、心性を高め、全体を昇華させ、私たちを成就させてくださったのです。
今生で師父の弟子となれたことは、なんと光栄なことでしょうか! 師父が法を正すお手伝いをすることこそ、私たちの使命なのです! 精進して着実に修め、三つのことをしっかりと行い、自分自身をしっかりと修めてこそ、師父の慈悲なる済度に背くことがないのです。
ありがとうございます、師父!
ありがとうございます、同修の皆さん!
(完)