明慧法会|真相を伝える中での経験の模索と日ごとの成熟(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年8月15日】(前文に続く)

 親せきが次々と修煉を始める

 ここ数年、師父の法を正す進展が加速するにつれ、師父の慈悲深い按排の下、親せきが様々な形で大法の修煉に入って来ました。以前から修煉していて「7.20」を境に修煉をやめていた人たちも大法に戻ってきました。

 義姉が修煉を始めてから2カ月も経たないうちに、中国共産党(以下、中共)による大法への迫害が始まりました。グループ学法の環境を失ったため、次第に義姉は修煉しなくなりました。2017年、義姉は右足に悪性腫瘍を発症し、血管腫が足全体に広がっていました。医師は「3回の手術を受けなければならず、それでも足は治らないかもしれません」と言い、足を切断することを勧めました。姉(同修)と私は、義姉に「法輪大法はすばらしい」と心の中で念じるように促しました。義姉は私たちの勧めを聞いた後、毎日念じました。

 手術台の上で、義姉はやはり心の中で念じ続けました。手術後、同じ病室にいた切断者たちは皆、痛みや苦しみで悲鳴を上げていましたが、義姉だけは悲鳴あげたり大声をあげたりしませんでした。病床に付き添って看病していた長兄(訳注:義姉の夫)が、不思議そうに、他の人が痛くて叫んでいるのになぜ義姉はこんなにも静かなのか、と義姉に聞きました。義姉は「『法輪大法はすばらしい』と念じていたので、痛みは全く感じなかった」と言いました。

 「退院後は、化学療法や放射線療法を受けずに、毎日自宅で法を学び、煉功するように」と私たちが説得すると、義姉は元気いっぱいで、血色が良く顔がつやつやでした。親せきが見舞いに来た時、長兄は嬉しそうに「この功法はすごいです! 冬は寒さを感じますが、彼女(私から見た「義姉」)は家の中では半袖のワンピースだけでも平気です。以前は、彼女はちょっとしたことで爆発するような気性の持ち主でしたが、今はずいぶんと変わりました」と言いました。長兄は大法の超常的な力を自分の目で見て、その後の修煉を始めるための基礎を築きました。

 数カ月後、私は義姉の修煉状況について詳しく知り、義姉の煉功動作を修正するために、100キロ離れた長兄の家に車で向かいました。第一式功法である「金猴分身」[1]の動作をしている時に、長兄が通りかかったのですが、私の指先が長兄の胸を突き、長兄は強いエネルギーを感じたそうです。後日、長兄はこの素晴らしい感覚について私に話してくれましたが、私はすぐに長兄に煉功するように勧めると、長兄は快く承諾し、その後、五式の功法を一通り習得しました。

 長兄は仕事を3日も休み、師父の広州での説法のビデオテープを最初から最後まで一通り見ました。この3日間のうち、昼休みと3回の食事を除いて、すべての時間に師父の説法のビデオテープを真剣に見ていました。師父の説法に感動した長兄が、「大法は高徳の大法だ!」と思わず言ったことがありました。今回、長兄は本当に大法を学びたいと思っていたことがよくわかりました。

 その1年後、定年退職した長兄が義姉を連れて、都会で暮らすことになりました。その後、5番目の妹も修煉を始め、私たちは家族で学法点を設け、修煉を始めた親族が集まって法を学び、切磋琢磨して交流できるようにしました。

 ある日、叔父から電話があり「会いに来てくれ」と言われました。会ってはじめて私は「叔父夫婦は、なんと私から法輪功を学びたいと思っていた」ことを知りました。叔父の妻は、迫害が始まる前に大法を修煉していたことがありました。

 私は姉(同修)と切磋琢磨し、修煉を始めたいと思っている親せきがいないかどうか、まずは家族の中で交流を始めることにしました。もしいれば、親せきと一緒に『轉法輪』を学ぶ時間を作りました。同世代の親族に加えて、我が家に住んで一時的に修煉を始めた若者たちも私たちが計画して交流したうちの一部でした。交流後、若者たちは「仕事が忙しくて当分人と話したり会ったりすることができない」と言っていたので、仕事が終わってから師父の説法を聞けるようにと、師父の説法が入ったMP3プレーヤーを若者たちに渡しました。

 大法を学ぼうと決めた親せきには、私と姉は親せきたちの学法をどうやってフォローするかを考えました。その過程には、ちょっとした苦労がありました。親せきたちは、都会にいる人もいれば、何百キロも離れた村にいる人もいて、比較的分散して住んでいたからでした。

 姉はパートタイムで働いており、朝の掃除に加えて、雇用主の1日3食の食事も担当していました。昼食後のバスに間に合うように、私たちは全力で走ることがよくありました。法を学んだ後、時間を無駄にしないように再びバスに乗って帰り、姉が雇い主のために夕食を作るのに遅れないようにしました。疲れて眠くなると、私たちはバスの中で昼寝をしました。バスを降りると、私たちは親せきの家に間に合うように走ることがよくありました。

 このようにして、どんなに風が強くても、どんなに雨が降っていても、私たちは一日も欠かさず学法をしました。親せきたちは心の底から感嘆して「ええっ! こんなに暑いのに、お昼の休憩もなく、走って汗がすごいことになっていますが、あなたたちには本当に感心しました!」と言いました。感嘆した後、親せきたちは法を学ぶ過程で、師父と法を尊重することに特別な注意を払い、この簡単には手に入らない機縁を大切にしました。

 数日前に行われた誕生日会で、祖父の家の次姉が「私も師父の説法や『師父の恩を思い出す』を聞きたい」と言いました。次姉の隣に座っている叔父夫婦を見て、1年前に師父の説法が入ったMP3プレーヤーを渡したことを思い出し、次姉にしばらく貸してあげてほしいと頼みました。驚いたことに、叔父の妻ははっきり断り「だめです、そのMP3プレーヤーは毎日聴いていますから」と言いました。叔父夫婦に断られる前は「修煉は彼女にとってあってもなくてもいいもので、最近は息子の家のリフォームで忙しくて修煉はもうできないかもしれない」と私は思っていたので、驚きました。私は気づいていなかったのですが、叔父の妻は今、大法から離れることができなくなっていたのでした!

 1997年に私が修煉を始めて以来、私の家族は10人が修煉を始め、弟を除いて7人の姉妹と母が『轉法輪』を読みました。また、修煉に入って来なくても、時々、法を学んでいる私たちの学法グループを見かけて参加してくれる親せきもおり、また、大法の基準で私たちを判断し、私たちの修煉に対してアドバイスしてくれることもありました。

 40人以上の親せきのほとんどが、大法の法理に基づいて善い行いをすることを知っており、医学上の奇跡も2回起きました。これはまさに三代にわたって無限に輝く法の光であり、佛恩がすべての衆生を新たに目覚めさせているのでした!

 新唐人テレビの設置で心性を向上させる

 私の夫はかつて気性が激しい人で、中共の嘘を信じて私の修煉に反対し、私を殴ったこともありました。今(訳注:2021年11月)は新唐人テレビの番組を見て、真相をはっきりと知りました。今では別人のようになり、私の修煉をサポートするだけでなく、中共の悪行を人々に暴露し、私が大法の真相を伝えることを助けてくれました。

 ある時、同修同士の小さな範囲の交流の中で「新唐人」を見た後の夫の変化について話したことがありました。同修たちはみな、新唐人テレビを一般に普及させるべきだと提案しました。もしある家族が新唐人の番組を見て真相を知ったならば、自分の親族たちがすべて救われるという希望を持つことになり、なぜなら海外の見聞と真実のメッセージが家族の間に広がるからでした。

 このような思いから、私は縁のある人のために、新唐人のテレビ受信機を無料で設置する費用を出すことにしました。まずは近親者の家族から始めました。設置が終わると、遠い親せきや幼少期の幼な友だちまで含めてリストが完成しました。中には20~30年連絡を取っていなかった人もいました。

 かつての従兄弟たちは60代、70代になり、親せきの中には亡くなった人もいました。周りの人に聞いたり質問したりすると、農村に親せきたちの家があり、プレゼントを持って訪問しました。身内が亡くなった家族にも会い、その子供や孫にも会いました。私はこの機会に、一軒一軒真相を伝え、パンフレットや大法の真相のお守りを配りました。新唐人テレビを導入する余裕のある家庭には、現実の世界を知ってもらいたいと思い、私は相手のために無料で新唐人テレビを導入することを申し出ました。中共ウイルス(武漢肺炎)が発生した後「新唐人テレビは人々に真実の状況を伝え、今回の災難を回避するために何ができるかを伝えている」ことを私は親せきたちに伝えました。

 ここまで話すと、親切で善良な親せきたちは、私が設置することを快く承諾し、さらには自分で費用を負担すると言ったのですが、もちろん私は断りました。聡明な親せきは安全面での不安を抱きましたが、私が根気よく説得することで、新唐人テレビの番組を見ることのメリットを認識し、最終的には設置に同意してくれました。もちろん信じない人もいましたが、師父の慈悲深いご加護により、無事に設置した親せきもいました。

 実際、その時の人々の態度がどうであれ、親せきたちは見ようとする気持ちがありさえすれば、徐々に目覚め、最終的には私の夫のように大法の真相を理解し、伝統へ回帰し、すばらしい未来を手に入れることができるのです。設置の過程で、私の多くの人心も取り除かれました。義理の兄も私の夫と同じように、過去に邪党の嘘の害を受けていました。義理の兄は妻が肉体的にも精神的にも法の恩恵を受けていることを知っていたにもかかわらず、よく私の姉(訳注:義理の兄の妻)を叱っていました。このことにより、義理の兄の家族のために受信機を設置したいと思った時にも心が乱れて妨害を受け、後になって「アンテナの設置が姉の家族に迷惑をかけるかもしれない、このことで姉が夫にまた叱られたらどうしよう」などという概念や思想業力が頭に降り注ぐようになりました。

 このような考えが抑えきれず、消すこともできず、私は朝からずっと気になっていました。この時、設置を担当した技術担当の同修が朝からずっと電波が入らず、寒くて疲れているのが見てとれました。私は「なぜ受信機の設置に時間がかかるのだろうか?」と思い、心が焦り始めました。私は技術担当の同修に「こんなに頑張っているのに、まだ電波が来ないのだから、今日はもうここまでにしましょう!」と言いました。同修は何か言いたげでしたが、私の勢いを見てか、あるいは私たちがお互いをよく知らないからか、設置を止めることに同意しました。

 翌日、さらに2時間ほど同修が繰り返し試してみても、やはり電波が入らないので、私は再び焦って「この家(訳注:義理の兄の家)はとりあえず調整しないで放っておきましょう。次の家に行ってみたらどうでしょうか?」と言いました。しかし、窓枠に座っていた技術担当の同修は、今回は動かずに、振り返って私ともう1人の同修に向かって「私たちが設置しているのは人を救うテレビアンテナであり、他の空間では正邪の大戦が行われています。関係者全員が正念を発し、すべての衆生を救うことを妨げる邪悪生命と要素を根絶しなければなりません。常人の思想で常人の世間話のように言うのではなく、正念でこのプロジェクトを加持しなければなりません」と言いました。私の心の中ですぐに「ただ受信機を設置するだけではないか? そんなに大騒ぎすることか!」と思いました。しかし、私の理解している一面は「この同修は新唐人テレビの受信機を10年以上取り付けているので、この方面での修煉経験があり、同修が語る言葉はとても明快であり、法にとても則っている」ことを知っていました。

 姉の家(訳注:義理の兄の家)は15階建てで、その日は風の強い日だったので、窓の外が寒いために同修の顔は真っ赤になっていました。同修は2時間以上同じ姿勢で窓枠に座り、それでも焦らず何度も調整し、それでも諦めませんでした。しかし、手伝えないばかりか、愚痴をこぼしながら家の中で座っていた私は、とても情けなくなりました。そこで、私は心を静めて「自分自身と外在の邪悪要素の妨害をすべて取り除き、一思一念すべてで自分の思考を緩めることはしない」と正念を発しました。

 不思議なことに、私が気持ちを入れ替えるとすぐに電波が届くようになったのでした。興奮冷めやらぬうちに、同修には面子を重んじる心があるということを同修は私たちと交流し、私も自分が持っている焦りや恐れる心を暴露しました。人を救うプロジェクトをしっかり行うためには、正念が必要なだけでなく、心性も基準に達していなければならず、全員が一体となる必要があることを実感しました。

 このような経緯で、新唐人テレビは姉の家(訳注:義理の兄の家)に設置されることになったのでした。予想外だったのは、受信機を設置してから半年も経たないうちに「新唐人」の番組が姉の夫(訳注:義理の兄)の家庭生活に欠かせない存在になっていたことでした。一度、強風で受信機が傾き、新唐人の番組が受信できなくなったことがあり、義理の兄は不安のあまり何度も修理の打診をし、修理代は自分が出すと言いました。私たちが修理しに行った時、隣でゲームをしていた甥っ子が「一日中携帯をいじってなくちゃいけなくなるから早く直してください。真相のニュースを見ることは、私の健康にも良いことだから」と言いました。

 設置の過程で、他の空間の要素の妨害や個人の心性が基準に達していないことによるちょっとしたハプニングもありました。例えば、新唐人テレビを設置するために夫が運転したのですが、一滴のアルコールも飲んでいないのに飲酒運転で交通警察に摘発されたことがありました。私は心を落ち着かせ、正念を発しました。再び検査した結果、夫は無事に通行を許可されました。

 また、親せきのために新唐人テレビの受信機を取り付けていた時、大学を卒業したばかりの家人の息子の言うことが「小粉紅(訳注:1990年代以降に生まれた若い世代)」の言論ばかりで、私は闘争心をかきたてられたこともありました。私はあまりに腹が立ったので、その家人の息子に詰め寄りました。そして最終的に、同修のアドバイスもあり、人心を動じてしまい、心性を守れなかったことに気づいたのでした。内に向けて探した後「新唐人を設置する道において自分がすでにこの家族に偏見を抱いていた」ということがわかりました。自分の考えを正すことが間に合わなかったため、今回は設置がうまくいかなかったのでした。

 それ以来、毎回、同修と新唐人テレビを設置する前に、私は毎回「自分の一思一念をしっかり持ち、真剣に法を学び、煉功し、正念を発し、少しも気を抜くことは許されない」と自分に言い聞かせるようにしました。

 精進していたその時期に、私は「オートバイの前方にバケツのような座席があり、私はそこに座りながら、新唐人テレビを設置した技術担当の同修にオートバイを運転してもらった」という夢を見ました。夢の中でその道はほぼ垂直の角度で非常に急な坂道でした。バイクが仰向けに倒れるのが怖くて、私は両手の爪を使い、オートバイのスピードが速くなるに従い必死につかんでいました。しかし、その運転していた同修の心は空であり、恐怖心のかけらもなく、同修にとって道はこうあるべきなのだというように感じました……。

 夢から覚めた時、私を悟らせてくださったのは師父だと気づき、人を救うこのプロジェクトでは、修煉がしっかりしている2人の修煉者が最も苦しく、最も働いただけでなく、私の恐れる心やさまざまな人の観念を許容してくれたのだということを悟りました。また、プロジェクト全体は他の空間においても、私たちの修煉状況に対応していました。プロジェクトが進むにつれて、2人の同修に助けられながら、私は自分の心性を高めることができました。

 夢の中のすべては現実の中にすべて対応するものがあり、2人の技術担当の同修は、1人は二交代制で、日中も休まず新唐人テレビの設置に駆けつけることもあり、もう1人は新唐人テレビ設置の前夜、200キロ以上離れた地区まで駆けつけて真相パンフレットを配布し、夜中の3時過ぎにやっと家に帰り、あまり寝ずにすぐ起きて昼間の受信器設置のプロジェクトに備えたのでした。法を学ぶ時間を捻出するために、設置場所が遠い場合、車で1時間以上かかることもあったので、同修は師父の『洪吟』を持ち、車の中で一緒に暗唱したり、師父の説法の録音を車の中で流したりしていました。

 新唐人テレビの普及と設置を通じて、新唐人テレビは衆生を救い済度するために師父が弟子に与えてくださった宝器であると私ははっきりと実感しました。テレビ番組の種類の多さ、司会者やゲストの解説のわかりやすさ、そして時間帯も中国の人々の視聴習慣に合わせており、私たちの真相を伝える隙間を埋めることができます。人々が見続ける限り、大法に対する誤解を解き、中共の邪悪な本質を人々は認識することができました。

 師父が法を正す最後の期間に、師父のご苦労が少なくなるように、縁のある衆生がもっと法輪大法の真相を知り、法輪大法の救い済度を得られるように、私は勇猛にして修煉に励まなければなりません。

 同修の皆さんとの交流において、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします!

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「二、動作の図解」

 (明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/17/433154.html)
 
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