明慧法会|精進して恒心を持ち前へ進めば師父のご加護がある(二)
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文/四川省の大法弟子

 【明慧日本2022年12月5日】(前文に続く)

 半月後、法輪功に関する文言を印字した紙幣を印刷した同修が文言を印字した紙幣を送り返してくれたので、会った時に「いくら送ってくれたのですか?」と私は聞きました。同修は、あなたが送ってきた分であなたが送ってきた包みは他のお金と混ざらないように別々に印刷したと言い、紙幣を印刷した同修もいくらなのかわからないとのことでした。早速数えてみると、ちょうど私が同修に渡した枚数と同じでした。これはきっと、向こうの同修から私たちのところに送られてくるお金を別刷りにすることによって、さらに面倒なことにならないようにという師父の按排であったに違いありません!

 中国共産党(以下、中共)の監視がさらに激しくなり、同修から何度も「大きなかばんをずっと背負って行くのは怖くないですか?」と質問されました。私は「これは師父が人を救うために按排してくださったことで、資料と法輪功に関する文言を印字した紙幣が同修にとって必要なので私は行わなければならず、師父のご加護があれば大丈夫です」と答えました。こんなにも長年、師父の慈悲とご加持と按排の下、本当に危なげなく順調に活動を行ってきました。しかし、間一髪で助かった体験もあり、10年前に二度、資料を受け渡す過程で通報され警察に連行されたことがありましたが、師父のご加護と同修たちの力強い救援と正念によって、私はすぐに中共の迫害を否定し、刑務所から抜け出すことができました。

 3年前のある夏の日の昼、私は法輪功に関する文言を印字した紙幣と真相資料の入った大きなバッグを三つ持って、一人で長距離バスに乗って帰りました。バスが地元の高速道路の料金所に入ると、すぐに特殊警察部隊の警官が車内に入り、銃やスタンガンを持って乗客たちを取り囲み、テロ爆弾の容疑者を探していました。

 車内には数人の乗客しかおらず、バッグを持っている人もいなかったので、乗客より多い警官が前後のドアをふさいで車内を見回し、バスの内外をぐるりと確認していました。この恐怖の場面を目の当たりにし、窓際の席の下に置いていた三つのバッグが心配になり、心臓が止まりそうになり、頭が爆発しそうになりましたが、まだ意識ははっきりしており、自分の生死を放下して、この危険な状況を師父に守っていただくしかないと思いました。私は心の中で「師父、これは人を救うためのものです。特殊警察部隊が大法弟子を迫害し、衆生が救い済度されることを妨害することは許されません、どうか私を助けてください!」と申し上げました。そして、発正念の口訣を念じました。特殊警察部隊は私のバッグを全く見ず、私が渡した高齢者用乗車カードだけを見ていました。テロリストと思われる人物が乗車していなかったため、バスは解放されました。とても危険でした! 一瞬に発生しかねなかった危機を、師父が打ち破ってくださいました!

 同修に資料を受け渡していると、よく同修から「三退」のリストを渡されるので「大紀元の脱党サイト」に送って確認しました。この9年間で、10万人以上の三退声明を送りました。これは、師父のご加持とお力添えがあったからこそできたことでした。

 一番印象に残っていることは、数年前の12月下旬、街の外から1000人以上の「三退」リストが送られてきたので、数十人分まとめて分類整理し、12月31日に「大紀元の脱党サイト」に送りました。しかし、昼の12時を過ぎると、何度クリックしてもインターネットにアクセスできなくなり、中共がインターネットを遮断していると思いました。長時間に及んでしまい中共に追跡されて大変なことになるのが怖かったので、パソコンをシャットダウンして年明けに送ろうと思いました。そう思った途端、画面の下に「電源を切らずに待って、もう一度試してください」、「ネットワークは機能しています」などの文字が繰り返し表示されました。これは、師父が私に何をすべきかを示してくださっているのだ、と悟りました。パソコンに表示されるダイアログに従って、数件送ってはしばらく待ち、また送っては待つことを繰り返し、午後になってようやくすべての三退名簿を「大紀元の脱党サイト」に送りました。

 最後の一つの問い合わせ番号を登録してみると、室温は13~14°しかないのに、顔は熱く感じ、背中は少し冷たく、下着を触ると手が汗でびっしょりになりました。他の空間での正邪の大戦の激しさが、私の体に反映されているのかもしれません。これは、偉大なる師父がいかに衆生の救い済度と弟子たちの安全を考えておられるかを示しています。

 同修の資料の受け渡しを手伝うことで、私は重い荷物を持って移動することができ、骨身を削って働き、向上の機会を受けたり、苦を舐め業を滅したり、修煉に大いに役立っており、自らを卑下する心を取り除き、正念と自信を強化し、損をして恥を忍び、寛容になり、心性を向上させることができ、実践で本当に鍛え直されました。

 四、中共ウイルスの流行の中で広く真相を伝え急いで人を救う

 2020年の元旦に中共ウイルスが流行した時、外出を許されず、人が集るのを許されず、外ではマスクをし、店はすべて閉められ、以前は数分おきに走っていたバスは30分待ったバスに1人か2人しか乗っておらず、赤い腕カバーをした人が拡声器で叫び、外に長居しないように、すぐに家に帰るようにという注意書きが街中に貼られているのを見ました。その光景を目の当たりにして、人を救うことへの緊迫感が高まり、大法弟子は、より多くの人に真相を知らせるために急がなければなりません。

 中共ウイルスや休日だからといって一日家にいるのではなく、外に出て真相を伝え、人を救うことに全力を尽くしました。私たちの地区の街道は閉鎖されませんでしたが、人と距離を置いて一人で歩くことだけは許されていました。社区はとても厳しく、出入りするには登録が必要でした。しかし、私が住んでいる小区は取り壊しが進んでいたため、門番はおらず、小区に設置された7、8台のカメラが中庭の壁にぶら下がっているだけでした。そのため、真相を伝え、人を救うことが容易になりました。日頃から、いろいろな真相資料や法輪功に関する文言を印字した紙幣を同修に届けることができましたが、受け取ってもらえないと持ち帰らなければならなかったので、次の日にまた行って、半日かけて真相を伝え、人を救うことに対する面倒をいとわなくなりました。

 中共ウイルスの流行時には、人々は家に閉じこもり、互いに距離を置き、警戒し合ったため、真相を伝えることや真相資料を対面で配布することが難しくなりました。その間は、主に大法の真相チラシを配りました。ダイヤルしなくても電源を入れれば真相を送信できる携帯電話と、毎日持ち歩く普通の携帯電話で「法輪大法はすばらしい」、「三退すれば命が保たれる」、「大法を大切にすれば幸福を天から賜る」など、大法の基本的な真相を順番に送信しました。

 監視カメラやパトカーの集中監視を避けるため、街やビルの間を止まらずに歩きながら、邪悪要素を取り除くために正念を発し、人々の車や商店にチラシを置く機会をうかがい、たまにしか買い物に行きませんでしたが、法輪功に関する文言を印字した紙幣はすべて使いました。

 中共ウイルスが始まった頃、街中で携帯電話を見ている人を見かけることはほとんどありませんでしたが、それでも毎日多くの人々の携帯電話が真相を受信していました。月の前半は、1日に数十人から100人程度しか真相を受け取ってくれませんでした。1台の携帯電話だけで真相を送ると、2台の携帯電話で同時に送るより多くの人が真相を受け取ることがわかったので、1台の携帯電話だけで真相を送りました。毎日徐々に真相を受け取る人が増え、多い時は200人近くになりました。

 中共ウイルスが治まった2020年9月には、毎日2時間、3時間、あるいは1時間程度出かけ、真相を受け取った人は200~400人程度、あるいはその倍で、もし1日2回出かけたら500~1000人もの人に達しました。つまり、中共ウイルスの後に目覚め、命を守る方法を探し求める人が増えたのでした。

 ある朝、同修から法輪功に関する文言を印字した紙幣を頼まれたのですが、相手と電話がつながらないので、翌日同じ小区に住んでいる別の同修の家に送ることにしました。小区に入ると、警備員が目を見開いて小区の門を見つめていましたが、私の姿は見えず、私は登録せずに小区の中に入りました。同修の家に着いてから事情を説明したところ、同修は、昨夜の夢の中である人がその同修に「法輪功に関する文言を印字した紙幣は枕の下にあります」と伝えたと言い、同修は「こんなに朝早くから法輪功に関する文言を印字した紙幣を届けに来たのに、警備員があなたを見ていなかったなんて、すごいです!」と言いました。師父が私を中に入れてくださったのだと2人で言い、もちろん警備員は私を見ることができないので、私たち2人はそろって「師父、助けてくださりありがとうございました!」と申し上げました。

  ある朝、給料を受け取りに銀行へ行き、その途中で携帯電話で真相を送信しました。2人の知り合いに会ったので、その2人にも真相を伝え、真相を伝え終わるころには、銀行の入り口まで来ていました。銀行の入り口の向かいに公安局のパトカーが止まっていて、その時初めて、携帯電話をつけっぱなしにしていたことを思い出しました。私が送った真相を警察が察知して、追いかけてくることはないでしょうか? 携帯電話を切った時、中共に見破られることはなく、警官も真相を理解して救われるはずであり、見てもらえばいいことがあるはずだ、と私は心の中で思いました。

 銀行に入ると、警備員が体温を測り、頭から手まで数カ所場所を変えて測っても私の体温は表示されず、警備員は「なぜ体温が測れないのか? 体温がないのですか? もういいです、入っていいです!」と言いました。給料をもらって出口まで行くと、警備員が「登録が必要です」と言いました。「何のために登録するのでのか?」と聞くと、警備員は私にもう一度視線を送り「もういいです、登録しなくてもいいです、行ってください!」と言いました。道を歩いている時に「これは師父が守ってくださっているのだ!」と思いました。そうでなければ、今日、身分証明書を検査しなければならなくなった時、やっかいなことになっていたはずで、心の中で何度も「師父、守ってくださってありがとうございます!」と申しげました。

 2020年に中共ウイルスが解除された時、私はあらゆる機会と時間を捉えて、人を救うために真相資料を人々に配りました。スーパーに買い物に行く時も、バスに乗る時も、スマホを持って行って、真相を伝える手紙を発信しました。

 真相を知ったある同僚が私に、彼女の夫は法輪功の真相を聞いても信じず法輪功の真相を伝えても三退を拒絶した、と伝えました。その同僚の夫は昨年(訳注:2020年)肺がんを患い、年末に亡くなるまでの10日間ほど、痛みに耐えながら叫んでいました。その時、同僚から「法輪大法はすばらしい」と念じるように言われ、そのとおりにしたところ、同僚の夫は徐々に痛みが止まり、数日後、静かに息を引き取りました。死後は、生前とはまったく違う、赤みをおびた穏やかな顔をしていました。私は「これは彼の元神が救われたのです」と言いました。

 また、師父が「まだ法輪功に対する立場を表明していない人が多く、その人たちが留まるかどうかの判断に対して困難をもたらしている」と説かれていたことを思い出し、そのことを思い出すと、より多くの人が大法の真相を理解し、救われる機会を得るために、携帯電話の性能をフルに活動して真相を伝えていかなければならないと感じました。そこで、毎日、何をするにも「法輪大法はすばらしい」、「大法を大切にすれば幸福を天から賜る」、「党、共青団、少年先鋒隊を脱退すれば命の安全を確保できる」など、真相を人々に発信するために携帯電話を携帯することを堅持しました。法を学び、正念を発し、五式の功法を行うことを保証し、1日2回の外出を心がけると、通常700〜900人、多い日には1000人が携帯電話で真相のメッセージを受信することができました。もちろん、真相のメッセージを受け取るということが、真相を信じ受け入れるということではありませんが、真相を知り、救われることを選択する機会を相手に与えることができます。

 もし、私個人の修煉体験が法に沿わないものであったり、妥当でないところがありましたら同修のご指摘をお願いします。弟子を成就させるための師父の苦心に満ちた按排と、そして修煉の道における行き届いたご加持と啓示に感謝申し上げます! 師父の浩蕩たるご恩に、弟子は永遠に感謝申しあげるばかりです!

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「世に来たのはこの一回のため」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「師を拝む」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「只今回の為だけ」

 (明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/10/433253.html)
 
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