文/中国河北省の大法弟子 素蓮(仮名)
【明慧日本2014年11月9日】私は1997年から法輪大法を修煉し始めた古い弟子です。17年間の修煉を通して、師父は私の心身を何度も何度も浄化してくださり、業力だらけで、体が弱く病気がちだった私を、この乱世から離脱させ、真の大法弟子に成長させてくださいました。
今、私は毎日大通りや横丁を行き来して、真相を伝え、大法の素晴らしさを話し、一人また一人を三退させました。衆生が真相を知った後のその喜び、感激、またその誠実さを見て、私は思わず「生生世世は法の為に生き、師の恩に報い難い」という言葉を思い出しました。
大法を修めて、新たな命が得られた
物心が付いた頃から、私には心地よいという記憶はありませんでした。私はほとんど毎日のように薬を飲み、注射をし、体は風にも吹き飛ばされそうに痩せていました。私の顔色はくすんでいて黄黒く、三十代の時に、すでによくお婆さんと呼ばれていました。時には自分より年配の人にもそう呼ばれ、それを聞くたびに、私は頭から冷水を浴びせたように、芯から冷たく感じました。神様は不公平だと思いました。私は自分に自信を持っていませんでした。私は毎日何かをする気力もなく、その日暮らしをして、生きる意味をまったく感じていませんでした。
1997年のお正月、私は同修の家に遊びに行き、彼らは私の体が弱いのを知って、私に法輪功を紹介してくれました。また、この功法が健康維持と病気治療に素晴らしい効果があると言い、師父の法像を見せてくれました。その時、私は自分の額に師父の法像がぐっと動いたと感じました。同修は私に『転法輪』をくれました。私は1秒も無駄にしたくないと思い、急いで『転法輪』をいただき、家で法を学び始めました。それから、私は同修と一緒に煉功点に行って、法を学び、煉功をしました。大法の法理は私に生きる真の意味を教えてくださいました。
私の体は日に日に健康になり、私の大法修煉の決意もますます強くなりました。その年の9月1日、師父は私に大きな業力を滅して下さいました。その時、私は40度近くの高熱を出して、意識がはっきりしなくなりました。夫は怖くなって、私に薬を飲ませ、注射をさせようとしました。しかし、私はその通りしませんでした。私は師父がおっしゃった「身体中寒気がして、ひどい風邪を引いているかのように骨まで痛く感じる人がいますが」[1]のお言葉を思い出しました。その時、私は本当に体中に痛くない所がないほどでした。しかし、私は師父が私に業力を滅してくださっていると堅く信じ、師と法を堅く信じ、薬を一粒も飲みませんでした。すると、熱が下がり、体の痛みが消え、すべてが正常となりました。夫は興奮して、「二日前、僕は風邪で熱を出して、5、6百元も使ってやっと治りました。彼女はこれほど重い風邪なのに、数時間で治ってしまうのは本当に不思議です」と言いました。
それから、私は本当に足取りが軽やかになり、体が健康で、時には25キロのお米を持って四階を上ってもぜんぜん疲れを感じず、くすんで黄黒かった肌も変わり、師父がおっしゃった「白に赤みがさしていました」[1]のようになり、しわも少なくなり、私は若返ました。今はすでに年齢が50を超えていますが、私をお婆さんと呼ぶ人はいません。師父は「常人の心を放下して、法を得れば即ち是れ神、三界の外へ跳び出して、天へ登って佛身に乗る」[2]とおっしゃいました。
命を償う
2006年6月11日、私は同修の家から帰って来る途中、突然、一台の電気三輪車に引きずられ、倒されました。気が付いたら、もう一台のオートバイが私にぶつかってきました。私はその場で意識を失い、病院に運ばれました。
その後、家族はその時の様子を話してくれました。当時、私は両目、両耳、鼻孔と口から血を流し、病院に救急搬送され、脳手術をうけました。ちょうどその時、北京から来た専門家は地元病院にいて、私に脳手術を行いました。手術後、専門家は私の家族に「生還の望みは薄く、最もよい結果でも、半身不随になるでしょう」と言ったそうです。そして、目が覚めるには2週間かかるとも言ったそうです。
9日目、私は目覚めました。この間、同修達もずっと私の為に発正念をしてくれました。10日目、私は頭がとてもはっきりして、まず師父の詩「法徒魔難を経て、重圧に志移らず、師徒は情を講ぜず、佛恩は天地を化す、弟子正念足りれば、師は回天の力有り」 [3]を思い出しました。私は動けませんでしたが、しかし毎日法を暗唱し続けました。私は入院して23日間、退院したその日に、夫は私を支えてCT検査を受けました。私はそこに横になって、「大丈夫です、すべて正常です」との一念を発しました。結果が出ました。本当にすべて正常でした。病院の医者達も皆不思議だと思っていました。
退院当日、私は煉功を始めました。右手は上げられませんでしたが、しかし、私は一所懸命やりました。家に帰って10日足らずで、すべて正常に戻り、右手は物を持てるようになり、その上、私は師父が私に新しい脳を入れ替えたのではないかと思いました。なぜなら、今まで、私は法を覚えるのが大変で、記憶力も悪く、しかし今回家に帰ってから、頭の思考が明晰で、法を学ぶと、心に留め、覚えが早くなりました。家族は皆大法の不思議さを感じ取り、大法をとても認めるようになりました。
弁償問題について、私は家族と相談して、出来れば事故を起こした人と和解をしたいと言いました。家族も皆私の意見に賛成してくれました。双方の話し合いによって全部で4万元を賠償する事になりました。その中、3万元を入院費に使い、残りの1万元はすぐに届けてくれると言われました。私は家族と相談して、私には後遺症も残していないし、残りの一万元はもう受け取らない。もし師父からのご加護がなければ、私の家庭がどんなに悲惨な状況に陥っているかとても想像つかないと言いました。家族も皆賛成してくれました。しかし、事故を起こして人はどうしても2500元を出したいと言ったため、息子がそれを受け取りました。息子はその中の500元を相手に返して、残りの2000元を私にくれました。結局、私は家族に黙って、その2000元を事故起きした本人に返しました。その家族はとても感動して、ずっとありがとうと言いました。私は、「このすべてが師父の教えによるもので、感謝するなら、師父に感謝してください、師父が弟子の為に引き受けた苦しみに感謝してください」と言いました。
「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[4]
私が大法を修煉してから、私の家族も大法に同化し、多くの受益をしました。ある日、親子三人は車で帰省している途中、車は谷に転落し、木にぶつかり、木を倒しました。しかし、人と車は無傷でした。
また、ある年の年末に、自家用車が盗まれました。それを知った私は家族に焦らないようと慰め、師と法を信じる一心で発正念をしました。翌日に、車は山際で見つかりました。
ある日の午後、夫はお腹が痛くてのたうち回りました。病院で検査をしたら、腸閉塞で、手術が必要だと言われました。しかし、しばらくすると、痛みが止まったため、夫は入院したくないと言って、家に帰ることにしました。しかし、その日の夜中に、夫はまたお腹が痛くなって、汗びっしょりで、元気がまったくなくなりました。私は夫の腹をマッサージして、そして彼の五臓六腑のすべての細胞に対して、発正念をし、そして、彼らに一緒に「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」と念じるように教えました。しばらくすると、夫はトイレに行きたいと言って、数日も出なかった便は順調に排便できました。しかも、堅い塊のものばかり排出しました。手術を受けなければならない病気が、20分足らずで解決しました。夫は不思議だ、不思議だと連呼しました。家族全員も大法の神秘さを目撃証言しました。
10数年来、家族が受益したことは多すぎて、ここで一々申しあげる事が出来ません。本当に千言万語を費やしても師の恩に対する感謝の気持ちを表し切れません。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『転法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「廣度眾生」
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
[4] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』