小弟子が大法修煉の中で成長する
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文/遼寧省の大法弟子 母親が整理して代筆

 【明慧ネット2014年11月5日】私の今年22歳の大学生です。法を得てすでに16年になりました。私は6歳の時から、母について煉功拠点に行きました。当時、私はまだ小さく、字も読めず、毎日、大人たちの学法を聞いていました。私は大人たちのそばで遊び、疲れたら、そこで眠り、皆に迷惑をかけませんでした。

 母から聞きました。私は6歳まで、病気がちで、家のお金はほとんど私の医療費に費やしました。母について煉功点に行ってから、私の体は日に日に健康になりました。ある日、私は二日間高熱を出しました。母は不安となり、私に薬を飲むかと聞いたら、私は、「飲みません。師父は私に業を滅してくださるから」と言ったそうです。その後、私の高熱は本当に下がりました。師父の慈悲なるご加護の下で、私は病業の関門を突破しました。それから、私はもう薬を飲む必要はなくなりました。

 大人達が煉功すると、私も見よう見まねで習いました。ある日、公安局の人は調査に来て、私の名前も名簿に載せました。1999年7月20日、中国共産党が大法を迫害してから、警官は私の家に来て、私も煉功者だと言いました。お爺ちゃんは「あの子の母親は煉功しているから、母親について行かなければ、誰があの子の面倒を見るのか」と言ったそうです。その後、警官は二度と私を探しに来ませんでした。それは師父が私を護ってくださったからです。

 1999年、邪悪が天地を覆う勢いで大法を迫害しました。母は大法を護るため、北京に行こうとして、私と相談しました。私は100%賛成しました。私は母に「食べ物をすこし買っておいたらいい」と言いました。母は何度も不法に拘禁され、労働教養の迫害を受けました。母がいない日に、私はいつもこっそりと泣き、心の中で繰り返し、「お母さん、早く帰って来てください」と叫びました。その時、私はまた小学生でした。母の事は私の勉強に影響しませんでした。毎回のテストの成績はクラスで一番でした。師父は慈悲にご加持くださいました。

 母が帰って来てから、私は母と一緒に真相を伝え、真相小冊子を配り、真相シールを貼り、横断幕を掛け、何でもしました。私達はお互いにとても良く協力し合いました。ある日、私と母が「法輪大法は素晴らしい」のスローガンを貼り、横断幕を掛けた時、悪人に通報され、警官に家の近くまで追いかけられました。パトカーから降りて来た警官は私達を止め、私と母を別々にして、私に「お前は何をしたか」と聞きました。邪悪の前で、私は絶対本当の事を言わなかったため、彼らは証拠もなく、私達をどうにも出来ませんでした。母は私の手を繋いで、家に帰りました。本当に危機一髪でした。師父はまた私達親子を護ってくださいました。

 中学校に入ると、母はまた悪人に密告され、不法に連行されました。家は家宅捜査され、大法の書籍は全部奪い去られました。私は自分で師父の法『真修』と『洪吟』を暗唱し、できるところまで暗唱しました。私は師父が常に私の周りにいらっしゃると感じました。

 私は自分を修煉者と見なしていました。しかし、時々、心性が守れない時があって、同級生と喧嘩もしました。私の成績は学年で上位にありますが、しかし、最初の青年団団員に選ばれませんでした。私は教師の言う通りに行っていないかと思いましたが、その後やっと悟りました。それは師父が、私に邪悪の組織に入らせないで、彼らの支配を受けさせないよう、私を護ってくださったのです。その後、クラスの学友は皆私を推薦しましたが、しかし、私はずっと入団を拒否しました。

 大法は私の知恵を開いてくださり、私に健康な体をくださいました。師父のご加持の下、私は順調に地元の難関高校に合格しました。高校に入ってから、勉強が大変でしたが、しかし、私は毎日30分の学法と四回の正時の発正念を堅持しました。夜6時、教室はとても喧しいため、私は声を出して、口訣を読みました。来る日も来る日もそうでした。学友たちはそれを見て、「何をしているの」と聞きましたが、私は彼らに教えませんでした。ある時、学校はそれぞれのクラスの青年団支部の書記に入団していない人を統計させ、入団していない人を立たせました。私は立ち上がった時、皆の視線が一斉に私に向けられました。彼らは互いに顔を見合わせて黙っていました。私は彼女たちが何を考えているかを知っていました。こんなに成績の優秀の子はなぜ入団しないかと思っていたでしょう。私は教師に青年団に入団しないと態度を表明しましたが、しかし学校の幹部が尋ねて来るのを心配して、家に帰ってから、母にこの事を言いました。私達はいっしょに学校の幹部の背後に潜んでいる邪悪を解体するよう発正念をしました。それから、この件はそのまま棚上げにしてしまいました。高三の時、学校はクラスの成績の優秀な人を共産党に入党させようとしました。私も入党申請書を書くよう書記に言われました。私はそれを拒否しました。同級生から見れば、それはとても名誉な事で、みな私のために惜しんでいました。しかし私はそれにまったく興味がなかったのです。

 この年、私は実力以上の力を発揮して、いい大学校に合格しました。私は大法弟子の責任が衆生を救い済度する事を十分承知して、休日に、クラスの学友を家に招いて、母と協力し合って、三退を勧めました。私は発正念して、他の空間の学友を妨害する邪悪と要素を一掃して、母は彼らに話をしました。学友はほとんど真相を受け入れてくれました。学友たちは私と特別な縁があるため、彼らが助かったことを私はとても嬉しく思いました。

 大学での生活は決して楽ではありません。一部の同級生はお金を出して、いろんな試験の答案を買ったりしています。大法弟子の私は絶対そういうことをしません。私は自分の力ですべてを実証しなければなりません。進級試験の中で、師父のご加持の下、私はまた実力以上の力を発揮して、私の成績と同じぐらいの同級生より、40点も高い点数が取れました。それは師父のご加持のお陰です。それは私に対する激励です。大法は私に知恵を与えてくださったのです。再び、師尊にひざまずいて拝みます。私は師父のご要望にはまだまだ差があります。私にはまた恐れる心があります。私はさらに精進し、着実に修め、師尊の慈悲なるご済度に報いることができるよう、師尊の浩蕩たる佛恩に報いることができるようにいたします。

 妥当ではない所があれば、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/25/299412.html)
 
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