『轉法輪』を読み終わらないうちに乾癬が治った
■ 印刷版
 

 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年10月10日】私は2017年10月に修煉を始めた青年大法弟子です。私はいつも喜んで国内政治と軍事に関するニュースと歴史を見ていたのですが、ある偶然の機会に、ウィーチャットのチャットグループの中で、国内政治に関するリンクを見つけました。そこで、開いて見るととてもいいと感じ、中国国内では見ることができない内容であることがわかりました。チャットグループの中では数日連続でこのリンクが送られてきており、私も数日見て、物足りなく感じたので、このウェブサイトのリンクをダウンロードしました。そこで私は毎朝起きるとすぐにこのウェブサイトのニュースを見るようになりました。なぜなら、以前から国内のウェブサイトのニュースは嘘っぽいと感じており、多くの事柄についての報道が頼りにならないと感じ、いつも物事の真相が知りたいと思っていたからです。

 見ているうちに、毎日更新される内容には法を学んだり煉功した後に、病気がよくなったという内容がありました。私はすぐに信じなくなり、特に私たち80後(訳注:一人っ子政策後に生まれた人のこと)はみな中国共産党の洗脳下で成長しており、心に刻み込まれたのはみな迷信ばかりです。それで「薬を飲まずに、本を読んだだけで病気がよくなるはずがない、さらに難病や不治の病まで治るとあるが、これは皆嘘だ」と思いました。

 しかし時間が経つにつれて、ほとんど毎日このような病気が治ったニュースと各個人の体験談が載っていることに気が付きました。また私は乾癬(かんせん・皮膚から少し盛り上がった赤い発疹の上に、銀白色のフケのような垢(あか)が付着し、ポロポロとはがれ落ちる病気)を4年間患っており、さらに漢方薬を飲み続けて1年で、県の漢方専門医院の診察を受けて半年薬を飲んでも治らず、最後に専門家は日向ぼっこをたくさんするようにと私に提案しました。その後、付近に古くからの漢方医院がありそこで治せると聞き、2カ月間漢方薬を飲んでよくなりましたが、再び再発しました。また薬を飲んでよくなっても10日後や半月後にまた再発し、薬を飲んでは再発し、また薬を飲みました。このように繰り返して1年以上が過ぎました。

 2017年10月、乾癬がまた再発し、さらに薬を飲むと辛いので、実際もう薬は飲みたくありませんでした。なぜならここ数年薬を飲むと胃が悪くなり、肝機能も良くなかったからです。そこである考えを試してみようと思い、明慧ネットの『轉法輪』を探しました。長い時間探して、ついに「動態ネット」(訳注:中国共産党のネット封鎖を突破するウェブサイト)のリンクを見つけ「動態ネット」の右下部分にやっと「明慧ネット」のリンクを見つけ、大法書籍にたどり着きました。

 自分の考えを試してみようと思い、携帯電話で『轉法輪』を読み、読んだ時は何もわからず、まるで天の書物を読んでいるかのようでした。しかし中で説かれていた「この宇宙には次のような理があるからです。佛家によれば、常人の中のことは、すべて因縁関係があり、生老病死は常人にとって当然のことです。人は、以前に悪事を働いたために生じた業力のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています。苦しみを味わうことはほかでもない『業』を返すことなので、いかなる人といえども勝手にそれを変えるわけにはいきません。変えてしまうと借金を踏み倒してもよいということにもなります」という一説が私の心を動かしました。そこで、続けて読み続けました。

 1冊の本をまだ読み終わらないうちに、頭から冷え冷えしたものが下に向かって走り抜けたような感覚がありました。私の乾癬は主に頭にあり、頭の3分の2が乾癬で、四肢はわりと少なかったのです。さらにある晩寝ている時に、頭が痛くなって目が覚めましたが、すぐに痛くなくなり、それからこれは師父が体を浄化してくださっているのだと思い、もしかしたらこの後、病気は良くなるかもしれないと思いました。するとやはりその後、毎日何回も大便に行き、乾癬のところがかゆくなくなり、さらに乾癬のところの皮がむけ始めました。

 数日後、かゆみが治まり、さらに乾癬だったところに正常な皮膚ができ、以前と異なりよくなった所の皮膚は紅くなってきました。それから現在まで半年以上の間全く薬を飲んでおらず、体に乾癬もできませんでした。本当に病気がよくなったのかを試すために、2回ほど酒を飲み羊の肉とロバの肉を食べましたが、その後も何もありませんでした。師を信じず法を信じていなかったことに対して、私は師父に謝りました!

 その後2018年の初め、私は正式に法輪大法の修煉に入り、以前のように麻雀で時間をつぶしたり、バラエティー番組を見なくなりました。何度も『轉法輪』を読むと、心が帰る場所を見つけたように感じ、以前は本当に生命を浪費していたと感じました。

 本もなく、同修も知らなかったので、明慧ネットで『轉法輪』を読むしかありませんでした。また時間があれば『轉法輪』を読みました。「ですから多くの人は本を読むたびに違うと感じます」[1]と師父が説かれたように、本当に法を学ぶにしたがって、越えなければならない関と魔難が現れました。

 私は営業職で、いつも話が得意で冗談を言うのを好み、いつも脈略もなく話していました。さらにすぐに執着心を帯びながらたわいのない話をしていました。以前は確かに相手のためを思って話していたと感じていましたが、相手は私が何らかのたくらみを持っていると思っていたようです。法を学んだ後にこの事を悟り、執着心を抱いて話をしていたので、相手の誤解を招いていたのです。

 師父は「われわれが口を開いてものを言う時には、煉功者の心性に基づいて言うので、人と人との間の和を損なうようなことを言わないし、良くないことを言わないのです。修煉者として法の基準に基づいて、自分自身がそれを言うべきかどうかを判断するのです。言うべきことは、法に照らして煉功者の心性基準に合致すれば問題はありません。しかもわれわれはまだ法を説き、法を宣伝しなければならないので、ものを言わないわけにはいかないのです。われわれが口を修めるようにと説くのは、次のような場合です。常人の中での捨て難い名利や、社会における修煉者の実際の仕事と関係ないことについて話したり、あるいは同門弟子の間で無駄話をしたりすること、あるいは執着心に唆されて自分を顕示すること、あるいは聞き伝えに過ぎないなんらかの噂を伝え広めること、あるいは社会のその他の話題に興奮を覚えたり、喜んで話したがったりすること、などです。これらはみな常人の執着心であるとわたしは思うのです。こうしたことに関して、われわれは口を修めるべきだとわたしは思います。これがわれわれの言う口を修めることです」[2]と説かれました。

 師父が説かれたこれらの執着心は、私の大部分を占めていました。大法を修煉してから、普段の言行の中で、できるだけ法に符合させました。以前は自分の得意な話になると話が止まらず、自分がどれだけ知っているかを顕示し、成績が上がると、喜んでひけらかし、他の人が自分を絶賛するように仕向けていました。以前、妻はいつも少しのことで私に怒り、私もそれを受けて口げんかをしていました。法を学んだ後はそれが間違っていることがわかり、今では妻と口げんかせず、平和な気持ちで妻がガミガミ言うのを聞いていると、妻はかえって私が口げんかしないことを不満に思いました。私は現在費用を報告する時も、旅費やガソリン代を多めに報告することはせず、何が起きてもいつも相手のことを考えられるようになりました。真・善・忍の基準に基づいて自分を律し、嫉妬心や闘争心、顕示心や虚栄心などすべての良くない心を絶えず修煉して取り除きました。

 修煉し始めた時、ずっと学法ばかりで煉功せず「誰も煉功を教えてくれない」と思い、うまく煉功できないことを恐れ、姿勢が正しくないことを恐れていました。後になって、それが自分の怠惰な心が妨害していたのだと悟ったので、功法を教える師父のビデオをダウンロードし、ゆっくりと煉功を学び、始めは確かに姿勢が不正確でしたが、繰り返しビデオを見て、絶えず自分の動作を正していくと動作が正しくなり、その後『大圓満法』にある煉功に対する要求に従い、自分がいつも煉功する時の法に則っていない状態を正し、完全に法の要求に符合させました。

 「発正念」は自分があまり行っていないことの一つでした。法を学び始めた時、「発正念」とは何かがわからず、同修の文章を読んでこの名詞の意味を多少知っていただけです。師父の『正念』という法を拝読した後、発正念を重視し始めました。自分の天目では何も見えませんが、それでも昼間の発正念の時間は携帯電話のアラームを設定し、発正念をするようにしています。今は「発正念」の時の思考はゆっくりと少しずつ集中してきています。

 「三退」を始めたばかりの時は、まず親せきと友人と同僚から始め、そこで自分が法に対して深く学んでいないなどの問題が現れました。法を学び始めた時は同修が迫害された報道をいつも見て、心の中でとても恐れ、万一自分がある日あんな風に迫害されたらどうしようかと恐れました。「恐れる心」と情に対する執着心が出てきました。またある時、親友と同僚に「三退」を勧めた際に、法に対する自分の認識が深くないことがわかり、時には多くの質問に答えることができませんでした。しかし、三退を勧めるためにウソをつくわけにはいきませんので、状況が行き詰まってしまい「三退」を勧める効果と質に影響しました。ですから法をしっかり学ばなければならず、また正念が十分でなければならず、そうしてはじめて、しっかりと「三退」を勧めることができるのです。

 自分がだんだんと師を信じ、法を信じられるようになり、「三つのこと」をしっかり行うことができるようになると私は信じています。以上が私が感じたことですが、次元に限りがありますので、間違っているところがあれば、同修のみなさんのご指摘をお願いします。師父に中秋のご挨拶を申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク座談会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/24/374738.html)
 
関連文章