明慧法会|何事においても他人のためなら何ら支障がない(三)
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2015年1月13日】(前の文へ

 五、同修を救出し、家族と警察を救い済度する

 同修の救出に参加し、ある時は成功し、ある時は失敗しましたが、この過程で私は迫害に遭わず、公安局、検察院、裁判所の衆生に対して真相を伝え、平穏と理性に基づいて、負担の要素を呼び起こさず、彼らの善念を呼び覚ましました。この過程で、自分の心性が向上した結果、同修の家族や公安局、検察院、裁判所の衆生が救い済度されました。そうして拘束されていた同修は刺激を受け、正念が増したのです。

 同修の救出が始まった時は、本当につらく、特に同修の家族と一緒にいる時はつらかったのです。その家族は中国共産党の虚言の害毒をあまりに濃く受けており、その虚言を信じていました。そのため彼らは私と同修をいじめて追い出し、贈ったプレゼントをある者は階上から投げ捨て、またある者は脅迫の電話をかけてきて怒りをぶつけました。ある同修は「私たちが拘禁された同修の家族と一緒にいるのは間違っている」と言いました。私はそれに対して「心は動じない」と言うしかないのですが、もう言い尽くしてしまいました。それでも私たちは失望せず、何度も訪問し、何度もプレゼントを贈りました。そして心から家族を慰め、生活上で家族を気にかけたり思いやったり、何度も家族に付き添って公安局、検察院、裁判所などを奔走しました。そのうちに、ある同修の家族はやっと私たちの行為に感動し、少しずつ助力してくれるようになり、私たちが真相を伝えることにも協力してくれるようになりました。

 救出を始めたばかりの頃は公安局、検察院、裁判所などに行った時、私は直接真相を伝えることはしませんでした。しかし私の心は師父の事ばかり考え、法の事を考えていたので、次第に恐れる心はなくなり、「出入りが思いのままということは、公安局、検察院、裁判所というのも、ただの公共施設というだけだ、誰でも行ける」と思いました。恐れがなくなると、すぐに私は自然に真相を伝える状態に入りました。

 「どうすれば警察に真相をはっきり伝え、迫害を制止させることができるだろうか、またいつも防止するのではなく、消極的な要因を変えて積極的な要因にしたい」と、私は学法グループの中で同修と交流したことがありました。「それは難しすぎる」とある同修は考えました。ですが私は「我々の出発点は彼らを救助する事であるから、この事は迫害を招き寄せることではない。古代の『二つの軍団が交戦しても使者は殺さない』という事ではないだろうか!」と、考えました。師父は「良いことを考えることができないにしても、悪いことは考えてはなりません。いちばん良いのは、何も考えないことです。」[4]と説かれています。

 以前一度、二人の同修が連行されたという知らせが私達のもとに伝えられてきました。私はその時の事を覚えています。彼らは田舎に行き資料を配布していたところ、地元の警察署に連行されました。その時刻は午前10時頃でした。この知らせを受け何人かの同修が集まり話しあって相談し、「すぐに正確な情報を聞き出さなければならない」ということになりました。誰もよい解決方法がわからず、声を上げませんでした。私は「みんな私の家に来れば良い、協調するのに便利だから」と言いました。同修の夫と私は車の中に座り、夫は声も出さずに自宅へ向かい車を運転しました。今回の農村行きは夫が車を運転して同修を連れて出かけたのです。他の同修は安全に帰れましたが、他の二名の同修は連行されてしまったので、夫はとても気持ちが沈んでいました。車が自宅の階下に着くと、私は車の鍵を同修に渡し、彼らを先に上に行かせ、発正念しました。「師父、同修は師父が見ていらっしゃいますが、警官はどうすればよいのでしょうか? 私は何度も怖れてはいられません」と、私は心の中で師父に話しました。私は夫と相談して合意に達したので、夫の運転で私たちは公安局へ行き、夫はそこからすぐの場所で発正念し、私は一人きりで公安局に入って行きました。

 その時はもう昼の11時だったので、公安局には文書受付に二人の若い警察官がいるだけでしたが、何とそのうちの一人は私が知り合ったばかりの善良な警察官でした。その警察官は配属されたばかりで幾日も経っていませんでした。「私は来て正しかった、師父はとても慈悲深いです!」と、私は心の中で考えました。師父に感謝いたします。私は発正念をしながら、見知らぬ警察官が電話をしている隙に、急いで知り合いの警察官に私が来た目的を説明すると、「後で消息を尋ねます」とその警察官は言いました。さらに農村の交番の所長の電話番号を私に教えてくれました。私はこの収穫を抱えて家に帰ると、直接公安局に行った時の要人の考えを言って同修たちと交流し、みんなと相談すると「担当者がいなくてはならない」ということになりました。一人の同修が局長と非常に親しくなったので、電話で真相を伝える担当になりました。

 ちょうどこの時「二名の同修が公安局に不当に拘束されている事は間違いない」という電話を知り合いの警察官から受けました。私は農村の交番の所長と電話で連絡を取り、「私も法輪功を学んでいる者ですが、あなたたちが捕まえたあの同修の夫はどこかの地方にいます。同修がどこに入れられているのかを教えて下さい」とはっきり言いました。「実は私が最も心配しているのはあなたたちなのです。くれぐれも不幸な結末を招かないで下さいね!」と、私は語気を強めてその所長に言いました。私たちの住んでいる所では直接迫害に参加した何人かの警察官に報いがあり死亡したので、公安局の内部では反響が大きかったのです。「それなら急いで来なさい!」と、所長は言いました。

 後になって明らかになったのですが、当時、所長たちは連行された同修の家族が見つからなかったので、彼は私を同修の家族として認めていました。しかし当時、私たちもしっかりしていなかったので、彼が腹の中で何をたくらんでいるのかわかりませんでした。時刻は午後3時過ぎで、知らせを聞き、急いで駆け付けて来た同修がもう部屋いっぱいにいました。そこでみんなで知恵を出しあい、方法を考えた結果、「他の人が私に協力する」ことを誰かが推薦しましたが、誰も積極的に協力しようとする人はいませんでした。そういう状況の中で、私は気持ちの中で繰り返し恐怖心を突破し、正念が増えていました。夕方の5時過ぎに、交番の所長から催促の電話がきて、それをやり過ごすと、私はもう意地になり、協力してほしいと頼んで一人の同修を誘い、出発に備えていました。その時「子供を連れて行ってくれ。子供が家で君の事を心配するから」と、夫が言いました。12歳の子供は、出発する間際にトイレへ行き「その時は覚悟を決めようと考えていて、トイレに入って、力を入れて自分の顔を少なからず叩きました。叩いた瞬間に心の準備ができました」と、この出来事の後で子供は言いました。しばらくして「みんな行こう、私たちは発正念しよう」と、ある同修が言いました。

 公安局に着くと、他の同修は車の中で発正念し、私たち三人は公安局のホールへ入って行き、事務所で「私たちは同修を探しています」と問いただすと、二名の同修がいる事は間違いない事がわかりました。その時、デスクに大法書籍が並べてあるのを見出し、それは一人の同修が警察に協力的だったためですが、それでも私たちは何も考えませんでした。私は事件の捜査をしている交番の所長を見つけ、身内のように接し、あいさつしたところ、彼は確かに法輪功を迫害する事には参加していない事が見て取れました。

 私たちは階段を上り署長の事務室を探し当て部屋に入ると自然に署長に話しかけました。話の目的は局長に同修を解放してもらうことですが、話題にこだわらず、色々な方面から真相を伝えました。署長は他空間にいる邪悪に操縦されている事を私たちは分かっていました。署長の行いはしっかりとしておらず、ペンを持ちながらもペン先はさまよい、しゃべってはいるのですが話の順序が滅茶苦茶でした。(当時、その地区の同修は集中して発正念していました)この時の私は急いでも恐れてもおらず、どうすればうまく真相を署長に伝えられるのか、それだけを知りたかっただけでした。師父は知恵を授けて下さりました。私は署長の親族の一人が私の先生だった事を思い出すと、彼と世間話をしました。それからはすぐに私の思いのままに真相を伝えることができました。

 始まりは同修の拘束期間について「半月間の拘束は仕方がない」と署長が言ったことですが、私は心を許さず、繰り返し署長から即時釈放を勝ち取るよう努めました。次に「一週間の拘束」と言いましたが、私はやはり断念しませんでした。その次には「三日の拘束」と最後に言いましたが、私は反対しました。「同修はたった一分でも拘束されれば迫害されたことになり、警察署長は罪を犯すことになる」と、私は思いました。そして「あなたはくれぐれも同修たちを閉じ込めてはいけません。私たちを閉じ込めれば、さらに面倒になるだけですし、もしかしたらその時にあなたの言ったことは、恐ろしい将来を決定するかもしれません。どれくらい拘束されても私たちはみんなその事を受け入れる事ができますが、大切なのはあなたです! 私はここであなたに後難を残したくないのです」と、私は署長に説明しました。署長のもつ本当の一面がこの話をわかったのかもしれませんが、夜の9時まで継続し、その後二人の同修は不安なく家に帰りました。

 今回、同修の救出に成功しましたが、それは私たちが公安局に行って果たした作用だけではなく、一つ一つの情況で誰かがやるべきことをやった結果です。例えば、二人の同修の修煉状態は実際にあまり良くなかったのですが、他の同修は二人の同修の修煉状態に固執せず、発正念に尽力しました。同修たちは各人が能力に応じて働き、特にある同修は署長に真相を伝えましたし、心を純粋にして、正念を持ち、正しく行いました。そして実際に地元で迫害の報いを受けた事例と結びつけて、利害関係をちゃんと示し、署長に対して、私たちのために何かをしてもらおうと求めず、署長に自分で選択させたので、私たちの心はまったく他人のためにあったと言えます。同修たちは自我を捨てたので、私たちは全体で協力した結果というものに到達したのです。

 後日、私に繰り返し応対していたある国保警察は「なぜこの事(同修が連行される事を指す)があると、あなたが来るのか?」と、「神秘的」なものでも見るように私に尋ねました。それは言いかえれば、「あなたは捕まってもかまわないのか?」という意味でした。「私も捕まったことがあり、捕まるのは怖いと思います。だから捕まった同修と彼らの家族の事を痛ましく感じて、さらに思いやることができるのです」と、私はまじめに彼に言いました。そして「一人の大人として、友人に難があれば助けるものです。同修が連行されていれば、私が来なければいけません。他の人では全然めどが立たないし十分ではないのです。人として堂々とするのはいけないことでしょうか? ましてや法輪功は悪くありません。ですから私はこの法輪功を学んだのなら、思いっきり堂々としなければならないはずです。私は『覆いの中』では生活したくないのです」と言いました。「『覆いの中』とは、いったいどういう意味ですか?」と、彼は聞きました。「梅雨のように暗い空間で生活したくないという事です」と、私は答えました。続いて、「大法の素晴らしさ、大法弟子がなぜ人を助けるのか」ということや「法輪功を学ぶ事は悪くないので、法輪功学習者を捕まえれば違法だ」ということを話し、「法輪功迫害に加担する事によってもたらされる重大な結末と、迫害は暴露される」という点を重点的に説明しました。そして「あなたにはきっと良い報いがある」と、最後に私は彼を励まして話しました。「なぜ?」と彼に問われました。「大法弟子は善人です。あなたは善人を助けてくれました。それならあなたも善人です。ですから当然、一生平安が保たれます!」と、私は言いました。彼は一息吐き、しみじみと感動し、大法弟子に敬服しました。

 私も嬉しくなりました。今生で師父の弟子になり、師が法を正す事を手伝う事ができるのは私の最大の光栄だからです!

 以上をもって、私のここ数年の修煉の中の少しばかりの会得とし、この機会を借りて師父の慈悲に深謝いたします! この数年間、夫、子供また同修の皆さんの無言の助力とご協力に感謝いたします!

 本当にありがとうございました!

 (完)

 (明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『各地での説法』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「阻む無し」
 [3] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/15/299624.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/16/146890.html)
 
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