観念を変え、自分の空間場にある腐敗物や異物を解体する
文/錦州の大法弟子
【明慧日本2014年10月7日】明慧ネットに掲載されている「観念を変え、共に内に向けて探し、危篤の同修が三日で関を乗り越えた」という修煉体験を読んで、私は強く感銘を受けました。
文中ではこう書かれています。
「翌日の午前中、私は明さんの見舞いをしてから帰宅しました。正午の発正念をするとき、私の心はどうしても静まらず、心の中で師父に問いました。『師尊、なぜ多くの同修が明さんのために発正念しているにもかかわらず、彼の健康状態はますます悪くなっているのでしょうか? なぜ邪悪は未だに同修を迫害できるのでしょうか? 私たちは一体何が間違っているのでしょうか?』。突然、師父が大きな灰色の大山を見せて下さいました。そして山頂に、「観念」という二つの黄金色の文字が現れました。この二文字から黄金色の光が放たれ、私の胸を打ちました。私は自身が明さんに対して抱いている三つの観念が見えました。『全体との協力に消極的、能力を発揮しようとしない、気性が激しい』。私ははっきりと分かりました。なるほど、皆の観念が病業に遭っている同修への迫害を重くしたのです」
これを読んで、私は驚きました。私たちの同修への観念はこれほどひどくマイナスに作用し、大きな傷害を与えてしまうのでしょうか! 普段、私たちは病業に妨害されていたり、不当に連行されたりした同修、トラブルや魔難の中にいる同修に対し、それぞれの見方や意見があります。この人はこのような漏れがあり、あの人はあのような執着があるなどです。特に、自分と意見の合わない同修や協調人に対し、いつも相手の不足や欠点が目につきます。いつも自分が正しいと思い、他人を指導し、指摘し、変えようとしたりしています。学法の時も、この段落は誰々のことを言っている、あるいは誰々にもこのような問題が存在すると思ったりしています。
文章の中で、このような話もありました。「周囲の同修は普段、明さんに対して寛容で、擁護しています。たとえ多少の意見の相違があっても、トラブルにはなっていません。しかし他の空間では、それらの意見が黒、あるいは灰色の山となって、迫害を受けている明さんの肉体にどんどん重荷を増やしていきます。皆が一生懸命に発正念をしてもそれを解体できず、どれだけ恐ろしいことでしょう」
それなら、私たちが持つ良くない考えや観念がどれだけのマイナスの物質を作り出し、どれだけ高く、大きく、黒い山を積もらせるのでしょうか。同修にどれだけ大きな損害を与え、法を正すことにとってどれだけの妨害になるでしょうか? 本当に恐ろしいことです。
同時に、私が分かったのは、私の地区のあれだけ多くの同修が長時間発正念をしても、あるいは同修を救出するための策をあれだけ多く講じても、却って同修の病がますます重くなり、ひいては肉体を失いました。多くの同修が救出されないどころか迫害がますます重くなり、さらには邪悪によって刑務所に入れられました。なぜなら、私たちの観念によって、その頂上と側面が見えないほど大きな灰色の山が形成され、同修が受ける迫害を重くしたからです。
師父は『各地での説法二』の「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」の中で次のようにおっしゃいました。「常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」
この迫害はまさに、同修に漏れがあり、執着、欠点、誤りがあるから迫害に遭っていると思い、そして迫害を認めてしまったため引き起こされたものだと思います。誰もが内に向けて探し、自分を正し、執着を取り除かなければ、誰も何もできません。まさに私たちの観念が旧勢力及びその按配に符合し、承認し、支持し、そして放任したがゆえに、邪悪の迫害を助長し、強めたからです。
私たちはこのような観念を持って発正念し、同修を救出しようとすれば、良い効果が得られるわけがありません。それ自体が物質で、生命であり、私達のエネルギー場に充満しています。この時、私たちが発したのは正念ですか? 粘々とした「腐敗物や異物」(『正念』)ではありませんか? 他空間で形成される黒い、あるいは灰色の山が同修の空間場を圧迫し、物事をマイナスの方向へと導いてしまいます。
私たちはこの「灰色の大山」を背負って、「腐敗物や異物」を持って円満成就できるでしょうか? 天に戻れるでしょうか? 新しい宇宙がこれらの「ゴミ」に汚染されて良いでしょうか? これは小さな問題ではなく、私達一人ひとり、そして全体が長い間直面し、乗り越えられなかった「灰色の大山」です。私たちははっきりと目覚め、真面目に、厳粛に、そして思い切ってこの問題に対処すべきです。観念を改め、「灰色の大山」を解体すべきです。
つまり、私達は必ず自分の観念を改める努力をしなければなりません。学法をする時に、理性的に法を認識すべきです。私たち一人ひとり、そして学法グループの全員が法に沿って心を開き、交流すべきです。真に自分を低く見て、謙虚な心を持ち、同修の長所を多く見るべきです。また、問題があれば自分の心を修め、同修についてあれこれ言わず、寛容になり、自分が同修に対して持っている、法に符号しない考えや言動を自省し、観念を改め、隔たりをなくし、共に「灰色の大山」を打ち砕くべきです。そして、岩石のように堅い全体を形成し、円融にして不滅な大穹を築きましょう。
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