修煉者は常人の観念で思考してはならない
■ 印刷版
 

文/広西省の大法弟子

 【明慧日本2014年10月4日】私は大病院の医者です。自分は現代医学を熟知しており、いつくかの病気に関してその発病の原因、病気のメカニズム、またその治療法、治癒後の対策についてしっかり理解していると思い込んでいたため、これらのような病業が現れた時、それはなんという病気か、どう対処すべきか、対処しなければ、どのような結果になるか……などの固定観念を頭に形成してしまいました。

 今年の2月、自分が常人のより良い生活を憧れるという隙を、旧勢力に乗じられました。ある日、私は、販売業者の新車の買い替えイベントで、もっと立派な車に買い替えたいと思いました(実は、今の車も結構良いものなのに、さらに高級車に乗り換えたいと思いました)。翌日、歯を磨いた時、私の口元はしっかり閉じられなくなり、口元から水が漏れるようになりました。その時、私は即座に、自分の修煉には漏れがあると思いました。それは学法を怠けること、法を学んでも心に留めないこと、常人の生活を求めること、また気付きにくい安逸心、顕示心、利益をむさぼる心も潜んでいることでした。しかし、同時に、私の頭に、これは常人の顔面神経炎の症状だと言う考えも顕れました。しかし修煉者なので、この一念を持ってはいけないと改めて考えました。私はすぐに車を買う計画を取りやめ、自分が気付いたすべての良くない心を取り除き、さらに大法弟子を迫害する旧勢力を滅して、師父が手配された道を歩むよう発正念をしました。

 このように考え、またこのようにもしました。しかし、口元からは依然として水と風が漏れ、また、左目から涙が出て止まらず、病状もますます重くなりました。この時、私の心は少し落ち着かなくなりました。以前、歯髄炎になったことを思い出し、歯髄炎の再発で顔面神経に及び、顔面麻痺を引き起こしたのではないかと思いました(実は師父は説法で、真に修める弟子の病根がすでに取り除かれ、病気はすでに存在しないと説かれており、自分は法に対する理解が足りませんでした)。病気になった気持ちはますます重くなり、そして直ちに治療しなければ、顔面麻痺の後遺症が残り、その回復が難しくなり、甚だしきに至っては自分の容貌に影響を与えるのではないかと心配しました。これらのことを思うと、恐れる心が出てきて、病状も強まりました。しかし、修煉して10数年、以前患った慢性B型肝炎のような難病も全治したのに、病気になるのはあり得ない、病気になっても自分が求めたものに違いないと思いました。

 私は病業に対して、まず恐れました。私は常人の物質空間の物事についてより多くの知識を持っているため、とても強い観念を形成してしまいました。この観念は人の考えを左右し、主意識を弱め、自分の神の一面を働かせず、常人の観念で考えさせ、物事を人間の空間の法則に沿って動かしました。

 明慧ネットにはこのような例が掲載されていました。ある農民の同修が作った野菜にたくさんの虫が付いていて、その野菜は処分されそうになりました。この場合、普通の人ですと、まず殺虫するでしょう。しかし、この同修は農薬で殺虫するのが殺生と同じ行為だと思い、そこで、彼は虫と話し合いながら、善解を求めました。すると虫は自然に消え、枯れそうになった野菜も青くなりました。また、もう一人の同修は大法を実証する事に忙しく、野菜を作るタイミングを逃し、その後栽培した苗は枯れて茶色っぽくなっていました。他の誰も、豊作が期待できないと思いました。しかし、結果は豊作で、他の人よりもよく収穫ができました。これらのすべては常人の考えを覆すものでした。

 絶えず法を学ぶことによって、自分があまりにも常人の知識に制限され、常人の知識をたくさん身に付けているから、魔難に正しく対処できると勘違いしていることに気が付きました。長い間、私はこの観念を固守していて、この枠を打破する勇気はありませんでした。発正念だけに頼ってはいけません。法理に対する理解力を高めることは最も重要で、しかも、学法は自分を高める唯一の道であることが分かりました。これを理解した時、涙が止まり、顔面麻痺も次第に治まり、口元からの水漏れも軽減しました。4、5日後、すべての症状は消えてなくなりました。非常に不思議でした。

 その後、私は自分の経験したことを他の医師にも言いました。彼らもとても不思議だと言いました。それは当然でしょう。常人の場合、すぐに治療をしなければ、一生の後遺症が残り、すぐに治療をしても、全治するには2、3週間がかかるのは普通です。しかし、修煉者は注射も薬も要らず、なのに注射をして、薬を飲むよりも早く治りました。これは佛法が最高の科学であることを証明しているのではありませんか。

 魔難に遭った同修にも、自分がいくつかの領域で常人の知識を多く持っていても、観念を突破して、法で自分を評価し、正念を持って正しく行い、常人の観念に妨げられないように、乗り越えるべき関門を突破してほしいと思いました。

 正しくない所があれば、ご理解をお願いします

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/9/27/298211.html)
 
関連文章