文/黒竜江省の大法弟子 馬忠波
【明慧日本2015年3月1日】(前の文へ)
七、実証科学への衝撃
1、ハルビン北方大腿骨頭壊死症研究所
1999年2月6日、私は初めてハルビンの北方大腿骨頭壊死症研究所へ行きました。そこで会った所長は、医者としてのモラルがある、とても正直な医者でした。2000年3月に私は彼らの研究所で改めて1枚のレントゲン写真を撮りました。この写真では依然として大腿骨頭が壊死したのが見えました。しかし、現実に私が訪問した時、私は完全に健康に快復していました。彼も写真には変化がないのに、どうしてよくなったかと不思議に思っていました。当時、彼のそばにいた若い医者は「この病例は私達の研究所にとって歴史的な成果として記録できます」と言いました。所長は「それは駄目です。この患者の病気は私達が治したのではなく、彼女が法輪功を修煉してよくなったのです。私たちの治療とは全然関係がありません」と言いました。
後に、私が法輪功を修煉して病気治療と健康保持ができたことを書いた感想文であの所長の実名を書きました。張連喜所長はインタネットで私が書いた文章を見て、「どうして私の名前を書いたの? 全世界の人達が見ました」と言いました。「これは事実でしょう」と私は答えました。彼は「事実は事実ですが、これからは私のことを再び書かないてください」と言いました。私は彼に「あの時あなたが私を励ましてくれたおかげです。あなたは医術が優れているばかりでなく、道徳も高尚です。私の病気はあなたが治してくださったのではありませんが、私を励ましてくださいました。あの時私の病気はあんなに重くなっていましたが、あなたは念が正しく、ずっと私を励ましてくださいました。今私がよくなったのも、一部はあなたのおかげです」と言いました。
黒竜江省警察の人たちもその文章を読み、私のことが本当かどうかを調べました。張連喜所長はありのままを話し、自分が見たことを述べ、大法のすごさを証明しました。私の病歴番号(1999年3号)と2000年3月に撮ったレントゲン写真を比較しながら彼らに説明し、2回の検査の結果もみな「両側の大腿骨頭壊死」と書いてあったが、法輪功を修煉してから健康な人になったと言いました。黒竜江省警察の警官も事実の真相を理解して、このことはうやむやのうちに終わりました。
2001年、私はまた、ハルビン北方大腿骨頭壊死症研究所へ写真を取りに行きました。あの所長はまた写真を撮りましたが、結果は依然として大腿骨頭壊死の症状でした。
2、黒竜江省立病院
私が修煉してから3日たって、あれほど重かった大腿骨頭壊死症が治りました。私は修煉する前に診断を受けた省立病院に行ってフィルムを撮りましたが、医学画像科の張明磊医師は私の写真を撮り終わると、レントゲン写真の報告書の上にある「大腿骨頭壊死」の後ろに疑問符を書き、その下に「観察」の2文字を書きました。彼は病歴を書いて、印を押しました。
彼が私に対して行ったいろいろな検査で私は正常で、歩くのも、しゃがんだあと立つこともできるので、彼は理解できなくなりました。私は「この疑問符は何の意味ですか?」と尋ねました。彼は「あなたは大腿骨頭壊死に間違いありません。あなたはよくなったではありませんか?」と答えました。私は「家族が私にお金を使ってレントゲン写真を撮らせるのは、本当のレントゲン写真を見たいだけです。写真の状態をそのまま書いてください。家族は写真がほしいだけです。この疑問符は何の意味で、私はいったい大腿骨頭壊死なのですか、そうではないのですか?」と尋ねました。
彼は「確かに大腿骨頭壊死です。でもあなたはどこも痛くないし、正常になっているではありませんか?」と言いました。彼もどういうことか分かりませんでした。彼は私の病歴に書いた疑問符をとても後悔していましたが、印を押していたので、もう改める方法がありませんし、仕方なくそのままにしました。彼は「確かに大腿骨頭壊死です。確かに大腿骨頭壊死です」と繰り返して言いました。
(続く)