文/Arnaud H.
【明慧日本2021年7月24日】(前文に続く)
もちろん、ここでは簡単に書いていますが、没落は極めて複雑なプロセスで、絶え間ない大小の戦争の名前だけでも目がくらむほどです。地理的位置、社会形態、経済構造など多くの面から古代ギリシアの没落の外的原因を分析することができますが、内在的な原因は、人の心の変異にあると思います。道徳の変異は誤った判断や意思決定につながり、結果的に破滅を招いた例がとても多いのです。そのため、古代ギリシア人は古代ローマ人に打ち破られたのは表面の現象だけで、実質は、堕落が滅亡を招くという天意を現しています。
ローマ神話はギリシア神話ほど奇怪な物語や伝説がなく、特に古代ローマ文明の初期に、最初の神は個人的な経歴、結婚、子供を持っていません。彼らはギリシアの神とは全く違い、静態的な神性だけを示し、ギリシア神話の中の人情的な性格と行為がなく、もっとまじめに見えます。そのため、彼らの活動に関する記録もあまりなく、これも今日の人々がローマ神話に対する理解が少ないことの原因です。
ローマ人は古代ギリシアの土地を取得すると同時に、ギリシアが残した文明も吸収しました。そのため、文化が融合していく中で人々はローマの神と役割が近いギリシアの神と対応することをしがちで、その後、ギリシアの神とローマの神が混同されるようになり、同じ神が二通りの名前に訳される現象もありました。
歴史の発展、民族と文化の融合につれて、古代ローマ人はますます古代ギリシア文化の影響を受けて、物語を編纂し始めました……。宇宙の成、住、壊、滅の法則の下で、古代ローマも必然的に没落へ向かいました。崩壊した観念が民俗ないし宗教形式に崇められた時、道徳に対する破壊力は驚異的なものです。例えば、ギリシアからローマに伝わった「酒神祭」はとっくの昔から狂飲暴飲、乱交を趣旨とする邪悪な祭りに変異したにもかかわらず、民に神聖な祭典として崇められています。紀元前186年にローマ政府によって禁止された後も、長い間、秘密裏に活動していました。
しかし、いくら立派な名前であっても、たとえ「神」の看板を掲げていたとしても、変異したものは長続きせず、天罰を受けます。ポンペイの古城がモラル崩壊のために天から降りた火に焼かれたことはその一例です。
ここではずっとギリシア文明の衰退について述べてきましたが、実は人類の文明には陰と陽、正と負が同時に存在しています。後に古代ギリシア文明の良い一面、輝いている部分について話したいと思いますが、両極が同時に存在しているため、後世は正邪を分別できなくなりました。
堕落したギリシア文明の多くが受け継がれて、後世に大きな悪い影響を与えました。古代ギリシアは歴史の舞台から退きましたが、その文化は消滅しておらず、野草のように生命力が強く、今も生き続けて、社会文明に影響を及ぼしています。
古代ローマ人が戦争中に敵と見なし、滅ぼそうとしたギリシア文明は、勝利の後、その豊かさに甘んじてローマ人に受け入れられました。キリスト教も古代ギリシア文明を異端と見て、滅ぼそうとしましたが、古代ギリシア文明の中の良い一面が宗教理論に付着し、神学の一部分にさえなりました。宗教改革の後、多くの教派は教義を純正化させることを提唱し、キリスト教でないものを取り除こうと主張しましたが、しかし、それはすでに文化、芸術、哲学、科学、政治など多くのジャンルに入って、密接につながっています。今になって、西洋社会の政治形態、経済制度、人文理念、文明基礎などは、いずれも古代ギリシア文明と密接に関係しています。そればかりか今では同性愛、性の解放、近親相姦などを支持する人がその正当性を証明するために、古代ギリシアに遡って、それは古代から伝わる「伝統」だと主張しています。
1775年、イタリアで出土したゼウスの胸像、バチカン博物館に現存。数世紀の間、カトリック教会は異教の文物の収集に力を注いだ |
実際、古代ギリシア時代から伝わる書物を調べてみると、当時の混乱した神話に不満を持つ古代ギリシアの学者や哲人は少なくないことが分かります。例えば、紀元前6世紀の哲学者で詩人でもある、クセノパネスは、神話を改編することに反感を示し、神を冒涜していると主張しました。1世紀後の聖人ソクラテスの時代になると、彼の弟子のプラトンが残した『理想の国』などの著作からも分かるように、彼ら一門はホメロス以来の詩作に大変不満を持っています。
(続く)