【明慧日本2021年10月16日】(黒龍江省=明慧記者)2002年11月28日、大慶市薩爾図区中林街1-3号ビルで、放浪生活をしている牡丹江市の法輪功学習者(以下、学習者)・叶蓮萍さん(女性、当時30歳)、董淑艶さん(女性、当時30代)、王永強さん(男性、当時55歳)、依安県の女性・小不点さん(仮名、当時21歳)、海倫市の文さん(男性、当時39歳)、大慶市の王克民さん(男性、当時37歳)の6人が、待ち伏せていた大慶市の警官らにより連行された。叶蓮萍さん、王克民さん、王永強さんは迫害により死亡した。
一、連行された経緯
2002年11月27日の午後、牡丹江市から大慶市にやってきた叶蓮萍さんと董淑艶さんは、王永強さんが借りていた中林街1-3号ビル301号室で休憩した。翌日(11月28日)の朝、大慶市国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)、薩爾図区公安局の警官らが、301号室に侵入し、叶蓮萍さん、董淑艶さんと小不点さんを強制連行し、小不点さんの所持金850元を押収した。その後、王永強さんは外からマットレスを持って部屋に戻り、警官に侵入されたので、被害を避けるためため急いで3階から飛び降りた。王永強さんは骨折したにも関わらず連行された。
午後1時と午後5時頃に、301号室を訪問した文さんと王克民さんも、待ち伏せていた警官らに連行された。
二、牡丹江市の叶蓮萍さん 拷問されて死亡
叶蓮萍さんは、2001年にハルビン女子戒毒労働教養所で迫害を受けたことがある。解放された後、牡丹江市の警察にネット上で懸賞金をかけて指名手配された。牡丹江国保の隊長の李福は、「叶蓮萍を捕まえたら殴り殺すぞ」と言いふらしたことがある。そのため、叶蓮萍さんは放浪生活を余儀なくされた。
2002年11月27日、叶蓮萍さんは連行された後、牡丹江市の警官によって牡丹江に連れ戻され、髪の毛を掴んで引きずられて殴られたり、からしオイルを鼻に流し込まれたり、ビニール袋を頭にかぶせられたりするなどの拷問を受けた。
2002年11月29日、30歳だった叶蓮萍さんは、拷問により死亡した。叶蓮萍さんの7歳の娘は、母親を失った。
三、大慶中学校の教師・王克民さん 拷問により死亡
王克民さんは大慶市第65中学校の元教師で、法輪功が中国共産党の江沢民集団に弾圧された1999年7月から、何度も連行され、洗脳、拘禁、拷問を受けた。
王克民さん |
1999年7.20以降、王さんは上京して法輪功の無実を訴えたとして、勤務先で洗脳迫害を受けた後、公安部門で15日間拘束された。その後、また洗脳班に送られた。
2000年2月27日、王さんは再び北京へ陳情に行ったが、45日間拘禁された。 同年8月、王さんは再び大慶市の警官らにより連行され、45日間拘禁された後、1年の労働教養を科され、9月27日に大慶労働教養所に送られた。
2001年9月、王さんは法輪功のDVD資料を同僚に見せたことで、第65中学校の党書記・王樹祥に通報された。以来、王さんは放浪生活を余儀なくされた。
2002年1月15日、王さんは卧里屯に資料を届けに行った時、地元の警官らにより連行された。一晩中、王さんは鉄の椅子に座らされ、手錠と足かせを付けられ、頭にはビニール袋を被せられ、目には唐辛子の汁をかけられ、蹴られて鼻が斜めになった。1カ月間断食して迫害に抗議した王さんは、病院に運ばれた。その後、王さんは病院から逃げ出した。
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王さんが病院から逃げ出した当時の写真から、拷問の跡が見える |
2002年11月27日、王さんは連行された後、大慶市薩区留置場に拘禁された。翌日の11月28日、王さんは4人の警官に裸にされ、鉄の椅子に縛り付けられた。警官らは、わざとドアや窓を開け、王さんの体に雪や冷水をかけ、昼夜を問わず凍えさせた。また、4人は王さんにかけている手錠を蹴ったり、タオルで王さんの首を絞めつけたりしたため、王さんの首が折れそうになった。
6日間の昼夜にわたる拷問を受けた王さんは、身体が弱りきって傷だらけになり、触れるだけでも激痛が走っていた。
2002年12月14日、王さんは大慶市の第二病院に運ばれた。2003年1月中旬、王さんは再び病院から脱出した。激怒した警官らは、王さんの高齢の母親と世話をしている身内を連行し、大慶龍鳳地区のすべての学習者の家を探し、「王克民を捕まえたら容赦なく殺すぞ」と言いふらした。
2003年5月7日の夜、王さんは迫害されて死亡し、5月11日に火葬された。 情報が封鎖されているため、王さんの死因は不明である。
(続く)