【明慧日本2021年10月17日】(前文に続く)
四、懲役15年の実刑を宣告された王永強さん 11年間拘禁され死亡
牡丹江市東安区に住む王永強さんは、法輪功を堅持し続けたために迫害を受け、放浪生活の中大慶市にやって来た。生活を維持するため、タクシーの運転手をしたことがある。
2000年から2001年までの間、王さんは大慶市で連行され、1年の労働教養を強いられ、大慶労働教養所に収容された。そこで、王さんはしょっちゅう罵られ殴られ、両腕を後ろに回されて縄できつく縛り付けられた。
拷問の再現:両腕を後ろに回されて縄できつく縛り付けられる |
2002年11月28日、大慶で連行された王さんは牡丹江に連れて行かれ、留置場に拘禁された。その後、牡丹江610弁公室と牡丹江国保の関係者らは、王さんに懲役15年の実刑判決を言い渡した。2003年、王さんは牡丹江の尖山子刑務所に送られ、「転向」を強要された。そこで王さんは、殴られ、長時間の睡眠を奪われ、塩水を注がれ、裸にされて冷水をかけられ、さらには氷点下の屋外で凍えさせられるなどの拷問を受けた。 2012年6月、11年間も不当に拘禁されていた王さんは、脳出血を起こして病院に搬送されたが、死亡した。
五、小不点さん、董淑艶さんは残酷な拷問を受ける
2002年11月27日の午後、小不点さんと董淑艶さんは連行された後、牡丹江市に連れ戻され、公安局の7階に引きずり込まれた。150センチ前後で小柄の小不点さんは、何度も拷問を受けて立ち上がれなくなった。叶蓮萍さんが亡くなった日の夜、小不点さんは牡丹江第一留置場に拘禁された。期間中、小不点さんは断食して迫害に抗議したため、無残に灌食され、コンクリートの地面に投げられ、蹴られて何度も意識を失った。21日後、無罪で解放された。
董淑艶さんは牡丹江国保の警官らに殴られ、身体が傷だらけになり、頭や顔は痙攣を起こし、感覚を失った。その後、牡丹江鉄道留置場に移送され、警官によって革靴で数え切れないほど蹴り続けられた。
董淑艶さんの家族は、毎日公安局に行き董淑艶さんの解放を強く求めていたため、2002年の12月中旬、董淑艶さんは解放された。
(完)