文/アイルランドの大法弟子
【明慧日本2021年12月1日】美術界には「芸術は修煉の一部である」という言葉があります。多くの芸術家は、自分の人生で感じて悟ったことや、心の道程を作品の中に反映し、芸術は感情を述べ表すことができ、自分の気持ちを表現します。
しかし、多くの芸術と携わる人は「『修煉』と言われても、それは喩えということで、或いは修辞的な表現です。伝統的『修煉』とは関係がありません」と、認識しています。実は、伝統芸術の根元に遡れば、美術が一部の修煉方法、宗教理論の間に密接に結びつけていることが分かるでしょう。この結び付けは芸術題材と作品用途だけに限らず、多くの次元と関わり、例えば、描きの顔料、技法などからも分かります。
『伝統色の奥妙』の中に、数種類の伝統的な色彩を紹介しました。例えば、佛家の金色、道家の紫色など。この例によって、伝統的な色彩と修煉文化の間に密接な繋がりがあることを現わしています。では、修煉文化はどうのように、美術理論や、具体的な実践の中で表すでしょうか? 本日、私たちはその背後の玄妙について別の角度から話しましょう。
丹青への見方
中国伝統文化は神伝文化(神様から伝わってきた文化)であり、博大精深で、美術が神伝文化の中の重要な一部として、同じように奥深い内包があります。描きは中国古代に「丹青」とも呼ばれていました。この名称は人間の表面上で簡単に見たことではありません。異なる人は異なる理解があり、異なる次元に異なる表現もあります。伝統文化の中に、物事への認識自体は、多次元、立体的な時空の構造なので、各次元の理が含まれています。
まず、この世間にある美術領域の認識について話しましょう。通常は「丹青」は古代の「丹」と「青」という二種類の鉱物質の顔料と指しているとされています。つまり「丹」は赤・朱系の色、「青」は青い色、美術専業でない人なら、簡単に、赤いと青い二つの種類の色と理解すればよいのです。中国古代の描きはこの二つの色を良く使うから「丹青」が描き芸術の別称となりました。
実は、伝統美術が分かる人なら、中国古代の描きはこの二種類の色だけでなく、よく「五方正色」を使っています。つまり「金、木、水、火、土」という五行と対応する「白、青、黒、赤、黄」という五色で、そして黒と白を主として、墨色の運用を重んじます。だから、一部の人は「丹青」という言い方が色彩自体を重んじると認識しています。つまり、色彩の冷暖の角度かれ見れば「丹」は暖色系「青」は冷色系です。
現在の色彩と光学研究によって、三原色という概念を設定しました。もし赤(RED)、緑(GREEN)、青(BLUE)の三色の光が異なる比例で重ねて、人の目に対して各周波数の可視光線の色の感覚を形成することができます。つまり豊富な色の光を生成して、専門領域に呼ばれる「RGBカラーモデル」です。この背景で、赤、緑、青の三色の光は人々に「三原色」と定義されました。自然の光のスペクトルの中に、緑は赤と青の間にあります。比べて見ると、赤と青のスペクトルの距離が離れています。だから、色彩学の角度から見れば、赤いと近い色は暖色系であり、青いと近い色は冷色系であります。これで、赤と青二種類の色は基本的に全体の色概念を概括することができます。
スペクトルには、三原色中の赤と青は緑の両側にある |
現代の医学によると、人の目の中に数種類の色彩を感じる錐体(すいたい)細胞があり、萌黄(もえぎ)色、緑、紫色の光に反応が一番大きいです。RGBカラーモデルは現段階人類が色を表現する便利な方式であります。実は、RGBカラーモデルは人の錐体細胞が色彩への敏感度に合わないし、自然界の本当の色の法則に合わないで、人類の現代技術に基づいて、人為的に制定したことです。
美術には、顔料の三色と色光の三色は完全に別のことです。しかし原理は同じです。その制定は相当程度の主観性と技術の限りがあります。数十年前、美術界に基準とされた「赤、黄色、青」の顔料の三原色は、今の美術教科書の中にすでに「青、明るい赤色、黄色」(ここの青は現代概念の青であり、古代の「丹青」の青とは別々の色です)に替えられました。理論上に言えば、いわゆる原色について、他の色が混合することによって生み出すことはできません。しかし、明るい赤色と黄色を混ぜると旧バージョンの赤色を作ることができ、青緑色と明るい赤色を混ぜると青色を作ることができ、逆に、赤、黄色、青を混ぜて、明るい赤と青緑色を作ることができません。だから、前の赤と青二色は原色から中間色に変えました。
現段階の色材の三原色。青緑色、明るい赤、黄色は新しいバージョンの三原色になり、黄色と明るい赤を混ぜると赤になり、青緑色と黄色を混ぜると緑色になり、明るい赤と青緑色を混ぜると青になります。だから、赤、緑、青は新しいバージョンの中間色になります。理論上三原色を混ぜると黒になるが、現実には、異なる顔料の特性によって、グレーの破色になります。 |
しかし、新しいバージョンの三原色の現れによって、長年の色彩理論が滅ぼされることになります。新しいバージョンの三種類の色を古いバージョンの中間色、混色、補色の理論に代入したら、その理論と矛盾になります。顔料の領域に、赤と青緑色について、補色の関係は視覚の機能に合わない、青と黄色が補色関係になったが、緑の色を生み出すことができます…。だから、新しいバージョンと古いバージョンの三原色理論はそれぞれの長所があって、それぞれの短所もあります。両方の支持者はそれぞれが自分の言い分を主張しています。だから、プロの人はこれらの規則を運用する時、学校から勉強した「三原色」などの概念が人為的に定義した規則で、宇宙の真理ではないことを理解すべきです。
詳しく説明する場合、この中の状況が非常に煩雑です。歴史の発展に従って、文化は科学技術のように、領域の分枝も多くなっていき、たいへん複雑かつ絶対正しいと言えない各種類の知識は、分ければ分けるほど細かくなり、各理論は細かい方向へ伸びると見えますが、実はその道路は歩けば歩くほど狭くなり、すでに枝葉末節になりました。私の角度から見れば、文化や芸術への研究について、今の複雑の理論の中に潜り込んで、根本を捨てて末節にとらわれることより、人間の本性の自然悟りに従って、大所に着目して、芸術の初心に遡り、返本帰真して、芸術を伝統に回帰することは本当の道です。
(続く)