【明慧日本2021年12月3日】(前編に続く)
次の日、バスに乗るとき、私はわざとBさんの隣に座りました。 私は「昨日はごめんなさい、あなたの陰口を言うべきではありませんでした。 あなたの言うとおりです。なにかあれば面と向かって話せば、あなたも受け入れてくれます。いままでの私は、あなたに対して区別の心を持っていて、それが正しくありませんでした。この件を通して、私は目が覚めました。今後、どのようにあなたと接すればいいのか分かり、あなたとAさんに対して区別の心があってはなりません」と私の気持ちを伝えました。Bさんは私に、自分が不当に扱われた悔しさを話し、涙を流しました。
私は自分には善がないことを認識しました。 私はBさんを叱責して傷を負わせました。私はこのような党文化的なものを必ず修めて取り除き、善を持って同修に接しなければなりません。その後、Bさんは私に対して不当に扱ったことが何度かありましたが、私は説明することも怒ることもせず、ただ心の中で「善を持って同修に接する」との一念を持ち続けました。
ある日、グループ学法が終わった後、Bさんは次のように話しました。「某先生は私たちがどのように真相を伝えているのかを聞いてきたので、私はあなたたち2人はいつも一緒にいて、私は1人で伝えていると返事しました。某先生は『あなたたちは一緒にいるべきだ』と言いましたが、 私は『Aさんは某姉さん(私のこと)と一緒にいるのが好きなようです』と答えました。某先生は私のことを心配していました」。この言葉には、まるで私たちがBさんを避けていて、Bさんのことを気にかけていないかのように聞こえました。しかし、私たちは毎日一緒にいるのではありませんか? 私がBさんを責めようとしたとき、若いときのBさんの光景が見えました。Bさんは美しく、無邪気で優しく見えました。また可哀想にも見え、私たちがBさんを本当に傷つけてしまったかのようにも見え、Bさんは私たちを全く責めませんでした。そこで私は言いたいことを飲み込みました。これは、師父が私に善をもって同修に接するように、啓示してくださったと思いました。
師父はこのようにおっしゃいました。「神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです」[1]
私は分かりました、Bさんは私を手助けして、同修に対して善をもって接するように注意を促してくれたのです。
ある日、私たちは朝から真相を伝えに出かけることを約束しました。発正念をしたあと私は出かけました。Bさんに出会ったとき、私は饅頭を食べていました。Bさんは便秘なので、羊の糞のように小粒で固いと言いました。私は心のなかで「これは私のどの心を取り除こうとしているのか?」と思い、探してみたのですが見つけることが出来ませんでした。翌日、私は饅頭を食べていて、彼女は同じこと言っていました。私は我慢して何も言いませんでした。三日目にも私が饅頭を食べていて、Bさんはまた同じことを言いました。私は本当に彼女が排泄した羊の糞を食べたような気分になり、気持ちが悪くて吐きそうになり、本当に彼女に怒りたいと思いましたが、我慢しました。
これは私のどんな心を取り除こうとしているのでしょうか? と考えました。私は内に向けて探すことがあまりできていなかったので、しばらく探した結果、私は汚さを恐れる心がありました。私にはネズミを見ると吐き出しそうになり、褒め言葉を聞きたがり、批判的な言葉を受け入れず、トラブルに出遭うと忍をすることができず、嫉妬心があり、人に指摘されるのが嫌で、怨恨心や人を見下す心がありました。私はこれらの人心を必ず取り除きたい、と思いました。
ある日、学法を終えた私たちは歩いて帰りました。道中、とても安い質のいい大根を売っていたので、私たちは大根キムチを作ることにしました。Aさんは二袋買い、Bさんと私は一袋買いました。Bさんは実家に立ち寄るといい、大根を持っていては不便なので、Aさんに持って帰ってくれるよう頼みました。Aさんは両肩に大根の袋を載せており、両手には他の荷物を持っていたために、「これ以上は持てない」と言いました。Bさんは「どうであれ、私の大根を持って帰ってください」と言いました。このときバスが来ましたので、Bさんは大根をバスの中に投げ込み、立ち去りました。
バスから降りるとき、私はBさんの大根を持って降りました。Aさんは「見てくださいよ、これ以上持てないでしょう」。私は自分の大根を道端に置いて、Bさんの大根を持ってAさんの家に向かいました。歩きながら私は「良いことだ、良いことだ」と言って、Aさんも「良いことだ、良いことだ、これは私たちの心性を高めるためです」と続いて言いました。
ある日、Aさんは私に、「Bさんはあなたを叱責する勇気がなく、いつも私を叱責しています」と言いました。私は「この事はBさんに話したことがありますが、彼女は驚き、意識していないと言いました」と答えました。Aさんは「そんなことはないでしょう、私は彼女(Bさん)を叱責したことがないですよ」と言いました。私は「あなたを見て分かったのですが、あなたの心のなかにBさんに対して不満があります。表向きでは言わないが、Bさんに怨恨心があり、あなたがその心を放下しなければ、Bさんはいつもあなたを叱責するのです。あなたはいろんな面においてよく修煉ができています、この試練はあなたの心性を高めるためであり、だからあなたに対する要求も高くなったのです」と説明しました。
師父は「私が見たところ、本当に正しく対処している人もいれば、表面では無事にやり過ごしましたが、内心では気になっている人もおり、(笑)しかしまだ冷静でいられます。これはすでに第一歩で、大法弟子の次元が違うので、異なる煉功者に対する要求も違います。しっかり行なえる者はさらに高く要求され、速く向上するのです。修煉はつまりこういうことで、設けられた関が小さければ、少ししか進歩できませんが、設けられた関が大きければ、あなたは一つの飛躍を遂げます」[1]とおっしゃいました。
私はAさんと師父の法理に対する理解を交流し、Aさんは「あなたの言ったとおりです、よく分かりました」と言いました。この出来事の後、AさんはBさんの母親に会いに行きました。Bさんの母親はひどい言葉でBさんを罵り、Aさんの孫に対しても罵ったのです。AさんはBさんの母親に対して怨恨心があり、見下していた心がありました。師父の法理を理解したAさんは、これらの執着心を取り除き、そしてBさんの母親に自分を罵ってもいいと言って、罵られても怨恨の心が現れなかったそうです。罵ったBさんの母親は思わず笑い出し、Aさんも嬉しくなりました。Aさんは「この試練を乗り越えることができました」と話したそうです。
Bさんはこの数年はとても精進しています。時間があれば法を学び、他のプロジェクトにも参加して真相を伝える事もとてもよく行い、常人の話が少なくなりました。Bさんの母親が入院して看病する人が必要だと言っていましたが、Bさんは困難を克服し、真相伝えに影響は出ませんでした。BさんはAさんと話すとき、いつも相手を叱責する口癖が出て、話したあと後悔し、またAさんの心性を高める魔にもなりました。BさんはAさんに「ごめんなさい」と誤り、Aさんのうわさ話も少なくなりました。
座禅のときに、私とAさんの次元が下がっているのを見たBさんは、私たちに悟ってみるようにと注意を促しました。そして、私とAさんは修煉を緩めた原因を探し、それを突破して試練を乗り越えるようにしています。私たちはお互いに助け合い、法の中で共に高め合い、同修との縁を大切にしています。真相を伝える中でも私たちは互いに注意を促しています。
師父はおっしゃいました。「人々に真相を伝えることは皆さんが非常によくやりました。皆さんに教えますが、このことも偉大で慈悲なのです。ただ一枚のチラシを常人に渡し、一つの真相を常人に伝えたかのように見えますが、皆さんに教えますが、今度の出来事が終わったら、人類は次の時期に入ります。頭の中に『宇宙大法は良くない』と思う人や生命は最初に淘汰されるのです。このように思う人や生命は宇宙の最も悪い生命よりも悪いからです。その人が反対しているのは宇宙の法だからです。私たちが世人に真相を伝えている時、一部の人の大法に対する邪念を除去したので、少なくともこの点において彼を救ったのではありませんか」[2]
私は悟ったのですが、これは私たちが慈悲を持って衆生に接するように師父からの呼びかけであり、私たちはこのような人によく出会うからです。
ある日、40代の男性に出会い、三退を勧めましたが、彼は三退をせず法輪功の悪口を言っていました。彼は大きな声で「私は共産党を信じ、マルクスを信じているので、私に法輪功の話をしないでほしい、聞きたくない」と言いました。同修は横で発正念をし、私は「マルクスは18歳のとき悪魔のサタンを信仰し始め、あなたが彼を信じるのであれば、彼のところに行かなければならず、中国人は中華民族の子孫なのです。私たちは中華の子孫になるべきで、マルクスの子孫になってはいけません。中国共産党(以下、中共)を滅ぼすのは天意であり、あなたは邪悪な中共を信じて三退しなければ、あなたはその一分子になるのです。天が中共を滅ぼす時になると、あなたは副葬品になるのです。もしあなたが良い人であれば、それは可哀想ではありませんか? 法輪功は佛法修煉であり、世界で百以上の国と地域に修煉者がいます。法輪功を悪く言わないでください、神佛と悪縁を結んではなりません」と 、 彼に真相を伝えました。
そしてAさんは続けて、「私の知り合い2人が火傷を負いました。『法輪大法は素晴らしい』と念じた人は大分良くなりましたが、念じていないもう1人は助かる見込みは50パーセントと言われ、皮膚移植を5回しなければならず、ひどい痛みで苦しみ、治療費がありません」と言うと、彼は「私は法輪功がよくないと言っているわけではなく、私に関係ないことだ」と言い、私は「今後はもう言わないでください、神佛はあなたを許してくださいます」と話しました。
またある日、1人の女性に出会い、その女性は三退に応じました。しかし法輪功の真相を伝えると、彼女は反感の態度を示し、「信じていないので、私に言わないように、紙幣に文字を印刷し、お金を汚し、これは破壊行為で、法輪功は共産党に反対している」と言いました。私は「あなたには信じない、聴かない権利があります。あなたは賢く善良な人に見えたので、あなたに真相を伝えなければ、心残りになります。紙幣に印刷された文字は真相を伝えて人を救うためであり、中共が滅びるのは天意なのです。法輪功は法輪大法とも呼ばれ、真・善・忍を修めています。もし1人の生命が真・善・忍を認めず、もしくは反対するのであれば、この生命には未来がなく、神が淘汰する対象となります。あなたはそうなりたいのですか?」と真相を伝えました。
彼女はしばらく考えた後、「知らない人には罪がない 」と言い、 私は「あなたに教えました。あなたは知らないとは言えないし、悪いとも言えなくなります。 神様は慈悲深く、あなたに良い未来が訪れることを願っています」と言いました。
師父はおっしゃいました。「しかし、考えたことがありますか? この世に来た時、かつて私と誓約を交わしたのです。それらの衆生を救い済度すると誓ったから大法弟子になれて、このことを行なうことができたのですが、あなたは誓約を果たしていません。あなたは誓約を全部果たしていません。あなたが受け持つ背後の、あなたに割り当てられたそれらの数え切れない衆生、厖大な生命群でさえ救い済度することができなければ、それはどういうことですか?! 単なる修煉が精進していないだけの問題でしょうか? それは極めて極めて大きな犯罪です! 罪はこの上なく大きいのです!」[3]
私たちは人を救う重大な責任を感じています。今後、私たちは必ず法をよく学び、自分をより良く修めます。法の中で高め、人を救う力を強化し、智慧をもって人を救います。そして私たちの誓約を果たすために努力し、師父の救い済度の恩に報います!
偉大で慈悲なる師父に感謝いたします!
同修に感謝します!
注:
[1]李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
[2]李洪志師父の著作:『導航』「北米五大湖地区法会での説法」
[3]李洪志師父の著作:「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」
(明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(完)