文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年12月13日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
1999年7月20日、中国共産党(以下、中共)が法輪大法を迫害した後、私は連行され、不当に判決を下され、刑務所に拘禁されました。同修の正念による加持と助けにより、私は初めて手書きの『轉法輪』を受け取り、獄中で法を学び、法を暗記し、煉功し、法を実証する道を歩み始めました。以下では私が特殊な状況下で法を実証した経験を書き、同修の皆さんと交流したいと思います。
一、監房で受け取ったはじめての『轉法輪』
私は不当に刑務所に投獄される前に絶食をしていました。刑務所に入れられた後、そのまま厳格管理隊の監房に拘禁されました。監房に拘禁されて2カ月目、私の家族(同修)が日用品を送ってくれ、その中に手書きの『轉法輪』が隠されていました。
しかし、監房の中で読む機会はなかなかなく、なぜなら監房のカメラで24時間監視している人がいたからです。私がベッドに寝ると、枕の両側に2人の人がおり、24時間体制で私を見ており、基本的に『轉法輪』を読むことはできませんでした。その後、私は『轉法輪』のほんの一部だけを読む機会がありました。その時、涙が「サーッ」と流れ、私は心の中で「師父に感謝申し上げます! この意気地のない弟子である私も刑務所の監房の中で『轉法輪』を読むことができました。家族の同修に感謝しています」と申し上げました。
私はほんの一部しか読んでいませんでしたが、心が温かくなり、師父が私のそばにいらっしゃることが分かり、同修が私を助けてくれていることを知りました。私は心の中で「私は師父を失望させません」と申し上げました。拘禁されていた6カ月間、私は何度も師父の『論語』を唱えました。
刑務所を訪れたり視察に来る人は、必ず監房に立ち寄ります。このような時はいつも、私は大声で「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫びました。当直の受刑者が私に、私が「法輪大法はすばらしい」と叫ぶたびに刑務官はメンツを失いさらに通常は刑務所長を伴っている、と囁きました。私は「そうなんですね」と言いました。
二、「転向」担当者と対峙し「伝えたいことがあれば対等でなければならず『轉法輪』を1冊私にください」
私が監房に6カ月間不当に拘禁された後、警官たちは私を監房から某中隊に移しました。表面的な理由は監房が私に効かず、さらに私がいまだに監房で「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいることが警官たちに分かったからで、警官たちはひどく「顔を叩き」ました。本当の理由は外にいる多くの同修が正念を発して私を助け、私に対する監禁状態での迫害を解体したからでした。中隊の中でも、私は人に会うと「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。警官たちは私を単独で監房に入れ、数人の見張り役の受刑者が3交代で私を監視しました。
翌朝、刑務所の教育課長が5人の受刑者を連れてやってきて、その中には私が知っている人も1人いました。最初は私を訪ねてきたと言い、それから邪に悟った理を話し始めました。なんと受刑者たちは私を「転向」させるために来たのだと私はすぐに理解しました。その時、私の頭の中には「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください」[1]という師父の法がすぐに浮かんできました。
私は「あなたたちは私を『転向』させるために来たのですね? 話しません!」と言いました。私はすぐに「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫びました。受刑者たちが話し始めると、私は「法輪大法はすばらしい」と叫び、受刑者たちが話を止めると私も止め、受刑者たちが何を話しても私はまったく聞きませんでした。受刑者たちは私に皮肉を言い、私が受刑者たちを恐れていると言いましたが、私はそれに動じませんでした。私が「法輪大法は素晴らしい」と叫ぶ声は大きくはありませんが、私が受刑者たちの話を聞かないことを知らしめるには十分でした。朝からずっと、受刑者たちは一方的に無意味なことを言い続け、私はずっと「法輪大法は素晴らしい」と叫び続けました。午後になり、受刑者たちがまた来ても、私はやはり相変わらずの対応でした。
教育課長が私に「その人たちと普通にコミュニケーションできませんか?」尋ねました。私は「はい、でも条件があります、一つは『轉法輪』という本を私にくれてそれを私が保管すること、第二に彼らが手にしている大法書籍や大法の経文を私がいつでも読むことができること、三つ目はコミュニケーションを取りたいのであれば対等な立場でコミュニケーションを取らなければならず、彼らが一方的に私を洗脳し私に話をさせないとうことはできないということです」と言いました。受刑者たちは全員が同意しました。
受刑者たちはすぐに私に『轉法輪』をくれ、これが刑務所で手に入れた2冊目の『轉法輪』でした。私が本を開いてみると、師父の写真があり、師父が私に微笑んでいらっしゃるのが見えました。私は涙をこらえることができず、涙はポタポタと流れ、受刑者や看守がいても関係ありませんでした。
師父は「いわゆる転向の仕事を行なう者も、あざむかれた人なので、どうして逆に、彼らに邪悪を暴露し、真相をはっきりと伝えないのですか?」[2]と説かれました。
私は師父が説かれた通りに、この邪に悟った人たちと真剣に法理の話を交わし、真相をはっきりと伝えました。実は、受刑者たちの邪な悟りはすべて、師父が『精進要旨二』「提案」の中で説かれたものからどれも離れてはいませんでした。状況を利用して窮地を逃れようとせず、成り行きに従って邪な悟りを受け入れている限り、邪な悟りからよい影響を受けることはないでしょう。まさに師父が説かれた「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[3]の通りでした。
三、法の暗唱の助けにより私は乗り越えることができた
私は私を毎日洗脳しに来たり、「転向」させに来た人に道理をはっきり伝える以外は、できる限りの時間を確保して法を暗記しました。大法書籍をいつ奪われるかわからなかったので、私は一刻も早く『轉法輪』をすべて暗記しなければなりませんでした。
私は長年にわたって法を学んできたので『轉法輪』の中のすべての法に私は精通していました。しかし私が困ったのは、どの段落の法がどの段落の法の隣にあるのか、どの法がどの法の隣にあるのか、さらにそれぞれの法を正確に覚えられないということでした。私は「もし私がすべての段落の法の言葉を一字一句覚えていたのでは遅すぎる。しかし私がもしすべての段落の法の最初の一節の文章だけを忠実に記憶するならば、むしろその方が可能だ」と思いました。そこで私は自分自身に「私がすべての段落の最初の一節の法を暗記して『轉法輪』全体をできるだけ早く暗唱できるようにする」という目標を設定しました。
受刑者たちがが私を「転向」させようとしていたこの時期、私はすぐに『轉法輪』のすべての段落、つまり600段落以上の最初の法を暗記しており、最初から最後まで一気に暗唱することができました。私はその時どれだけの精度で熟練して覚えたでしょうか? 600段落余りの法のそれぞれの最初の文を暗唱するのに、1時間40分しかかかりませんでした。その後すべての段落の法を覚えるのはとてもゆっくりとなり、『轉法輪』を1日3講暗記することができました。各段落の最初の法はすでに覚えているので一字一句変わりませんが、あとはただそれに従っていくだけでした。
私は心の中で師父に「ありがとうございます、師父! 今回私は何も怖くありません」と申し上げました。私は「少なくとも私は法を暗唱できる」と思い「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫びました。私は絶食を利用して真相を伝え、正念を発することができ、これで三つのことがすべてできました。私は毎日を無駄に生きていたわけではなく、 刑務所でも同じように三つのことを行いました。
その時、邪に悟った5人の人は毎日やってきました。2カ月間受刑者たちが私を「転向」させようとした結果、私がまったく同じ様子であることに受刑者たちは気付きました。刑務官は受刑者に私の手から『轉法輪』を奪い取らせました。何人かの監視役の受刑者が強硬に、様々な方法で私を苦しめ、一度は私をショック状態に陥らせました。
いつものように激しい迫害を受けても、私は歯を食いしばって乗り越え、なんともありませんでした。しかし何度かゆっくり長く続けて苦しめられ、関をうまく乗り越えられませんでした。結局、私はいつも法を暗記することから法を理解し、そうしてはじめて突破できました。一例を挙げれば、私は「武術気功」の法を暗記し、殴られることに耐えるというこの関を乗り越えました。ある段階では、監視役の受刑者が私を協力させるために、受刑者たちに毎日私の足を筋肉の上から叩かせました。私の弱った体は痛みにとても敏感で、受刑者たちに殴られるたびに、心臓が痛くなり、これ以上受刑者たちに強く殴られたら私はショック状態になると思いました。その頃、私は「彼らに協力すべきか? そうでないと、ショックを受けたらどうする? 絶食を止めるべきか?」と葛藤しました。
ある日、私はちょうど「今度は力いっぱい腕を振ります。血を逆流させてしまうので、腕と手が腫れ上がってきます。本当に腫れてくるので、それから石を叩くと、骨にクッションができて直接石に当たらず、それほど痛くなくなります」[4]という 「武術気功」のこの1段落の法を覚えていました。私は目の前が明るくなり「ああ、腫れてくるからそんなに痛くないんだな」と思いました。受刑者たちが私の足を叩いて腫れてくると、もう痛くなくなりました! そこで、もう少し我慢しようと思いました。数日後には足がむくみ、私の足が腫れてきて、絶食していない時と同じくらいの太さになりました。受刑者たちに再び殴られても、私の足は全く痛くなくなりました。
あの邪悪で閉鎖的な環境では、私は師父の法に頼ってはじめて歩むことができると、本当に何度も実感しました。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「提案」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
[4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[5] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」