文/スウェットランナー
【明慧日本2022年2月14日】
ヒトラーが起こした第2次世界大戦は、人類史上最多の死者(特に民間人の死者数)を出した戦争でした。ナチスによるユダヤ人大虐殺は、人類が忘れられない深刻な苦難です。
6000年から1万年の歴史の中で、「卍」はどのようなメッセージを伝えていたのでしょうか。「卍」は、東西を問わず、貧富を問わず、なぜ愛され続けてきたのでしょうか。
ヒトラーによって作った「『卍』はナチスのマーク」というイメージは、依然として人々の頭に存在し、多くの人を怖がらせて、嫌わせています。
「卍」は本当にヒトラーやナチスのものだったのでしょうか。ヒトラーは今日まで生きたとしてもせいぜい132歳ですが、「卍」は人類社会で少なくとも1万年も前から存在していました。
今日の乱世において、「卍」は人類にどのような吉祥をもたらしてくれるのでしょうか。
アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)は1889年4月に生まれて、ドイツの元政治家、ナチスの党首です。1939年9月、ヒトラーによるポーランド侵攻は第二次世界大戦勃発の引き金となりました。1945年4月30日、敗戦間近に、捕まえられることを避けるため、ヒトラーは自殺しました。
ヒトラーはユダヤ人大虐殺(1941~1945)の主要な計画者と実行者の1人であり、彼の命令の下で、少なくとも550万人のユダヤ人はナチスに虐殺されました。第二次世界大戦でヨーロッパでは2930万人の軍人と民間人が亡くなり、民間人の死者数は人類史の全戦争で最大であったため、第二次世界大戦は人類史上最多の死者を出した戦争となりました。
それは人類にとって理解不能で忘れることのできない、絶対に二度と繰り返したくない深刻な苦難です。一方、ヒトラーは個人の魅力、演説の才能とプロバガンダ宣伝を通じて作ったナチスの印象の多くはまだ消えていません。中にヒトラーに盗用された「卍」は最も顕著な例です。
現在、ユダヤ人大虐殺の生存者はほとんどいませんが、それにしても、多くの人が「卍」を見て驚きます。つまり、「卍」はナチスの印だという印象をヒトラーによって人々の頭に焼き付けられ、終戦から80年が経った今でも、「卍」を見てナチスを連想します。
「卍」は本当にナチスのものなのでしょうか、絶対に違います。ヒットラーは今日(2021年)まで生きたとしてもせいぜい132歳ですが、「卍」は人類社会で崇められたのは6000年ないし1万年も前からです。
例えば、アメリカに古くからインディアンのホピ部族が生息し、部族の遺留地に「予言石」があります。「予言石」には1万年も前から言い伝えられてきたホピ族の重要な予言が描かれていて、予言図形の中には重要な意味を持つ「卍」が彫刻されています。
人類の究極の謎がもうすぐ解明されるかもしれません。宇宙の重要なメッセージを秘める「卍」について今日は少し時間をかけて、その由来を探ってみましょう。
第一部分:少なくとも6000年前から人類に知られていた吉祥を象徴する図形
「卍」はサンスクリット語で「Srivatsa」と言い、英語では「Swastika」、中国語では「萬字符」、日本語では「まんじ」と言い、サンスクリット語で「吉祥海雲の相」という意味です。仏の胸元にある「卍」は「吉祥海雲の相」を表しています。吉祥および宇宙の正のエネルギーを表す「卍」は、東洋と西洋の古代文明に多く見受けられます。
「卍」は一番最初に、紀元前2500年のインドと中央アジアで発見されたという説があります。1933年の研究では、紀元前1000年に「卍」はインドからペルシャ、小アジアを経由してギリシャに至り、そしてイタリアに入ってドイツに至ったと思われます。
ベルリンの西アジア博物館はイラクで出土したサマラの陶の皿(Samarra Plate)を所蔵しています。考古学者によると、この皿は紀元前5000年に作られたと言います。今から7000年も前に存在したこの皿の中央に「卍」 が描かれています。
ルーブル美術館にメソポタミア文明の陶碗を所蔵しています。6000年前に作られた碗にも「卍」が描かれています。
「メソポタミア」は古代ギリシャ語で、ユーフラテス川とチグリス川の流域の呼び名です。二つの川の間のメソポタミア平原で生まれて発展した古代文明をメソポタミア文明と言い、場所は現在のイラクあたりで、人類最古の文明の一つです。
シュメール人が紀元前3200年頃に発明した楔(くさび)形文字、2600年以上前に存在した、世界最古と言われるアッシュールバニパル図書館、前書きと後書きがあり282もの条文からなる「ハンモラビ法典」、古代バビロニア人がマスターした代数計算、紀元前747年にバビロニア人が行った日食や月食に対する正確な予測などは、いずれもメソポタミア文明のものです。
中国において、甘粛省博物館所蔵の馬家窯(ばかよう)の彩文土器は「卍」を主要な模様にしています。この彩文土器は今から5000年ほど前のものです。
英国ヨーク郡で発見された「卍」を彫られた巨石は、今から4000年ほど前のものです。
古代ギリシャ(紀元前800年)では「卍」が広く使われていました。神殿の建築や神器に「卍」の図形が描かれ、陶器にもよく「卍」が描かれています。
例えば、ギリシャで発掘されたこの陶器は紀元前700年頃に作られたもので、上に描かれたアルテミス(月と狩猟の女神)の柄の周囲に「卍」の図形があります。古代ギリシャ人は「卍」の図形で神の力を表したのでしょうか。
また、アテネ国立考古博物館所蔵の紀元前900年頃に作られた、トロイの戦いを描いた双耳瓶に三つの「卍」を描かれています。これら古代ギリシャの「卍」は今から約3000年前のものです。
古代ローマ(紀元前753年~476年)の祭壇などに刻まれた「卍」も、3000年近い歴史があります。
人類の歴史上、「卍」の図形と神の関連は至る所に存在しており、キリスト教の初期にもよく見受けられ、人々に大切にされ、信徒に崇められていました。日常的に装飾に使われるのはキリスト教の後期になってからです。
古代インド、チベット、日本、韓国など仏家の修行を重視する地域には「卍」は更にありふれています。中国人と東南アジア人にとって、「卍」の図形は仏と繋がっているものです。多くの仏の彫像や絵画に仏様の胸に「卍」のマークがあります。
イスラエルでは、4世紀のマンシト(Mamshit)の遺跡から「卍」が嵌め込んだモザイクタイルも発見されました。モザイクは耐久性の良い材料であり、ローマ帝国のビザンチン時代(395~1453年)にも、中世(476~1492年)にも流行していました。イスラエルで発見された「卍」のモザイクは、「卍」は反ユダヤ人のナチスとは無関係だという事実を語っています。「卍」はヒトラーによってナチスと関連付けられたのです。
しかし残念なことに数千年前の人類が「卍」を好んで使ったことより、ヒトラーが「卍」をナチスの印として高らかに宣伝したことのほうが人々の目と記憶に焼き付いたのです。
幸いなことに、我々には選択の自由があります。ヒトラーがなぜ「卍」を起用したかにかかわらず、もし人類が「卍」とナチスの関連を忘れることを選ぶなら、古くから人類に愛され、崇められていた「卍」は人類の記憶の中で「吉祥海雲の相」のイメージであり続けることができるのです。
イラクで出土したサマラの陶の皿 |
サマラの陶の皿(Samarra Plate) |
英国ヨーク郡で発見された、今から4000年ほど前の「卍」を彫られた巨石 |
メソポタミア文明の陶碗 |
馬家窯(ばかよう)の彩文土器 |
ギリシャ出土の陶器 |
香港天壇の大仏 |
日本 |
イスラエルで発見した「卍」が嵌め込んだモザイクタイル |
イスラエルの古い礼拝堂に「卍」が嵌め込んだモザイクタイルを使用していた |
ヒトラーは黒色の「卍」をナチスのマークとして使用した |
(続く)