【明慧日本2022年6月13日】(前文に続く)
師父のご加護のお陰で、魔難を乗り越える
まだ修煉を始めて2カ月経たない時に、1万人以上の大法弟子が北京で陳情する「4.25」の事件が起きました。当時、ある同修が私の家に来て、父と一緒に北京に行って陳情をしたいと言いましたが、父は仕事があるから行けないと言いました。それを聞いた私は「大法が誹謗中傷され、同修が連行されていて、黙っているわけにはいかない」と思い、「私が行きます!」と言いました。 そこで、同修と一緒に北京に向かって出発しましたが、途中で「すでに解決した」との電話があり、そのまま戻って来ました。
その夜、ベッドで横になっていると、腹部に大きなボールが急上昇しているのがはっきりと感じられ、胸や首を通過する時は、息詰まるような感じがして、とても辛いものだと感じました。数分後には頭のてっぺんにまで到達するのが感じられました。 私は大法を学んで間もないため、何が起こっているのかよく分かりませんでしたが、翌日、『轉法輪』を読んで、これが玄関設位だと分かりました。それを経験させることで、師父は私を励ましてくださり、修煉に自信を持たせて下さっていると思いました。
中国共産党(以下、中共)による法輪功修煉者(以下、修煉者)たちへの迫害がエスカレートし続けるにつれて、私の修煉環境も変化しました。もともと平和だった煉功場では、警官らが毎日嫌がらせをしたり、名前を登録したり、水噴霧車で修煉者に向かって水をかけたり、拡声器で音を流していました。その後、煉功場に参加してきた修煉者を連行し、私も煉功に参加したため、何度も連行され、殴打されました。
2000年の初め、私と数十人の同修は、大法を実証するために、一緒に中央広場で集団煉功を披露しました。その後、警察に連行され、町役場の大法弟子を転向するいわゆる拠点に移送されました。担当の書記は「私たちは知識があまりないので、殴ることしかできないんだ」と言って、酒を飲みに行きました。帰ってきてから、私たちを殴り始めました。私は背中の肉が裂けるほど叩かれました。 当時20代の若者だった私は、修煉する前ならきっと反撃していたかもしれません。 しかし、師父は「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」[1]と教えてくださったので、私は心の中で何度も何度も師父のお言葉を黙読して、ひたすら耐えました。
寒い冬、警官らは私たち大法弟子に一重の服を着せ何時間も雪の中に立たせ、そのうちの一人が私に「あなたたちが修めて神になるなんて、信じられない」と言いました。私は「それならなぜ、あなたたちはストーブがついた室内でコートを着ていても風邪をひいているのに、私たちには外で一重の服だけ着せて凍えさせてもいいのですか?」と言うと、彼は唖然として、しばらく沈黙した後、うなずいて去って行きました。
20数日間、邪悪ないわゆる「転向」が完全に失敗した後、私たちは次々と解放されました。 師父がおっしゃられたように、「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗(リュウアン )花明(ファミン )又(ユウ )一村(イーチュウン)』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」 [1] 。師父は、常に弟子たちを守ってくださいます。
その後、大法の無実を訴えるために、私は何度も北京に行きましたが、その間、多くの魔難や試練を経験しました。その日々は、まるで1日が1年のように長く辛いものでした。 2000年6月、数人の同修と一緒に再び北京に行き、師父と大法のために声を上げようとしました。しかし、以前北京に行って陳情をする際に身分証明書が奪われたので、列車やバスに乗ることができません。最終的には歩いて北京に行くことで合意し、簡単な荷物をまとめて1000キロを超える長旅に出発しました。
しかし、言うのは簡単で、現状に甘えてしまい、出かけるときはいつも車で行っていたので、こんなに歩いたことはありませんでした。一日歩くと、両足の裏に卵大の水ぶくれができ、一歩踏み出すたびに両足から血が出るほど痛くなり、靴下が脱げなくなりました。しかし、それでも毎日、夜明けから夜遅くまで歩き続けなければなりませんでした。旅館が見つからないときは、畑の中の干し草の山を見つけてそこで寝たり、寝る場所が見つからないときは、道端に寝転んだりすることもありました。
ある時、夜の11時頃、歩き疲れて寝る場所を探していたところ、たいして遠くないところに干し草の山が見え、喜んで近づいてみると、お墓でした。とても落胆しましたが、互いに励ましながら前に進むしかありませんでした。しばらく歩くと、ようやく小さな旅館を見つけました。ベッドに座ると、足が紫色に腫れ上がり、足を組むことができず、片足を組んだまま眠ってしまいました。翌朝、同修に起こされた時「まだ寝ていないのに、もう起きる時間?」と感じながら、その日の旅を始めました。
旅の半ばを過ぎたころ、私は体の疲労と心の辛さを感じました。毎日、体力の消耗や足の痛みを克服するだけでなく、パトロール警官による尋問と連行を避けなければならなかったからです。心も体も限界を感じていた頃、ちょうど小さな料理店が目の前に現れました。何か食べようと思っていたところ、店内ではある曲が何度も流れていて、その歌詞がはっきりと私の耳に聞こえてきました。「背中を曲げ、足の裏をすり抜け、空とその向こうを眺め、足元の道を歩き、道がないのは難しいけど、さらに難しいのは道を切り開いていくことだ。なき道を作るのは大変だ。後の人々はあなたのことに感嘆するのだ」。これを聞いて、私は思わず涙が溢れました。師父は私たちのそばに居てくださり、私たちは常に見守られ、励ましてくださることが分かりました。半月ほど歩いてようやく北京に着きました。足のむくみは取れ、足の裏全体に厚いタコができていましたが、どんなに歩いても痛くはなりませんでした。
その後、私たちは北京で警察に連行されました。警官がかけた手錠は骨に食い込みそうで、耐えきれないほど痛かったのです。私は心の中で師父に、助けてくださるようにお願いしました。ちょうどその時、隣にいた高齢の女性同修が警官に「そんなにきつく手錠をかけると、痛くて我慢できないじゃないの?」と言っていたので、警官は私の手錠を緩めてくれました。改めて、師父が常に側におられることを実感しました。 私の意志が弱い時は、師父がいろいろな方法で励ましてくださり、辛くて耐えられない時は、師父のことを思えば、魔難を解決してくださいました。師父に対する感謝の気持ちは言葉で言い表せません。当時を振り返ると、今でも涙が止まりません。
危機の時に奇跡が現れる
中共の首謀者である江沢民による法輪功への迫害がエスカレートするにつれ、私の地域では全国で最も大法弟子を厳しく迫害する地域となり、恐怖と嘘で満たされ、テレビはほとんどノンストップで師父を誹謗し、大法を中傷する噓偽りの宣伝が流されていました。
どうすれば人々に真実を伝えられるか、私は何人かの同修と話し合いました。当時、明慧ネットが開設されたばかりで、2人の同修が記事のダウンロードを担当し、私は各地の小さな印刷所に連絡して資料を印刷しました。こうした小さな印刷所も大きなプレッシャーがあり、資料を印刷するときは、戸締りをしてフル稼働し、一度に数万部も印刷して、出来上がると友人の車を借りて、各市町村に持ち運びました。その後、衆生を救うことで常人に頼るのは長期的な解決策にはならないし、リスクが大きすぎると判断し、自分達でプリンターを買って作ろうと同修と話し合いました。ちょうどその時、迫害を逃れるために故郷を離れてここに来ていた同修が加わり、私は資材と配達を担当することにしました。このようにして、法輪功迫害の真相を伝える資料拠点が設置されました。
師父の保護の下で、私は何度も危機の時、現れた奇跡を体験しました。ある時、同修に資料を届けに行くと、同修が「警察があなたを連行しようと、数日前からここで見張りをしていたが、つい先ほどパトカーが去った。あなたのことを心配していました」と教えてくれました。
またある日、同修が製本するための資料を三輪車に何箱も積み、資料拠点に届け、半分ほど下ろしたところで、警官が戸籍をチェックしに来ました。箱を中に運ぼうとしたら、不思議なことに警官らは誰も私を見つけていないようで、その隙に脱出しました。部屋にいる同修たちはすぐに発正念をすると、突然電気が消え、真っ暗になりました。警官らは何も見えなかったので「明日、また来よう」と言いながら去って行きました。私は外をしばらく歩き回った後、再び資料拠点に戻り、その日の夜に引っ越しました。師父は私たちを守ってくださり、もう一度邪悪な迫害を打ち破りました。
中共が2008年にオリンピックを開催する前、地元の警察は、大法弟子に対する大規模な連行を実行しました。私は修煉を緩めたため、邪悪に隙を突かれ、不当に労働教養を強いられました。労働教養所の警官らが私を脅迫しましたが、私は恐怖心も闘争心もなく、とても落ち着いていました。「どんな手を使っても屈服することはない!」と思いました。その一念は金剛のように揺るぎないものでした。その夜寝ていると、電球からたくさんの護法の神が飛び出して来るのが見え、天の兵士と天の将軍がいて、哪吒(ナタ)もいました。師父が私の正念を固め、邪悪な環境の中で自分の使命を貶めることなく、さらに良く行わせるために、このような方法を示してくださったのだと思いました。案の定、その後、警官らは私を脅すための手段を、何一つ使えませんでした。
またある時、警官らは労働教養所で大会を開き、強制的に「転向」させた同修に、大法を誹謗中傷する記事を公に読み上げさせようとしました。「このような大会を絶対に成功させてはいけない!」と思いました。私は師父が説かれた「摂魂大法」[1]のことを思い出し、警官らを操って悪事を働く邪悪な要素を捕まえ、それを解体すると心から思い、警官がいる部屋に向かって壁に手を置きました。すると、一瞬にして強い力が手のひらに回転するのが感じられました。間もなく同修が戻ってきて、「私は読まなくて済んだ!」と嬉しそうに言いました。今回の大法と同修への迫害は、再び師父のご加持の下で失敗しました。
このような奇跡は、今までにたくさん経験しました。師父は「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2]、また「修は己にありて、功は師にあり」[1]と説かれました。邪悪な環境で、危機が回避され安全になり、奇跡が現れる度に、師父の弟子たちに対する慈悲なる保護が現れるのです。
大法が中共に迫害されてからすでに23年になりました。私も当時の学習者から大法弟子に成長し、昔の不良少年から大法が創り出した新しい生命になりました。この20年以上の修煉を振り返ってみると、師父への感謝の気持ちは言葉では言い表すことができません。師父のご恩に報いるために、私はさらに精進していきます!
(完)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒恩」