文/中国の大法弟子 吉安
【明慧日本2023年9月7日】(前文より続く)
私は二度と煉功点を離れることは考えなくなり、毎日煉功して焦らなくなりました。家で10キロの米の袋で足を押さえたり、椅子に座って手で足を押さえたりして、だんだんと足が少し柔らかくなりました。あぐらをかくことから片足を1時間組めるまで1年以上かかりましたが、両足を組むことはまだできません。姉は「両足を組むと、心臓病を引き起こすのではないかと恐れているではありませんか」と聞いたので、私は「その通りです。足が痛くなると胸も苦しくなり、そのうちに心臓病が起こるのではないかとずっと心配していました」と答えました。姉は「病気に対する心配を捨てなければなりません」と言いました。
姉は師父の言葉を私と一緒に読み返しました。「病根はすでに取り除かれており、残りはほんの少しの黒い気で、それを外に発散させるので、あなたにほんの少しだけ難を与え、ちょっとした苦しみを嘗めさせることになります。 あなたが全然苦しみを嘗めないわけにはいかないのです」[1]、「煉功者としては心性が高くなければなりません。いつも病気ではないかと怯える必要はありません。病気を恐れるのも執着心で、同じように修煉者に面倒なことをもたらします。修煉においては、業を消去しなければなりません。業を消去するには苦痛を伴いますので、心地よく功が伸びることはありえません! さもなければ、修煉者の執着心をどうやって取り除けるでしょうか」[1]
法理が分かってくると、私はだんだんと心臓病を恐れなくなりました。家で一分一秒と足を組むことを練習して、痛くて疲れて下痢したり吐いたりもしましたが、私は歯を食いしばって続けて、今ようやく、両足を1時間組めるようになっています。すべての病気も治ったので、25キロ入りの米を一気に1階から4階まで担ぐことができます。勤め先の慰安旅行では泰山にも登りました。師父の慈悲に感謝します。同修たちの助けに感謝します。
心性を修める
1998年のある日、社員福祉として、勤め先は従業員1人当たりに20キロの大豆油を支給しました。私は油の支給券と空ビン二つを持って供給拠点に交換しに行きました。拠点の職員はパイプで大きいドラム缶から油を吸引し油を買う人のビンに入れて、そして秤にかけて重量を測ります。ビンに多く入れた場合は油をドラム缶に戻して、足りなかったらじょうごを使ってビンに足します。私の番になった時、職員はやり方を変えました。広口の油桶を持ってきて、長い取っ手がついた500g入りの木製道具で桶から油を汲み取って、じょうごを通じて私のビンに入れます。しかし、木製道具やじょうごの側壁に付いている油が完全にビンに落ちるのを職員は待たずに、汲み取る、じょうごに入れる動作を速く繰り返していました。私が持っていったビンは10キロ入りで、職員の計算では20回作業したらちょうど10キロになるはずです。しかし20回の後、ビンの上部はまだ3センチぐらい空いて、少なくとも1キロの油が足りませんでした。二つのビンは2キロぐらい足りませんでした。こんなに損しているのを見て、心臓がドキドキしました。目の前に秤があって、ポケットにも自分の物価監督員手帳が入っています。そうなんです、私は物価監督局に勤めて、公正公平の商売を守るのが私の仕事です。どうしましょうか。
自分は修煉者なので、常人と同じように争ってはいけません。何も言わずに二つのビンを提げて帰りましたが、多くの考えが頭の中で沸き返しました。「損をした、戻って油を返してもらおう」、「いいえ、私は師父のお教えに従って、はっきり分かっていながら利益の面において損を蒙るのだ」最後には、「私に油を少なく入れたせいで、あの職員は徳を失うかもしれない。かわいそうだ」と思い、職員に対して慈悲心が生じました。
私の修煉は大きな飛躍を遂げました。無神論から神を信じる人になって、病気を取り除くためから返本帰真のために変わりました。法を得て26年、『轉法輪』を約1300回通読し、3回書写して、4回暗記しました。『洪吟』から『洪吟六』までほとんど暗記できました。四つの正時の発正念はほとんどの場合続けることができ、真相を伝えるプロジェクトも多く参加しています。師父を信じて大法を信じる信念で次々と生死の関を突破し、私の命はすでに75歳まで延長されました。これからも引き続き努力して、三つのことをしっかり行っていきたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(明慧ネット第24回世界法輪大法デー入選文章)
(完)