文/中国の大法弟子 吉安
【明慧日本2023年9月4日】私は75歳の大法弟子です。子供の頃から無神論の教育を受け、成人してから中国共産党の政府部門に30年間勤めていたので、その当時は神を信仰する人を愚かで無知だと低く見ていました。
1989年、気分が悪くなり大病院で検査した結果、心臓僧帽弁閉鎖不全症と診断され、心雑音がありますが、まだ心臓病というほどのものではないと言われました。1996年夏になって、胸が苦しくて心臓が痛くて、また大病院に検査に行ったら、血液逆流、心筋虚血、心不全に発展したと分かりました。すぐに手術をしなければ命の危険があると医者に警告されましたが、周囲に心臓手術をした人を見たことがないため、手術を恐れていました。何人かの占い師に見てもらうと、みんな私の寿命は51歳までと言っています。私の父親は確かに51歳で亡くなったのです。
1996年秋、心筋虚血のため1カ月入院して、フルクトース二リン酸を注射して心筋に栄養を与え、心臓の痛みは軽減しましたが、1カ月後また痛くなりました。心臓の上に重い石が乗っているようで息苦しく、4階に上るためには途中2回休まなければならず、心臓が喉から飛び出てくるように動悸がします。1997年、49歳になった私は51歳まで生きられない、もうすぐ死ぬではないかと思って、10万元(約200万)を集めて、北京の病院で手術を予約しました。
修煉を始める
北京に出発しようとした時、姉が駆けつけてきて、手術を止めて私と一緒に法輪功をやろうと言いました。「私は過去に右側の乳癌の全切除手術と、(子供を産む時に)帝王切開手術を受けたことがあり、手術を受けるのは本当に死ぬほど辛いです。まだ法輪功を7日間しかやっていないですが、効き目が出ました。昔は排石促進剤を飲まないと食事が胃に詰まってしまい、排斥できませんでした。法輪功を修煉している7日間は薬を飲まなくても食事ができますし、粘度の高いもち米も食べられるようになりました。何年ももち米を食べられなかったんですよ」と言いました。
両親が亡くなった時、私はまだ幼かったので、姉は母親のように私を育ててくれました。姉を怒らせないために、私はしぶしぶ姉について煉功点に行きました。煉功点は毎日師父の説法ビデオを見せてくれて、9日間、私はビデオを見ながら寝てしまいました。睡眠が快適になって、いつも飲んでいる睡眠導入剤もなんと飲み忘れるほどで、心臓の苦しみと痛みもなくなりました。
修煉して2週間経った時、下腹部がぽんぽんと飛び跳ねて、ベルトが反り返えるほど動きが大きかったのです。お腹にこぶができるのが怖くて、病院で検査しようと思った時に、生理が来ました。当時、49歳である私はもう1年以上前から閉経しましたが、どうしてまた来たのかと同修に聞くと、「修煉して体が若者の方向に逆戻りしている」と説明してくれました。
1997年10月、生理がもう一回来ました。これで法輪功をこれからしっかり修煉しようと心を決めました。農村部に行って法輪功を広める活動に参加した時、「法輪功は病気を取り除き、体を鍛えることに不思議な効果がある」と私は多くの人に言いました。
私が煉功点から離れないよう、師父はさとしてくださった
大人数の煉功点で煉功しました。第二功法の「頭前抱輪」をする時、両腕が重くて持ち上げられません。ある日、「頭前抱輪」の時に、二つの大きな手が私の両腕を支えているのを感じました。6分ぐらい経ったら、誰がこんなに優しく助けてくれているかを見たいと思って目を開けると、誰もいませんでした。煉功動作を指導する輔導員に「さっき『頭前抱輪』をやった時、6分以上私の腕を支えたのはあなたでしょうか」と聞くと、輔導員は「私ではないです。きっと師父でしょう。煉功点には関係者以外誰も入ってこないから」と話しました。天目が開いたある同修は「師父は白い上着と青いズボンを着てここを歩き回られ、皆に動作を直したりしていますよ」と、天目で見た光景を話しました。
静功をすることは私の大きな難題です。両足を組むどころか、あぐらをかく姿勢も1時間保てません。毎日皆と一緒に静功をしますが、2、3カ月経っても足が組めません。気が抜けて、自分は煉功に向いていないと思いました。ある日、煉功中に足が痛くて耐えられなくなって、私は足を伸ばして姿勢を崩しました。意気消沈して「明日は来ない、私はとうてい煉功に向いていない」と思いました。すると立っていた足を誰かによって倒され、目を開けてみたら誰もいませんでした。また目をつぶって「明日何を言われても来ない、私は静功ができる人間ではない」と思って、しばらくするとまた、誰かの手が私の肩を後ろに力強く引っ張ったと感じました。
すぐに目を開けて見ると、後ろに誰もいません。隣に座っていた同修は両手で印を結んで座っていました。もしさきほど私の肩を触ったのが彼ならば、こんな短い瞬間にまだ手を戻せないはずです。「ああ、師父に違いない、きっと師父だ! 私を煉功点から離れないようにさとしてくださったのだ」と分かりました。このことを皆に教えると、「あなたがこれっきり来ないのを心配して師父は手を差し伸べてくださいました。焦らずにゆっくり煉功すれば、きっと両足を組めるようになりますよ」と皆は言いました。
(明慧ネット第24回世界法輪大法デー入選文章)