文/中国の青年大法弟子
【明慧日本2024年11月15日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は幼稚園の頃から大法の修煉を始めました。人生の啓蒙の段階から、慈悲深い師父の按排の下、法の中で浄化され、成長し、返本帰真の道を歩みました。師父の一貫した見守りの中、大法の中で辛くても順調に学業や仕事の道を歩んできました。師父が常に私の手を引いてくださったおかげで、俗世の中で迷うことなく、法の中で絶えず純粋になり昇華することができました。
私の幼少時代は家が貧しく、父は若くして亡くなり、家には何もありませんでした。私は周囲からの援助で大学まで通うことができました。物質的には困窮していましたが、困難な状況でも必ず解決策が見つかりました。それも師父の按排であり、苦難の中で業を消し、物欲への執着を取り除き、強い意志を鍛え、円満成就して天に戻る道を敷いてくださったのだと分かります。
過去を振り返ると、困難の連続でしたが、私は師父の弟子であることを非常に光栄に思います。ここで、長年の修煉の過程と、学校や職場での心を修め、人を救った体験を師父にご報告し、同修の皆さんと分かち合いたいと思います。不足があれば、どうか慈悲をもってご指摘ください。
一、高校の多忙な学業の中で自分を修め人を救う
(一)純粋な心と正しい念で、授業中に英語で真相を伝える
高校では勉強が忙しかったため、休みの期間中に帰省するたびに大量に法を学び、休暇中に師父の全ての説法を一通り学びました。時には夜中の一時や二時まで読んでも疲れを感じませんでした。寮にいるときは、時間を見つけては手書きした師父の詩を学び、機会を見つけて同級生や先生に真相を伝えていました。ある時、担任の先生が教壇で「クラスの中で中国共産主義青年団ではない人は誰ですか?」と尋ねた際、私は迷わず手を挙げました。振り返ると、先日私が真相を伝えたクラスメートも手を挙げていました。その勇気と正義感に感動しました。本来、彼には心の中で退団を決意するだけで良いと伝えていました。担任の先生は私たちを責めることなく、既に集められていた団費を私たち二人に返してくれました。
ある授業中、外国人教師が自由に英語で発言するように促しましたが、クラスの誰もあまり積極的ではなく、教室は静かでした。これは真相を伝える良い機会だと思い、私は事前の準備なしで立ち上がり、英語で「先生、法輪功について聞いたことがありますか?」と尋ねました。先生が首を振ったので、私は限られた語彙を駆使し、簡単な英語で「法輪功は良いもので、中国政府の言っていることは全て嘘です! 法輪大法を学ぶ人々は皆、真・善・忍に従って良い人になろうとしています」と伝えました。先生は頷いて、特に何も言いませんでした。休み時間に先生は私を手招きし、法輪功に関する詳細を尋ねてきました。私は、先生が授業中に私を守るために、クラス全員の前では危険になる可能性があるため深く触れなかったのだと気付きました。当時の私の英語力では十分に伝えられず、今後関連する人や資料を通じて真相を理解するように伝えました。先生は頷いて同意してくれました。
(二)法理で迷いを破り、人生の大試練で得失に向き合う
高校3年間の模試では、常にクラスで成績はトップであり、担任の先生からは「一流大学」に合格できるだろうと言われていました。大学入試の日、数学の試験中に前の席の知らない生徒が何度も後ろを振り返って私に答えを教えるように求めてきました。私は小さい頃から人に何か頼まれると断れない弱点がありました。試験時間が限られている中、彼に何度も集中を妨げられ、先生に不正行為と誤解されるのではないかと怯え、焦り、腹立たしい思いを抱きながら、結局問題を解ききれないまま試験が終わってしまいました。
自宅に戻り、家族に事情を泣きながら話しました。同修である家族は法から悟った理で私を慰めてくれました。「大丈夫、もしあなたが前世で彼に借りがあったのなら、今回で返したことになる。そうでなければ、彼があなたに徳を与えることになる。すべてには因果関係があるのだから」と言ってくれました。試験結果が出ると、私は高校3年間で最も低い点数を取り、模試より40点ほど低く、仕方なく普段は視野に入れていなかった大学を受験することにしました。
大きな落差に最初は悲しくて悔しく、なかなか受け入れられませんでしたが、冷静になって師父の法を思い出し、悟りました。修煉者として、どんなことも法理で判断するべきです。人生におけるこれほど大きな出来事が偶然であるはずがありません。すべてはあらかじめ手配されており、もしかしたら師父がこの形式を通して、過去に抱えていた業を清算するように助けてくださったのかもしれません。これは人間としての大切な試験であり、修煉過程での大きな試練でもあります。すぐに気持ちが晴れ、その生徒に対する怒りも消えました。今振り返れば、当時は成績や有名大学に対する執着、名声への執着、メンツを気にする心、他人に邪魔されることを嫌う心、完璧を求める心が強すぎたと思います。
大学に入ると、一年生で二学期連続で学年トップの成績を収め、意外なことに、大学内で一番の人気学科に転入できる資格を得ました。その学科の入学基準は比較的高く、もし入試で本来の実力を発揮していれば、その学科に合格していたはずです。こうしてみると、失うべきものは何もなく、すべてが最善の手配だったことが分かります。
(続く)