文/中国の青年大法弟子
【明慧日本2024年11月16日】(前文に続く)
二、自由な大学生活の中で使命を忘れない
(一)資源を正しく使い、奨学金を有効に活用する
大学生活は自由な時間が多く、私はほとんど娯楽活動に参加せず、課外の時間は自習室で学習、法の勉強、正念を発することに費やしていました。性格が明るく親切だったため、同級生が難しい問題の解き方を教えてほしいと頼んできたり、丁寧にまとめた試験用の復習資料のコピーを求めてきたりすると、彼らが私を追い越すことを気にせず、いつも惜しみなく丁寧に教え、無私の気持ちで共有しました。
一年生の時、8,000元の奨学金を受け取り、4,000元を家族の同修に頼んで二つの村の資料拠点への資金援助に充てました。これは奨学金を受け取る前からの私の願いでした。当時ある同修は、家が貧しく学資ローンで大学に通いながら、そんなに多くの金額を支援するのは無理をしていると考えていましたが、私はその時、農村の同修たちは経済的にあまり恵まれておらず、4,000元で多くの人を救うことができ、奨学金を用いて人を救えることに誇りを感じていました。
大学時代の継続した奨学金も、卒業後の豊かな収入もすべて師父から与えられたものであり、大法の資源であると理解しています。私自身にとっては、生活が十分にできればよく、過度の贅沢は浪費であり、執着も生じやすくなると思います。
(二)すべてを活用し、机を真相掲示板にする
大学の自習室では大勢の人が静かに勉強しているため、一対一での真相を伝える機会はあまりありませんでした。小さな自習室で大法弟子が制作した音楽をイヤホンで聴いていた時、教室にはもう一人の見知らぬ学生だけがいました。これは貴重な機会だと思い、「少しお話できますか?」と声をかけました。彼は了承したので真相を話し始め、「法輪功について聞いたことがありますか?」と尋ねましたが、彼は即座に本や持ち物を急いでバッグに詰め、教室を飛び出していきました。彼は驚いた様子で、実は彼の背後にいる邪霊が消されるのを恐れて逃げたのだと分かりました。
その後、良い方法を思いつきました。消されにくいボールペンで自習室の机に真相の短いフレーズを書くことです(教室の監視カメラに映らない場所で行いました)。そして真相が残り、見た人々が救われるよう一念を発しました。毎回異なる教室や机を選び、一千日もの日夜にどれほどの真相を書いたか覚えていません。時には書こうとしたら、以前自分が書いたものがまだ残っていることもありました。
今後この場所で学ぶ学生たちが真相を見て、自ら明るい未来を選ぶことを願っています。
(三)責任を果たし、邪悪な横断幕を一人で撤去する
ある日、自習を終えて自転車で寮に戻る途中、運動場のフェンスの内側に南から北へと長く掛けられた邪悪な横断幕を目にしました。フェンスの外はメインの通りで、学生たちは毎日この道を通って教室や図書館、食堂に向かいます。どれほど多くの人々に悪影響を与えるだろう! 私は初めてこのような場面に遭遇し、胸がどきどきしましたが、すでに「夜に来て撤去しよう!」と固い決意をしました。自転車をゆっくり走らせながら地形を観察したところ、心の中で計画を立ち上げました。正念を固めると、不思議と恐れが消えました。その頃、私は純粋な気持ちで負の思考がなく、師父が私を加持してくださっていると感じました。
夜になり、暗い色の服を着て鉛筆削り用の小刀を持ち、自転車で運動場に向かいました。フェンス越しに運動場の中を確認すると、人がいないことがわかりました。横断幕の北側は暗く、南側には照明がありました。私は運動場に入ると、北側の端でしゃがみ込みました。道路には明かりが灯り、学生たちが次々と通ります。その時、私は彼らとフェンス一枚隔てただけの位置にいました。私が息をひそめて、横断幕の後ろからじっと観察していると、しばらくして誰も通らなくなりました。遠くから一人の学生がこちらに向かって歩いてくるのが見えたので、その瞬間を逃さず、小刀で素早く横断幕を切り、そっと地面に置きました。重責を果たしたような気持ちで安堵しながら運動場を出て、使命を全うした神聖な気持ちで自転車に乗って夜の自習へ向かいました。
その後、運動場を通りかかると、地面に置いた横断幕はすでに片付けられており、それ以来、学校に邪悪な横断幕が掲げられることはありませんでした。
(四)忍耐強く善を勧め、一人の生徒以外はみな三退する
休暇中、私は中学時代の母校の先生に招かれ、彼女の補習クラスで数学を教えました。授業では、伝統文化の物語を用いて生徒間の衝突を和らげたり、独立した思考を促したりして、真相を伝える準備を整えました。生徒たちはこの授業スタイルがとても気に入っているようでした。
ある日、私は法から学んだ知恵を用いて、彼らにこう話しかけました。「目に見えないものが必ずしも存在しないとは限りません。神や佛が見えないからといって、存在しないわけではありません。たとえば、この空気中には私たちが呼吸に必要な酸素が含まれていますが、私たちには見えません。この空気中の分子を地球ほどの大きさに拡大すると、そこにも生命がいるかもしれませんね!」一人の小さな女の子が微笑みながら自分の目の前を指さしながら「もしかしたら、私の目の前の空気の中にも神や佛がいるかもしれませんね!」と言いました。十代の少女がこんなにも優れた悟性を持っていることに驚き、心が温かくなりました。
補習が終わる頃、私はクラス全体に真相を伝え、話し終えた後、「共青団や少先隊から脱退したくない人は手を挙げてください」と言いました。すると、一人の女生徒だけが手を挙げました。彼女に「どうして脱退したくないの?」と尋ねましたが、理由を明確に答えられませんでした。私は彼女を無理には説得しませんでした。生徒に真相を話した時、母校の先生も隣の部屋で聞いていました。私はあまり心配せず、時機が来たから伝えなければならない、これらの縁のある人々を逃すわけにはいかないと思っていました。
(五)正しい念を持って正しく行動し、すべては最良の按排です
大学三年生になるまで、私は勉強に励むことだけを考えており、就職について考えたことがありませんでした。キャンパスで就職説明会が開かれることを知り、ようやく「この専攻で将来このような職業に就くんだ!」と気づきました。その頃、就職は非常に厳しく、同級生たちは様々な方法で総合的な競争力を高めようとしていました。多くの人が指導員と関係を築き、共産党に入党する枠を得ようとしていたと聞きました。入党は就職のための必須条件であり、総合得点も上がるからです。私は関係を築いたり後ろ盾を頼るつもりはなく、ましてや入党するつもりもなく、ただ履歴書を準備し、積極的に面接に臨むことに集中しました。小規模の企業が早めに採用活動を行い、いくつか面接を受けましたが、結果は何も返ってきませんでした。
次第に、採用は単に個人の能力だけで決まるのではなく、さまざまな複雑な要素が絡んでいると感じました。学業成績が学科で二番目だった私は、自分の実力に疑いを持ち、良い職に就けるか不安になりました。迷いが生じ始めた頃、指導員が私に「学部に入党枠がいくつかあるので、一つをあげよう」と声をかけてきました。この試練に直面し、私は迷うことなく断りました。あの時の私の悟りでは「たとえ良い仕事が見つからなくても、決して入党しない」というものでした。その当時、私は法の理解がまだ浅かったのですが、師父と大法への正しい信念を頼りに、得失の選択の中で法の要求に従う道を選び、人生の前途への執着を放下しました。
正式な就職説明会で、私は順調に大手国営企業に就職が決まりました。その年、この企業は私たちの専攻から採用したのは3人だけで、他の2人は中程度の成績でした。「なぜ優秀な学生を全員採用しなかったのか」と不思議に思いましたが、後で彼らの家庭がこの企業と何かの繋がりがあることを知りました。
招聘に応じた時に初めて気づいたのは、同じ合格ラインなら、普通の「一流」大学で専攻する学科が採用企業に合うほうが、名門大学での一般的な専攻よりも就職に有利だということでした。もし大学入試の時に、あの生徒の影響を受けて私が成績を崩さなければ、今の大学を選ばず、理想の大学で普通の学科を選んでいたことでしょう。この時初めて「師父はすでに私に最善の道を用意してくださっていたんだ!」と気づきました。私は世間知らずで進学経験もなかったので、特に社会の事情を理解していませんでしたが、無理に工夫する必要はありませんでした。ただ正しい念を持って正しく行動し、師父が定めた道を歩むだけで良いのです。
学業の道を振り返ると、成果もあれば悔いもあります。良い成績を取るために勉強する時間に多く費やし、衆生を救うことを最優先にできませんでした。実際には、もっと多くの機会を作り、もっと多くの教師や同級生を救うことができたかもしれません。彼らは私と縁のある人たちでした。別れてしまうと、それで一生会えない可能性もあり、一部の出来事は一度逃してしまうと取り返すのが難しくなります。今を大切にし、周りの人をできるだけ救い、後悔のないようにすることが重要なのです。
(続く)