文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年11月26日】(前文に続く)
四、「たった一言を言わなかったために、あなたは有罪判決を受けたのですか!」
私は不当判決を受け、大きな病室に移されました。そこでは病棟のナンバーワンの「看護師」いわゆる監区の紅頭・M(受刑者のリーダー)と同室になりました。Mは若い男で、とても明るい性格でした。Mは私のことを知りたがっていたので、ある日の昼、私を連れて日当たりの良い場所へ散歩に出かけました。歩きながらMは私に「知っているかい? この刑務所の誰もが、君がたった一言(法輪功の修煉をやめる)と言わなかったために、ここに閉じ込められ、有罪判決を受けたと思っているんだが、本当なのかい?」と尋ねました。
「本当です!」と私は答えました。Mは驚いて私を見て「もし私たちだったら、刑さえ免れれば、一言どころか、数え切れないほどの嘘だって平気で言うよ。君は本当に馬鹿だ!」と言いました。私はMに向かって微笑みながら「そんなことは言えません。絶対に!」と答えました。
それは、私が医大付属病院に入院していた時に起きたことです。ある日、市の「610弁公室」のトップが2人の人物を連れて私の病室を訪れ、少し言葉を交わした後「党と国家へのあなたの貢献を考慮して、寛大に扱って自宅へ帰すこともできます。しかし、法輪功の修煉をやめると保証しなければなりません」と言いました。私は即座に「それは不可能です!」と答えました。彼は「3日間の猶予(ゆうよ)を与える」と言いましたが、私は彼らの期待に応えませんでした。その結果、私は不当に逮捕され、有罪判決を受けました。このことが外部に伝わったため、看護師・Mは私が愚かだと言ったのです。
私はこの機会に、看護師・Mに法輪功の真相を伝えました。同時に、Mが盗みを働いたという彼の過ちについて「真・善・忍」の原則に基づいて人がどのように生きるべきかという道理を説き、改心して新しい人生を歩むように励ましました。他の患者にも親切にしなければならず、力でものを言ったり、人を殴ったりせず、食べものを無駄にすることなく、徳を積むようにと諭しました。Mは私の言葉に感謝し、それ以来、私に様々な気遣いや支援をしてくれるようになりました。病室で煉功を行うことができ、他の病室を自由に訪れることも許可されました。おかげで、他の患者と心を通わせ、法輪功の真相を伝えることが容易になりました。
五、キリスト教徒「共産党は全く理不尽だ!」
C主任は病棟の業務主任、つまり監区のトップの看守のような存在でした。C主任はいつも冷ややかな顔をしており、まるで仮面をかぶっているかのようでした。これは、受刑者たちを相手にしている彼の仕事に求められる性質なのかもしれません。C主任は部屋を回って病状を確認する時、病気のことしか尋ねず、それ以外のことは一切口にしませんでした。そのことから、C主任の慎重さが見て取れました。
8月のある日、C主任は看護師・Mに頼んで私を事務所に呼びました。看護師・Mが部屋を出ると、C主任はドアを閉め「座ってください」と言いました。私は驚いてC主任を見ましたが、彼は笑って「あなたは彼らとは違います。座ってください」と言いました。席に座ると、C主任は「あなたはここに入って6カ月以上になりますね。少し話したいことがあるのです」と言いました。
そして、C主任は厳粛な表情で「君が住民の投票によって選ばれた代表者だと聞いたが?」と言いました。私は「はい、そうです」と答えました。C主任は続けて「法輪功を修煉してから、公用車を私用はせず、急な用事で一度だけ車を使った時も、オフィスに100元(1940円)を納めたと聞いたが、これはどういうことだ?」と尋ねました。私は「その通りです」と答え、修煉後、公用車を私用に一切使わず、私用で外出する時はバスやタクシーを利用していること、そしてオフィスに100元を納めた経緯を説明しました。
C主任はそれを聞いて少し興奮し「今、私の本当の身分を話してもいいだろう」と言いました。私は一瞬驚きましたが、C主任は「私は敬虔なキリスト教徒だ。私の家族全員がキリスト教を信じている」と言いました。そして「信仰の自由とは一体何だ? 全て嘘だ! 法輪功の何が悪いんだ? なぜ禁止するんだ? 共産党はまったく理不尽だ!」と続けて言いました。
私は衝動的に「公用車の私用で料金を払ったことを、誰から聞いたのですか?」と尋ねました。C主任は「市の『610弁公室』事務所の課長から聞いた。学校があなたの救出のために書いた資料を彼は見た」と言いました。そして続けて「彼はこう言っていたよ。『610弁公室は、君を医療仮釈放させることを検討している。医大付属病院の診断書では、君は冠状動脈性心臓病と高血圧3級(訳注:重度の高血圧)と診断されており、610弁公室は収監中の君に何か事故が起きることを恐れている』と彼は言っていた」と言いました。そして、C主任は私に「今から毎日、ベッドに横になって2時間酸素吸入をしなさい。検察庁や裁判所の人間が来て『頭痛がするのか?』と尋ねたら『する!』と答えなさい。そして『めまいがするのか?』と聞かれたら『する!』と答えなさい」と言いました。
20数日後、C主任が病室にやってきて、小声で私に「『610弁公室』の課長と、あなたの子供があなたを迎えに来た。彼らにこう伝えた。『あなたは2時間酸素吸入をしてからでないと、無事に家に帰れない。だから、刑務所の外で待っていてくれ』と。さあ、すぐにベッドに横になりなさい」と告げました。C主任の深い配慮に、私は心から感謝しました。
2時間後、病室の仲間たちに別れを告げ、C主任、会計士・L、看護師・Mに支えられ、刑務所の門を出ました。C主任は私を車に乗せ、運転手にゆっくり走るように指示し、そして手を振って別れを告げました。私はC主任をじっと見つめ、このキリスト教徒への深い感謝の気持ちを抱き、心の中で静かに彼を祝福しました。
追記
家に帰ると、親友たちは私の体調を心配しました。「610弁公室」も、私がもう長く生きられないと思っていたようで、市の「610弁公室」の主任は「死んでしまえば楽になれる」とまで罵りました。しかし、師父のご加護の下、私は法を学び、煉功を続け、わずか2カ月で完全に回復することができました。
2003年以降、毎年旧正月に、私は会計士・Lと看護師・Mを訪ね、贈り物を携えて刑務所の病院へと急いで向かいました。しかし、2006年の旧正月に訪ねたところ、会計士・Lはすでに釈放されて家に帰ったと告げられました。私は驚きを隠せませんでした。奇跡が本当に起きたのでした!
2006年の旧正月が過ぎた時、会計士・Lが地元の名産品を持って私の家を訪ねてきました。久しぶりに旧友に会えて、私はとても喜びました。Lが座るとすぐに、早期釈放された経緯について私はLに尋ねました。Lは「本当に奇跡だよ! 君に会ってからもうすぐ3年になるけど、再審になったことと刑期が減ったおかげで、こうして帰ってくることができたんだ」と言いました。私は「それはすべて大法のおかげです!」と言いました。Lは「それはよく分かってるよ! 君と出会っていなければ、大法のご加護がなければ、こんな奇跡は起こらなかっただろう!」と言いました。
私はLに「三退」について伝え、彼に仮名を使って脱党してもらいました。その後、Lは私に真剣な顔をして「今日、あなたに伝えたいことが2つあるんです」と言いました。私は真剣にLの話を聞きました。Lは少しためらいがちに「申し訳ありませんが、あなたがこの場所を離れるまで、本当のことを言えませんでした」と言いました。私は驚いて「どういうことですか?」と尋ねました。Lは「彼らは私をあなたの面倒を見るために派遣したのではなく、あなたを監視するために派遣したのです」と答えました。私は微笑んで「それは分かっています。あなたのせいではありません」と言いました。Lは「毎日あなたの言動を記録し、指導員に報告するように指示されていました。でも、あなたが本当に良い人だと分かったので、あなたについて悪いことは何も書いたり言ったりしませんでした」と言いました。私は「あなたは誠実な友人です。本当に感謝しています」と言いました。
その後、私は「2つ目のことは何ですか?」と尋ねました。Lは続けて「あなたが監区を離れてから数日の間、病棟全体が沈黙し、誰も言葉を交わそうとしませんでした」と言いました。私は驚いて「どういったことがあったのですか?」と尋ねると、Lは「何も特別なことは起こりませんでした」と答えました。「では、なぜですか?」と私が尋ねると、Lは「あなたのせいです」と答えました。「私ですか?」と私が言葉を詰まらせる間もなく、Lは続けて「あなたは8号病棟に来た最初の法輪功修煉者でした。あなたは高い地位と身分を持っていながら、とても謙虚で親切で、誰にでも分け隔てなく接していました。あなたは皆に『真・善・忍』が何かを教えてくれて『法輪大法は素晴らしい』ということを伝えてくれました。あなたの出所で、皆は喪失感と空虚感を覚え、そのため言葉もなく沈黙してしまったのです」と言いました。
Lが言い終わる前に、私は感動して涙があふれてきました。自分はただ大法弟子として、平常心でみんなと接していただけで、特に何か「評価」を求めていたわけでもないのに、こんなにみんなに心配され、懐かしく思われているなんて! これは大法の力、師父のご慈悲だと深く感じました。大法弟子にとって、師と法を信じ、正念と正行を保てば、師が法を正すことをお手伝いする中で計り知れない大きな力を得ることができるのです。
この文章を書いている時、師父の慈悲深いご加護と、師父が弟子たちのためにどれほど多くを請け負ってくださったのかを思い出し、何度も涙を流しました。偉大で慈悲深い師父のご加持の下、私は正念と勇気を与えられ、知恵と力を授かり、多くの素晴らしい人たちとの出会いを通じて支援と励ましを受け、困難を乗り越え、刑務所から解放され、試練を乗り越え、威徳を築くことができました。この文章を書き終えるにあたり、私は涙をこらえながら筆を置き、心の底から「感謝」という2つの言葉しか出てきません。
(完)