文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年11月25日】(前文に続く)
二、病院の会計士「私は貴人(きじん:地位や家柄が高い人)に会った!」
2002年秋、私の地域で法輪功に対する大規模な迫害事件が起こり、私を含む多くの同修が逮捕されました。拘禁中に血圧が上昇し、心拍数が速くなったため、医科大学の付属病院に入院しました。2003年初頭、私は不当に逮捕され、その日のうちに市の「610弁公室」によって刑務所内に設置されている病院の3階にある小さな病室に移送されました。「610弁公室」の所長は、これが私に対する「特別待遇」だと言いましたが、私はこれが独房への監禁、つまり強制隔離であることを理解していました。「610弁公室」の人員たちは、私の生活の世話をすると称して若い受刑者・Lを私につけ、実際には私を24時間監視しました。
Lとの会話の中で、Lは県の病院の会計士で、集団で不正を行った罪で重刑を科されたことを知りました。Lは非常に熱心で、私にも敬意を持って接しました。Lは、私のような地位の高い人間がなぜここにいるのか、とても知りたがりました。そこで、私は「ここで出会えたのは縁だ。彼に真相を伝えなければ!」と思い、自分の修煉過程や恩恵を受けた状況について簡単に説明しました。そして、法輪功に対する迫害が憲法違反でああるという道理を説明し、特に「4.25」平和陳情と「天安門焼身自殺」の真相について強調しました。
Lは私の話をとても熱心に聞き、何度も質問しました。私の話を聞き終えると、Lは深い感慨に浸りながら「なるほど、テレビやラジオ、新聞で言っていることは全部嘘だったんだ! 世の中はこんなに暗いとは!」と言いました。そこで、私はLに「法輪功は政治に関わるものではありません。人を救うためのものです。人類は道徳が衰退したために、大きな災難に直面しています。どうか『法輪大法は素晴らしい』、『真・善・忍は素晴らしい』と信じてください」と伝えました。すると、Lはうなずいて同意しました。
その後、Lは自分の冤罪について話しました。集団で不正を行った事件で、会計士として上司の指示に従っただけなのに、主要な責任を負わされ、上司の代わりに罪を被り、重刑を科されました。Lは涙を浮かべながら「もう3年もここにいる。あと10年近くは家に帰れない。妻や子供はどうやって暮らしているのだろう」と嘆きました。私はLを慰め「天は公正で、善人を見捨てません。法輪大法を信じれば、必ず奇跡が起こります」と言いました。Lは苦笑しながら「奇跡が起こるといいんだけどね」と言いました。
翌日早朝、Lは服を着たままベッドに座り、興奮した声で「貴人に会った! 貴人に会った!」と叫びました。私が「どうしたのですか?」と尋ねると、Lは「夢の中で聖人が私にこう言ったんだ。『貴人が君に福音を伝える。あと3年で君は家に帰れる!』と。その貴人というのは、君のことじゃないのか?」と言いました。
Lは急いで服を着て私の前に立ち「先生、何かお手伝いできることはありませんか?」と喜びながら言いました。私は「煉功をやりたい」と伝えると、Lは「わかりました! 今日から、病棟の主任の回診が終わったら、ドアを閉めて、向かいの大部屋に座って見張ります。誰も入れないようにして、あなたは一人でやりたいことを何でもしてください」と言いました。
このようにして、入院の翌日から私は正しく法を暗唱し、煉功を行うようになりました。Lは毎日私のために水を汲み、ご飯を運び、必要なものを買ってきてくれました。夕食後は一緒に階下を散歩し、毎週、ボイラー室まで私を連れて行きお風呂に入れてくれました(監区には浴室がなかった)。私のことを本当に細やかに面倒を見てくれました。
しばらくして、眠っている間に、私は多くの人々に講義をしている夢を見ました。同じような夢を何度も見た後、私は大法弟子として、どんな状況下でも衆生を救い済度するという歴史的使命を果たし、より多くの人々に真相を伝えるべきだと悟りました。そこで、私が自分の考えをLに伝えると、Lは喜んで協力してくれました。そこで、Lは他の病室の人を次々に隔離された小さな部屋に連れてきて、私が真相伝えを聞かせました。そして、下の階を散歩する時には、Lが知り合いの他の監区の人を私に紹介し、他の監区の人たちにも真相を伝える機会を私に与えてくれました。
6カ月後、Lと私はそれぞれ別の大きな部屋に移ることになりました。しかし、Lは私を気にかけて、最後まで私のことを助けてくれ、私が刑務所内に設置されている病院を退院するまで、Lは私の面倒を見てくれました。私たちは心から信頼しあう友情を築き、Lは自分の人生に光を見出しました。3年後に家に帰れるというLの願いが叶うことを私は心から祈りました!
三、検察庁の課長「私たちは皆、あなたをとても尊敬しています!」
刑務所内に設置されている病院に移送されて間もなく、私たちを陥れた案件が区検察庁に移送されました。私は検察官たちに真相を伝えるべきだと考え「〇〇検察庁のすべての検察官」宛の「善を勧める手紙」を誠心誠意、詳細に書きました。1カ月後、検察庁の起訴科の担当者たちが監区に来て、私から案件の詳細を聞き取りに来ました。そこで、私はその課長に「善を勧める手紙」を手渡しました。
6カ月後、課長たちは再び状況を確認しに来ました。話し終えると、課長は他の人員を帰し、私の方を向いて小声で「〇〇先生、私たちは皆、あなたをとても尊敬しています!」と言いました。
この突然の「尊敬」という言葉に、私は深く驚きました! 何も考えずに私は「ありがとう」と返事をしました。すると、課長は急いでその場を離れていきました。私は「私が牢獄にいるこんな状況で、課長がこんなことを言ってくれるとは。もしかしたら、私が書いた『善を勧める手紙』を読んで、真相を理解しただけでなく、区の公安・検察・裁判所の組織内で噂になっていた、私に関する二つの噂が本当だったことを確信したのかもしれない」と考えました。
一つ目の噂は、私が自宅を家宅捜索された時の、思いがけない発見に関することでした。それは、私が連行された前年の9月、区公安支局国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官たちが私の自宅に不当に家宅捜索に来た時のことです。警官たちは、私が副庁級(訳注:中国の政治行政の等級は「国家級」、「正部級」、「副部級」、「正庁級」、「副庁級」、「正処級」、「副処級」、「正科級」、「副科級」という9つの等級に区分されており「国家級」は最高であり「副科級」は一番下のレベルである)幹部であるため、私の自宅には豪華な装飾や備品が備えられていると想像していたようですが、実際には非常に簡素なものでした。そのため、警官たちは非常に驚いた様子でした。そして、私の預金がわずか6800元(約14万円)しかないと知ると「捜索したら高潔な幹部が出てきた!」と言いました。家族の話によると、警官たちはこの状況を見て、ぐちゃぐちゃにした衣類を、きちんと畳んで元の場所に収めたそうでした。
二つ目の噂は、私が刑務所内に設置されている病院に連行された日に起きたことです。大雪が降る夜、市の「610弁公室」の所長とその配下の公安局の警官数人が私を刑務所内に設置されている病院に騙して連行し「逮捕状」とペンを渡して私に署名させようとしました。私は署名する時に「私は無罪です。法輪功を弾圧する者こそが真の罪人です!」と書きました。彼らは激怒し、私にこの二つの文句を消すように要求しましたが、私は頑として拒否しました。現場に呼ばれた党委員会事務室主任は、私が報復されることを恐れ、最初の文句は残して、後の文句だけ消すように勧めましたが、私はそれも拒否しました。現場は混乱し、約10分間膠着状態が続きました。「610弁公室」の所長は怒り狂って「もういい! こんな頑固な人間は見たことがない!」と叫び、仕方なく「逮捕状」を片付け、私は刑務所内に設置されている病院に押し込められました。検察官が「逮捕状」に私が書いた言葉を目にした時、きっと驚いたに違いありません。
私は「検察官たちが真相を理解した上で、心から『尊敬』の念を抱いたということは、実は法輪大法に対する敬意と、私たちの偉大なる師父への崇敬の念を表している」と理解しました。そして、検察官たちが真相を理解したことを嬉しく思いました。彼らが自分の人生において、正しい選択をしてくれると信じました。
後に私を密かに裁判にかけ、不当に裁いた法廷で、その課長は私を公訴しながらも、私を庇うような発言を繰り返しました。その課長の矛盾した複雑な行動は、真相を理解している検察官が独裁体制下で、本心とは裏腹なことを言わなければならないという、どうしようもない気持ちを抱いていることを表していました。
(続く)