ーー法を正す時期における大法弟子の最大の使命は大法を守ること
【明彗日本2024年12月29日】(前文に続く)
二、弟子を成就させるために計略を用いる
上記の迫害の状況分析から、邪悪が彼らが望んでいた結果を得たように見えるかもしれないが、これは、師父がこの迫害の状況を逆手に取られて、より多くの大法弟子を成就させておられると我々は理解している。
師父は『なぜ人類が存在するのか』などの三篇の短文を世間に発表されたが、それぞれが法がこの世を正すことに関係している。そして弟子たちに対しては、法難の新たな現れ方や、混乱の中でどうすべきかについて、師父は公開で具体的な指導をお与えになることはなかった。一部の弟子たちは、師父がどう語られるかを待っているかもしれないが、忘れてはならないのは、これは1999年「7.20」以降の再び訪れた大きな試練であるということである。昨日、明慧ネットの記事で言及されていたように、師父は1999年「7.20」以降、約1年間お言葉を発せられず、一枚の写真を公開したのである。師父は慈悲深く我々がどうするか、人々がどうするかを見守っておられる。師父の「世人を静かに観ている」の写真は、今でも明慧ネットの最上部に載っている!
その大きな試練の前、師父はお言葉を発されなかった。現在、二十年以上が経ち、再び具体的にどうすべきかを教えていただくことになったのは、私たちの修煉があまりにも不十分であったからではないだろうか?
我々の理解では、修煉者はこの迫害の状況をうまく利用し、自分たちの正しい信念がどれほど堅固であるかを見極めるべきである。どの面でまだ旧勢力の思考から抜け出せていないのか? 自分と師父、そして法を正すこととの関係を正しく認識できているか? 誰が「金」で、誰が「砂」か、どの大法弟子が予想される基準に達していないのか、それは試験そのものである。
師父は『精進要旨』「誰のために修めるのか」の中で、「法難は人間の難、宗教の難であって、佛の難ではありません」と教えてくださった。しかし、九九年の「7.20」法難が起こったとき、師父は弟子たちがその試練を乗り越えられるよう、また世の人々が救われるように、自ら宇宙全体を破壊するほどの巨大な業力を背負ってくださった。旧勢力は師父を宇宙の消業の機械として扱ったのである。私たち弟子は、師父のそのような犠牲と耐え忍びを大切にしているのか、それともただひたすらに求め続けているだけなのか? 今回は師父は『法難』の中で、“ですから、私が直面するであろう巨大な圧力と、耐えることは、一つまた一つとやってきます。人を救うことは難しいことであり、これは口で言うほど簡単なことではありませんと語られた。この巨大なプレッシャーと負担も、また師父が私たちのために背負ってくださったものである。
これまでの年月の中で、多くの海外の修煉者が抱えている疑問は、「なぜ特定の地域やプロジェクトで予想外の出来事が起きるのか?」ということである。この疑問を解くためには、二つの側面から説明する必要がある。
まずは、師父は、旧勢力に属する命を含むすべての生命を救うために、天上の「神々」と地上の「人々」との関係を整理し、それに対応する修煉者たちの心性の表れを見ていることを私たちは理解している。真に修煉をしている弟子たちは、師父が正法によって人々を救うこの過程の難しさと複雑さを多少なりとも感じ取っているだろう。
次に、学習者の修煉の観点から言えば、私たちは下界に来る前にすでに法を外れ、巨大な罪業を作ってしまっており、人間界での二億年の輪廻の中でも多くの業を積み重ねてきた。そのため、かなり多くの人々の業力は非常に大きいのである。この業力をどう消すか? 修煉者の業力の大部分は師父が引き受けてくださっているが、残りの部分は単に心性の修煉や身体的な不快感だけでは消し去ることができない。
中国国内の学習者にとって、師父が『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』の中で説かれたように、「中国は太上老君の煉丹炉のように、大法弟子を熔錬しており、火が激しく燃えるほど、厳しい試練のように人心と執着を取り除いています。もちろん、この苦しみに苛(さいな)まれる過程はとても辛いのですが、作り出したのは純金です」
師父の法から私たちは「中共の邪悪な迫害が皆に与えた身体と心の魔難は、業力を消す役割も果たしているのではないか?」と理解している。
一方で、海外には人身の自由や生命の安全が危険にさらされるような迫害はない。そのため、海外の修煉者たちの業力はどのように消すのか? 一部の修煉者が困惑する内部修煉環境や、修煉者間の心性の対立は、心性を高め、業力を消すために活用できるのか? 多くの修煉者間には大きな業の負債もあるが、これらの負債をすべて師父に背負わせることはできない。
修煉者間の状態は旧勢力によって按排されたものであることは確かだが、大法はこの邪悪な按排を利用して、大法弟子を磨き、大善大忍の法を正す時期における大法弟子を成就させている。これにより、私たちは心性を高め、法理の理解を深めるための最良の環境が形成されているのである。ある者がこれらを理解できず、人心で師父や大法を計ることにより最終的に大法から離れ、救われる機会を失ったことは、確かに残念ではあるが、それはその生命自身の選択であると言えるだろう。
過程の中で、多くの修煉者はまだ旧勢力が無理に押し付けた思考から抜け出せておらず、法理に対する理解も基準に達していないが、結局は大法への正しい信念によって乗り越えてきた。これにより、どんな出来事が起きても大法を裏切ることはない。これこそが正しい信念の偉大さである。
三、法を正す時期における大法弟子の最大の使命
師父は大法弟子が偉大であると言われた。なぜか? 個人的な理解では、私たちは人間の迷いの中にいるが、旧宇宙の神々よりも幸運である。なぜなら、私たちは大法を肯定的に受け入れ、師父を肯定的に認識することができるからである。旧勢力のように、自分勝手で傲慢な態度を取ることはない。
以上のように、旧勢力の按排はすでに予定通り法難の最後の段階に進んでいる。それは、自由社会の中で、公然と師父に対する司法迫害を行うことである。中共がアメリカのメディアを利用して悪意をもって真実を混乱させ、修煉者の中に潜む工作員や悪人を使って神韻と師父を中傷し、アメリカの司法制度を利用して師父に対して仕掛けたこの超限戦は、師父と神韻の時間、エネルギー、財力を消耗させようとしている。
私たちが大法による救い済度の真髄を理解し、大法修煉の真髄を理解すれば、次のことが分かるようになる。それは、邪悪の目的は決して達成できないが、その過程で真相を理解する時間が足りなかった多くの常人は滅ぼされてしまう可能性がある。これには、法に対して不確かな信念を持つ者や、修煉に対する理解が病気治療や健康維持など感性的なものにとどまっている者、それに根本的な執着心を固持している大法弟子が含まれる。世の中のすべての命は簡単ではないため、命が救われないことは、宇宙において非常に大きな損失となる。したがって、より多くの命が救われない、より多くの大法弟子が悟りに至らない、法の上で法を理解できないと、済度の損失はますます巨大なものとなる。
今日起こっているすべての出来事に直面し、修煉者の間での異なる認識に直面している中、真に修煉している弟子はどうすべきか?
誰も大法を本当に破壊することはできない。しかし、法を正す時期の大法弟子の使命は何か? 師父は明確に教えてくださった。「大法弟子の偉大なることは宇宙で法を正すことと結び付いており、皆さんの最大の使命は法を守ることです」(『各地講法二』「米国フロリダ州法会での説法」)
大法を守ることこそが私たちの最大の使命である。もし私たちが人間界で大法を守れないのであれば、修煉や生命の済度について語ることは無意味であり、それは創世主への欺瞞であり、自身に対する最大の無責任である。
どうすれば大法を守れるか? もちろん、海外ではかつて中国本土で行ったように陳情することはできないため、理性的で、かつ専門的に行動する必要がある。しかし、まず大法弟子として師父を護り、法を護る心を動かすことが大切である。私たちが中共の国境を超える弾圧に対して、全体的に正念を発することによって、強力な正念の場が形成され、他の空間で邪悪を抑制し、浄化することができる。修煉が進んでおり、良好な専門的素質を持ち、英語能力が高い弟子たちが、アメリカ政府(そして今後就任するトランプチーム)に真相を伝える役割を果たすことができれば、すでに形成された世界的な反中共の大きな流れの中で、邪悪な攻撃を人間の表面で食い止めることができる。
「修煉が良くできている」とは、個人の修煉において堅固な基盤があり、法を正すことに対して深い理解があり、理性的な思考と人間の事に対する正しい認識を持っていることを意味する。実は、師父がすでに教えてくださった。「目覚めて悟った本性は、自らいかに振舞うかを知っているはずです」(『精進要旨』「道法」)。知らないということは、まだ本性が覚めていないか、または常人の観念や執着によって邪魔されているということである。
また、学習者の中にいる工作員や悪人に対しては、どう対処すべきか?
師父は最大の慈悲をもって、まだ救えるすべての人々を救おうとされている。これについて、師父はすでに明かされた。例えば、『大ニューヨーク地区法会での説法』の中で、「更に、人に告げられないこと、非常に汚いこと、大法に申し訳ないこと、大法弟子という称号にふさわしくないことをまだしている人がいます。私もあなたを別扱いしていません。圓満成就に向っていけない時に、あなたは自分自身に責任を持たなければなりません! 師父は誰かを脅かしているのではありません。この歴史の機縁を逃した人、今回の機会とすれ違った人であれば、自分がどういうことを逃したのかが分かった時、生かしてもらえてもあなた自身は生きる気を失います! 師父がいつも慈悲深いからといって、皆さんは師父の慈悲を大事にしていません! そうしないで下さい。大法弟子に基準があり、法にも基準があります」。「師父はあなたを見て本当に焦っています! 師父はあなたを見て本当に焦っています! 師父の今日の話は強く聞こえるかもしれませんが、私は重い錘を使わないともうだめかもしれません。私があなたを救うことができなければ、私にとってそれは最も残念なことです! あなたも私のように焦ってくれれば」と語られました。
それでは、師父のこの法をもって、学習者の中で悪事を働いている、あるいは悪事を働こうとしている人々に再度善を勧めよう。
もう一つ非常に重要なことは、大法を守る過程で自分自身を内に向けて探し、浄化することを忘れてはならないということである。師父は何度も私たちに、どんな状況下でも無条件で内に向けて探すようにと戒めておられた。各人、各プロジェクトにおいて、「自分のどのような大法に反する思考が旧勢力に隙を与えたのか? どのような正しくない行い、あるいはあまり正しくない行動が邪悪に隙を与えたのか? なぜ漏れが無くできないのか? どうすればその穴を塞ぐことができるのか?」を考えなければならない。
真に修煉している大法弟子として、大法の原則に反することは決してあってはならないが、時には一見小さな問題で心を修めずにいると、結果的に旧勢力に隙を突かれ、私たちを迫害する口実となることがある。どんな人心が長期間修められずに放置されているかにより、旧勢力はその部分に狙いを定めてくる。多くの人心は、学習者同士の互いの害、放任された人心(「比べて学び比べて修す」ではなく)から生じるものである。自己中心的、傲慢、媚び、嫉妬、争い、怠惰、責任転嫁、計算高い、口先だけの巧妙さ、嘘をつくことを得意とするなどなど。人間社会の道徳的堕落や、中共の党文化により中国人が引き起こした問題が、大法弟子という修煉集団の中にも残っている問題を反映していないか、深く考えるべきである。
結び
師父はすでにわれわれに、「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」と教えてくださった。(『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」)
「正邪大戦」とは、人間界を含むすべての宇宙空間で繰り広げられる戦争であり、大審判前に旧勢力と創世主が人々を奪い合う最後の戦いで、数多くの戦役から成り立っている。法を正す時期の大法弟子として、私たちはその教訓を学ばなければならない! 個人的な人間の恩怨にとどまっていてはいけない。大法を守ることこそが私たちの最大の使命である。人心で修煉や法を正す時期の大法弟子の使命を測ることをやめ、法の中で修煉することこそが正しい道であり、真の修煉である。
正邪大戦の最後の瞬間において、修煉の大試練と人間界の邪悪な物の大掃除がすでに始まっているこの歴史的な時点で、今日目覚めなければ、さらに何時を待つのだろうか?
(終わり)