文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月9日】(前文に続く)
迫害の中で成熟へ向かう
その後、私は何度も留置場、労働教養所、洗脳班で拘束され、迫害を受けました。この経験を反省するうちに、これが修煉において執着を手放し、成熟へと向かい、自らの誓約を果たす過程なのだと徐々に理解するようになりました。
初めて北京へ請願に行った時送還され、派出所にいた時、私は目をぎらぎらとさせて警官を睨みつけ、瞬きもしませんでした。心の中は憎しみで満ち溢れており、そのために警官は長い竹竿で私を打ちました。十数回に及んで何度も繰り返し拘留される内に、憎しみの感情は徐々に薄れ、警官への憐憫の情が湧き上がってきました。
中国共産党(以下、中共)は連座制を用いており、1人の法輪功修煉者が請願に行くと、警官は賞与を減額され、数人が行くと免職される可能性がありました。そのため、警官は私たちを非常に憎んでおり、いかなる真相も聞き入れませんでした。請願に行く人数が増加し続けるにつれ、皆が中共に対して保証書を書かなくなったことで、私たちは北京で氏名を明かさず、堂々と拘禁施設を脱出しました。そして、邪悪な連座制は崩壊しました。
その後、警官も私たちが伝える真相を聞き入れるようになり、大法弟子との接触を通して、警官たちの善良さを感じるようになりました。
私たちの管轄区域の戸籍担当の警官は、早期退職できる年齢になるとすぐに退職し、大法弟子への迫害に再び関与することを望みませんでした。その後、ある時、その退職した戸籍担当の警官が街で私の母親に会い「あなたの息子は良い人だ」と私の母親に言いました。
修煉を始めたばかりの私には、時間への大きな執着がありました。早く法を正し、迫害を早期に終わらせようと考え、行動がしばしば極端に走りました。このことが原因で、後に不当な労働教養処分を科されることにつながりました。労働教養所に入ってからも警官と対立していました。その後、深刻な迫害を受け、労働教養所の病院に送られました。病院で、同修が持ち込んだ師父の『北米での巡回説法』を拝読する機会を得て、「私はこの迫害を人間同士の迫害と捉え、個人の円満成就を第一に考えていたのだ」と理解しました。「法を正す」とは何かについてより明確な認識を持つようになり、衆生を救い済度することこそが私たちの使命と責任であることを知りました。
この迫害は旧勢力による按排であり、迫害初期にはこの点を認識していませんでした。ただ、偶然の出来事ではなく全てが按排されているように感じていました。私が初めて北京へ請願に行って帰ってくると、繰り返し拘置所に収容され、後に家に帰ってから収容されていた期間を計算してみると、拘置所で不当に写真を撮られた時に割り当てられた番号の末尾(私が覚えていられたのは、それが私の誕生日と関係していたからである)、不当な労働教養の開始日、配属された中隊、さらには労働教養所での記帳カードの数字まで、私の誕生日と一致していました。帰ってきてから旧勢力の由来に関する師父の教えを読んで、これが旧勢力の按排であることを理解し、大法弟子として旧勢力の一切の按排を全面的に否定し、師父が按排された道を歩むべきだと悟りました。
法理を理解すると、以前のような心の奥底から湧き上がるような衝動は減り、心がずっと落ち着きました。
修煉におけるどのような人心も、邪悪に弱みを捉えられ迫害の口実とされます。ある時、洗脳班で昼食後に食器を洗っていた時、「大きな問題はしっかり把握し、些細な問題はあまり固執しなくても良い」という考えが浮かびました。当時、私は警戒しておらず、その考えをやり過ごしてしまいました。その結果、午後の取り調べの時、ある人物が私に1枚の紙の署名を求め、私は大した問題ではないと思い署名してしまいました。洗脳班の人員たちは非常に喜び、まるで大成功を収めたかのように振る舞いました。私はたちまち目が覚め、騙されたことに気づきました。その後、無効を申し立てましたが、自身の意図とは反する結果を招いてしまいました。
ある日、かつて武装警官であった人物に会いました。その人は、彼らが列車を貸し切り、東北地方から中国各地で収監した重刑犯を新疆へ護送する過程について話しました。その人は法輪功を知っており、新疆にも重刑判決を受けた法輪功修煉者が収監されていることを知っているとも話しました。新疆の刑務所では重刑犯の銃殺が頻繁に行われており、断固とした信念を持つ法輪功修煉者たちも銃殺されたとのことでした。その話を話している間、その人は絶えず首を横に振り、過去の出来事を振り返りたくない様子でした。私はその人に真相を伝えようとしましたが、彼は聞こうとせず、彼は「機密文書」(もちろんその機密文書には多くの嘘が含まれている)を見ることができると言いました。
真相を伝え人を救う
自由を獲得した後、私は大量に学法を行い「共産党についての九つの論評」や「解体党文化(党文化を解体する)」などを読みました。そして、大法弟子は同時に「三つのこと」を行うべきであることを知りました。
私はパソコンとプリンターを購入し、資料作成を始めました。それは自身で配布するため、そして周囲の同修に提供するためでした。平日は仕事があるため、週末の休息時間を利用して印刷を行い、1週間分の必要な資料を準備しました。毎日出勤時に資料を携行し、退勤時の帰宅途中で資料を配布しました。仕事の合間には同僚に真相を伝えました。ある期間は頻繁に工場へ行く必要があり、帰りはよく工場から荷物を引き取りに来る車に便乗して市街に戻っていたため、運転手と2人きりの空間で真相を伝える機会がありました。市街に戻るまでの時間は比較的長く、世間話から時事問題の話まで、距離を縮めてから真相を伝えるようにしていました。多くの場合、運転手たちは真相を受け入れ「三退」を選択しました。
同修である母親と協力して親戚に真相を伝えました。贈り物と真相資料を用意し、家々を訪問しました。多くの親戚が真相を受け入れ「三退」を選択し、肌身離さず護身符を身に着けるようになりました。私の叔父は大法の素晴らしさを信じ、護身符を身に着けていましたが、ある時、市街へ仕入れに行った時に交通事故に遭い、車が横転しました。しかし、同乗者全員が無事でした。交通整理の警官でさえ「あなたたちは本当に幸運ですね。きっと大いなる佛様のご加護があったのでしょう」と言いました。この出来事以来、叔父はさらに大法の素晴らしさを信じるようになりました。
法を暗唱する
拘置所にいた時、私は経文を暗記することの重要性を痛感しました。まさに「いざという時にもっと勉強しておけばよかったと後悔する」という言葉の通りでした。帰ってきてから、私は基本的に『精進要旨』の短い経文を暗記し、その後、師父が出された新しい経文もほぼ暗記しました。しかし『轉法輪』はずっと暗記できるとは思っていませんでした。労働教養所や洗脳班から帰ってきてからの最大の変化は大法の貴重さを知ったことでした。邪悪な環境の中で、毎日暗記している経文をすべて暗唱し『轉法輪』は以前に拝読した記憶を頼りに1節ごとに一段一段と思い出していました。その時、最も切望していたのは『轉法輪』を手に取り、静かに学法することでした。
家に帰ってきてから、私は『轉法輪』の暗記を始めました。最初の1回目は1年以上かけて暗記しましたが、第一講を除いて、ほとんどまた忘れてしまいました。ある日、明慧ラジオを聞いていると、ある同修が一日一講ずつ『轉法輪』を暗記し読んでいるという話を聞きました。私は、もし自分もその同修のようになれたらどんなに良いだろうかと思いました。
私は再び『轉法輪』の暗記を始めました。しかし、毎日暗記できる量は非常に少なく、毎日一講を暗記しようとすると、本当に難しいと感じました。その後、私は一つの方法を考えました。毎日一講を学び、学法時に以前暗記した部分を再度暗記し、暗記できない部分は読むという方法です。毎日、暗記する部分を増やすように努力しました。
このようにして9日間で前回暗記した部分を復習することができ、これによりほぼ忘れることはなくなりました。時間の経過とともに、暗記できる部分はますます増えていきました。1年以上の時間をかけて、本当に『轉法輪』を暗記することができました。私は本当に明慧ラジオで聞いた同修のように1日一講の『轉法輪』を暗記し、一講を読むことができるようになりました。師父の慈悲なる救い済度に感謝申し上げます。
結び
「人は生まれ落ちた当初にはその天性は皆が善良である」という道理は誰もが知っていますが、俗世の荒波の中で人々は次第に自分を見失ってしまいます。修煉者もまた最初から完璧な状態ではないので、様々な経験を通して理性と成熟へと向かっていきます。初めて労働教養所と洗脳班から帰ってきた時のことを覚えています。友人や同級生たちが集まって私の帰還を祝ってくれましたが、真相を伝え、三退を勧めようとした結果、議論になってしまい、親しい同級生の1人が脱退した以外、他の人は誰も脱退しませんでした。しかし、最後に迫害から帰ってきた時、友人や同級生の集まりで、私たちの元上司が「あなたは今回変わったね。前回は皆と議論していたのに、今回は変わった、穏やかになった」と言いました。以前、私が元上司に真相を伝えた時、彼は「もし私が共産党なら、私もあなたたちを鎮圧するだろう」と言いました。しかし今回、元上司も変わりました。元上司は神韻芸術団の公演 DVD を見て、私が彼に三退を勧めると、快く同意しました。
ある期間、同修との協力関係においてトラブルが生じ、互いに非難し合い、数カ月間も交流が途絶えました。ちょうどその時、師父の新しい経文『なぜ人類が存在するのか』が発表されたので、私は毎日その新経文を読み、暗記しました。その中で最も深く感じたのは、師父が経文の中で何度も人に「善良でなければならない」ことを説かれている点でした。本当にその通りで、トラブルが生じている時はいつも相手の欠点ばかりを見て、同修の良いところが見えていませんでした。私は同修に長い手紙を書き、トラブルを解消することができ、皆で再び協力できるようになりました。
「光陰矢の如し」と言いますが、あっという間に修煉して28年になりました。迫害が始まった当初は、迫害が1日も早く終わることを切に願っていましたが、次第にそうは思わなくなりました。今では、私はひそかに師父に「もう少し時間を与えてください、もう少しだけ時間を延長してください」と懇願しています。より多くの衆生が救われることを心から願っています。
(完)