文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2025年2月25日】(前文に続く)
5、常人社会の「良い人」の基準にも達していない修煉者
私が法輪大法を修煉するきっかけとなったのは、北京の紫竹公園でした。そこの学習者と輔導員たちは見るからに非常に優しくて、良い人だと感じました。その後、煉功点に行けば同じで、何も言わずとも、見るだけで同修たちは優しい人だと分かります。当時のルームメートも学習者たちが良い人だと言っていました。長年経ちましたが、当時の同修たちの優しくて善良な雰囲気を私はまだ覚えています。
アメリカに来てからは、多くの同修は仕事能力が高くて、長年の仕事を通じて社会的地位や財産を築いていますが、一見して、常人との違いを感じられません。もちろん、20年にわたって同修をずっと支援しているようなとても良い同修もいますが、このような同修は極めて少ないです。
アメリカに来た当初、私は西部の大都市に住んでいました。そこの同修は会っても挨拶をせず、こちらから挨拶しても無視されます。そのような同修は台湾出身の同修もいれば、中国本土出身でアメリカに数十年暮らしている同修もいました。中部の大都市に引っ越した後も、同じような挨拶しない同修がいました。そのため私も気まずさを避けるため、非常に親しい同修に会う以外は挨拶をしなくなりました。一方、普通のアメリカ人は、見知らぬ人同士でも道で出会ったら通常は友好的に挨拶を交わしますが、修煉者たちはそれができないのです。
アメリカに来てから、7人の家主さんを経験しました。私は家主さんたちと良い関係を築き、彼らも法輪大法の良さをとても認めてくれました。特に親切で人助けを好む家主Bさんもおり、毎週週末には多くの料理を作って入居者を無料で招待します。Bさんは普通の生活を送る人で、決して裕福ではありません。一方、修煉者で家主になっている同修Cさんは、入居者たちに対してそれほど優しくないとのうわさを私は聞きました。Cさんは望んでいる家賃を得られなかったため、同修たちの間で、Cさんの借家を借りている同修Dさんの悪口も言っているようです。
メディア会社として、そこに働く同修に対して責任を取ることは容易なことではありませんが、一般の会社や組織では従業員に対する責任をとても重視しています。同修に対して責任を取るというのは高い待遇を提供することではなく、同修のことを尊重し配慮することを意味します。
「スパイの排除」を理由に不適切なことを行う修煉者もいます。当初は「スパイ」による破壊を防ぐためですが、どんなに良い制度も人の心に依存しています(現在のアメリカ社会が司法資源を乱用しているように)。人の心が変わると、多くのことも常軌から逸してしまいます。事があるたびに「スパイによる破壊」だと断定してしまう学習者がいて、このようにいつも外に向けて探すと、自分の修煉の問題をいつまで経っても解決できません。
常人の中の良い人の基準にまだ達していない例はたくさんありますが、ここでいくつか例を挙げるのはこの問題を説明するためだけで、誰かを責めるわけではありません。この問題を強調するのは、常人の中の良い人の基準に達せるかどうかは、学習者にとって大きな課題となったからです。もちろん、同修内部で起こるこれらの問題が逆に修煉の良い機会ではないかと考える人もいますが、以下で、そういう考え方に対して私の気づいた問題点を話します。
6、人為的に魔を助長すること
今、同修の間に利益関係も絡み合っています。同じグループ内では互いに支え合い、グループ外の人に立派な言い訳を使って冷たく当たります。その現象を見て修煉者らしい状態ではないと思いますが、私自身は法理に対する理解が不十分なため、同修のこのような状態を注意することもできませんでした。
以前の修煉法は、特定の方法でのみ修煉が可能であるため、「形式」に従って修煉する必要がありました。その「形式」を超えると修煉は不可能になります。一方、法輪大法の偉大さによりどんな環境でも修煉は可能になり、つまり中国国内の迫害の下でも、海外の平和な環境でも修煉できますし、純正な修煉環境に置かれても、そうでない環境に置かれても修煉は可能です。旧势力の按排に関わらず、大法に従ってさえすれば修煉を続けることができます。
では、どんな環境においても修煉できるからといって、旧势力の按排を認めていいでしょうか、答えはノーです。私たちの修煉と向上ができるのは大法自身の力によるもので、旧势力とは無関係です。どんな環境でも修煉が可能で、旧势力が用意した環境も例外ではありません。
法を正す時期に、われわれは自身の向上だけでなく、常に社会に責任をもち、人に責任をもつことを念頭に置かないといけません。他の同修のためにどのような修煉環境を提供するのか、衆生と未来のためにどのような参考を残すのか、全体としてどのように行動するのかを考慮する必要があります。だからこそ、旧势力による妨害を決して許しません。
学習者の間で見られる不正行為が長期間にわたって解決されない主な理由は、「人為的に魔を助長し、それが法の隙につけ入っているのです」(『精進要旨』「道法」)。多くの人が法理についての理解が不十分で、いろいろ不祥事が起こったことを恥ずかしく思っていません。
7、学習者内部による無意識の破壊を重視しよう
気付きにくい法を乱す形を二つ挙げます。1、「法律は大衆を罰しない」という心理。多くの学習者が共に不正行為に参加したため、いつか間違いに気づいても、大勢で行ったことだから重く受け止めない傾向があり、似たような状況が再び起こった時には、また同じことをする可能性があります。2、大きな不正行為において、個人個人は少しだけ関与しているため、自分の行動が全体に与える影響を軽く見て、結果が深刻であっても、その結果が自分の行動とどう関連しているかを考えないのです。
8、大法を利用してはいけない
あるプロジェクトは師父自ら指導しているとか、ある商品は師父自らデザインしているとか、某プロジェクトに師父はどのような役割を果たしたとか、あるプロジェクトが法を正す進展にどれほど必要とか、このような話はよく聞こえます。しかし、ほとんどの場合そのように言う目的は純粋ではないと感じられます。1、同修たちに当プロジェクトに資金や人力を投入させたい、または商品を購入させたい。2、自分とプロジェクトの正当性を言い張るため。3、自分自身とプロジェクトを自慢に思う。
常人ならこう行うのは大したことではありませんが、修煉者として師父や大法の名目を掲げて行うと、それは全く異なる重大なことになります。師父は弟子に名目を使われるのを気にしませんが、弟子として、こうするのは本当に正しいでしょうか。
一方で、師父や大法の名目を掲げて行った活動が良い結果を得ていなかった場合、すべてのトラブルと問題は最後に師父と大法に向けられます。師父と大法への信念が強くない学習者が困難に遭うと落胆したり、修煉を止めたりすることもあります。このような結果を招いたら、あなたは責任を取れるでしょうか、最終的にすべてが師父に向けられて、師父に不必要な迷惑をかけることになります。
9、法難の原因と業力の転化について
なぜ修煉を始めたのか、なぜこの団体に残るのか、この団体の中で自分は良い役割を果たしたか、それとも悪い役割を果たしたのかを、修煉者としてみんな自分に問いかける必要があると思います。
法輪大法の修煉において心性を高めることは業力を消滅させる鍵です。そこで、巨大な業力に直面して、弟子全体として心性を修めることにもっと力を入れるべきではないでしょうか。事があると外に向けて原因を探すのを止めましょう。外部のせいにしても業力は消えず、せいぜい表面の問題を一時的に抑え込ませるだけで、次回はもっと激しく襲ってくるか、或いは別の形に変わって破壊します。
多くを語りましたが、根本的なことは毎日心を落ち着けて法を学ぶことです。本当に心を落ち着けて学法することができれば、きっと自分の心性が日に日に高まっていくのを実感できるでしょう。
法を師としてすべての答えを法の中から見つけましょう。そうすることで、徐々に法の中から見つかる答えが増えて、自分も徐々に法の中に溶け込んでいると実感できます。
世の中に才能豊かな人、善良な人、正直な人がたくさんいますが、彼らには法輪大法を修煉する縁を持っているとは限りません。私たち大法弟子にしか「師を助け、法を正す」機会がありません。これは私たちが特別に得た恩恵なので、互いに注意喚起し合い、これからの道を共にしっかり歩まないといけません。