神韻公演の活動を通して衆生を救い、同時に自分を高める(二)
文/日本の大法弟子
(明慧日本)
全体に協調し、自己を正に帰する
全体の協調をとるために、私たちは毎週月曜日の夕方に全体で法を学び、交流し、切磋琢磨していました。神韻の公演を成功させるためには、まず自分達の修煉がよくできていなければなりません。皆が心を開いて内に向かって執着心を探しました。ある同修は「同修との間に隔たりがある」と言い、他の同修は「神韻の活動を第一に考えていなかった」などの不足を率直に話していました。そして皆は神韻の活動に全力を投じ、項目ごとの協調人は責任を持って先頭に立ち、根気よく最後までやり遂げました。
神韻公演を準備する前から、私は協調人の仕事を積極的に引き受けていました。ある日、1人の同修が私に「交流するときのあなたの話す態度はよくない」と指摘しました。これを聞いた私は納得しなかったのです。そして、次回の交流の時、ある同修が突然司会を務め始め、私はそこに入る余地がなかったのです。しかもその後、毎回の交流は同じことの繰り返しでした。私はすぐ悟りました。修煉の道において偶然はなく、これはきっと自分を高める機会なので、このチャンスを逃してはならず、自分を昇華させなくてはなりません。
私は内に向かって探した結果、自分の心の奥深くに協調人になったという喜びと優越感がありました。自分の欠点を人に指摘されたくない心、人を許さない心、日本語の会話能力を顕示する心、人の機嫌を損ねたくなく良く思われたい心、自己保身の心などの執着心を見つけました。自分の執着心を見つけ出し、それをなくす努力によって、その後はその同修が司会をしても、私は怨みがなく、悔しい思いもなかったのです。穏やかな気持ちでその同修の話を分析し、道理があるかどうか、法に適しているかどうかを積極的に考えました。
このことを通して、自分は協調人として時には焦りましたが、焦れば物事を行う時に常人のように仕事をする心が強くなり、そうすれば法から離脱し、人心で行うことになり効果も良くないと悟りました。ですから、そのときから焦らないようにと自分に言い聞かせました。掘り出した執着心を取り除き、心は常に法に溶け込むことに重点を置きました。
私の心性の向上とともに、状況が一変しました。私に代わって司会をやっていた同修は話し方が落ち着いてきて、その後よいアイディアを提案し、積極的にさまざまな仕事を引き受けるようになりました。
協調人の仕事を引き受けてから今まで、私は法理に導かれて昇華してきたと感じました。まず、自分の心が広くなり、物事に遭遇した際、慌てることなく冷静に対処できるようになり、トラブルに出会ったときは内に向けて探すこともできるようになりました。自分が昇華したことで私たちの修煉環境も円融し、全体の協調も良くなりました。
この修煉の道で実際に悟ったことは、協調の仕事をよりよく行うことができるようにするためには、まず自分自身を正に帰すことで、こうすれば同修との隔たりをなくし、自分とそして皆が法に溶け込むのです。
(続く)
(2009年アジア法輪大法修煉体験発表会)
2009年12月27日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/2/213646.html)
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