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九死に一生、迫害された女性が身体障害者に(二)(写真)

(明慧日本)

  15日間 暴行される

  手錠を外された翌日の2009年3月6日、警官は麻薬常用者の2人に私を監視させました。話によるとこの2人は法輪功修煉者を迫害する時、誰よりも残忍でした。夜になって雪が降り始めました。2人は私の服を脱がせ、肌着と労働服だけにして、警官の指示だと言って窓を開けました。脱がせないとその2人は服役期間を延長されるのです。2人は私を30cmのレンガの上に立たせました。壁に寄ってはならず、両手をズボンにつけて直立の姿勢を強要しました(その後1カ月立たされた)。それから私の頭、背中、胸部、乳房、陰部を蹴飛ばして拳で殴打し、疲れると休んでからまた殴打しました。1人は私の髪の毛を引っ張り靴で私の腕、顔を殴り、ホウキで頭を殴り私の顔にタンを吐きました。私はこのように一晩中、虐待されて肋骨が折れたような激痛が走りました。

  それから半月間、私は毎日虐待されました。ご飯を食べさせず、数日間隔で食べさせてもらいましたが記憶がありません。食べさせる時は、饅頭でトイレの床を拭いて汚してから私に食べさせました。また寝かせず、立つことができないと頭を壁や床にぶつけました。気を失うとどれだけ殴られたか分かりませんが全身に痛みが走りました。水も飲ませず、私が気を失うと水をかけて目を覚まさせ、また魔法瓶のお湯をかけました。私は「水をかけずに飲ませて下さい」と要求したら飲ませてくれましたが、蓋にはタンが入っていたのです。しかし、その後は水も飲ませてくれませんでした。洗面も3カ月間できず、顔、首、体が黒くなったのです。流れ出た涙で目を開けることもできなくなり、歯が厚くなった感じがしました。トイレに行くことも許されず、半月たった時、私はもう我慢できなくなり、トイレに行きたいと要求しましたが、監視役の受刑者は私をさらにひどく殴り、6時間後にトイレに行かせてくれましたが、トイレに行った時はなかなか便が出ず、40数日便が出ない時もありました。

  同室の受刑者の話によると、私が気を失った後、麻薬常用者は私を40回以上踏みつけたそうです。その間、私はほとんど毎日、昏睡状態で全身濡れていました。頭と上半身は水をかけられて濡れたのですが、下半身はトイレに行かせてくれなかったため尿で濡れていました。ほかの人の話によると、当時の私の身体は結露していたそうです。私が昏睡状態になり、水をかけても目が覚めない時、麻薬常用者は私の頭を自分の足元に押して、私の頭と背中を踏みつけ、セーターをあむ針で私の頭を刺し、右耳前の軟骨に刺した時、針が抜き取れなくなったことで恐怖を感じて泣き出したそうです。背中も針に刺されて二つの溝ができ、全身が傷だらけになり、顔は青紫色になり、顔から血が流れて衣服は血だらけになりました。

  ある日、私は倒れたまま自分で起き上がることができなくなり、2人の受刑者は大喜びしました。毎回私が気を失うと、警官は2人に奨励として餅を買ってやったのです。ある日、私を殴る前に警官は2人に焼き鳥を与えて奨励しました。

  暴行以外の迫害

  暴行のほか、ご飯を食べさせず、トイレに行かせない以外に、私の冬着は受刑者と警官に持って行かれたので、雪が降る日に一枚しかありませんでした。ほかに精神的に侮辱され、孤立させられました。警官の指示に従わず私を殴らない人は警官からの罰を受けました。私に同情した人は刑を加えられ、私をひどく殴れば殴るほど警官から評価されて、さらに減刑されました。私をひどく虐待した受刑者はみな減刑されて早く釈放されたのです。

  30日の拷問

  夫は私のことを心配しましたが、中共のいわゆる「静かに」転向させるやり方を信じていたのです。夫は毎日、2大隊の副隊長・趙麗麗に電話していましたが、私への虐待を労働教養所は完全に隠していました。

  2009年7月ごろ、警官は私をトイレから大隊長事務室に移動させました。ここには監視カメラが設置されておらず、私にご飯を食べさせました。今考えると私に栄養をつけさせて次の暴行をするための準備だったのでしょう。監視役の受刑者の王倩さんは、監視中に私を殴らず自分の食べ物を私に分けてくれました。警官は怒って週間の評価欄に「法輪功修煉者に優しくすると自分にとって不利になるぞ」と書いたのです。そこで王さんは仕方なく私を殴り始めました。その前の3カ月間で王さんは私を殴ったことがなく、人がいない時「あなたに優しくして、殴らないことを警官に言わないで下さい」と私に言いました。

  7月中旬から8月中旬まで、私は死ぬほど辛い1カ月を過ごしました。この期間、私を虐待した受刑者は強盗犯と詐欺犯でした。最初の3日間は飲食をさせず、それから1カ月は毎日饅頭1個あるいはお粥一口しかくれなかったのです。この30日間が終わる頃、便が出にくくとても大変でした。猛暑の中でも毎日お水を2回だけで、1口しか飲ませてくれなかったのです。最初の4日は24時間寝ることを許されず、次の6、7日は毎日1時間半(2時半〜4時)、最後の10日間は2時間(2時〜4時)しか寝られませんでした。それ以外の時間は目を閉じると殴られ、まぶたが動いても殴られ、目を大きく開けるように強要されました。

 (続く)

  2010年9月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/11/228201.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/8/20/119384.html

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