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主動的に常人社会に汚染されないように


文/中国の大法弟子

(明慧日本)明慧ネットに掲載された『常人の雑誌を見ることについて』という文章を見た後、深く同感しました。去年のある時期、頭がいつも張っていて、発正念と学法するときは特に強く感じました。これを取り除こうと発正念するときは少し痛みが和らぎます。張っていた部分がだんだん小さく感じ、最後に頭の左のある部分にまで小さくなりましたが、徹底的に取り除くことができませんでした。仕方なくそのまま放置しました。会社で新聞やネット記事を見る時間が長くなると、頭の痛みが増し、休日に家にいるときは少し良くなることにある日突然気づきました。新聞やネット記事、雑誌に執着し、それらの良くない物に汚染されている原因で頭が痛くなるという事を悟りました。一週間 耐えて見ませんでした。状況はただちに良くなりました。しかし、厳しく自分を律していませんでしたので、止めたらまた見て、見たらまた止めるという状態が一年続きました。この出来事で私は次のようなことを悟りました。

 新聞、雑誌、テレビなど常人の物を見ないだけではなく、常人社会に接するとき心が動じず、常人社会に汚染されることから目覚めるべきです。以前に興味を持っていた常人の話題、常人の活動を主動的に回避し、まして追究してはなりません。求めることは汚染されることです。無意識に見たことに対しても正念を持って対処すべきです。もし、自分が動揺したら内へ向かって探すべきです。一般の常人の事に対してできるだけ心を動じないようにすべきです。

 できるだけ常人が心で考えていることを探りません。私は比較的に明快な人で、簡単に常人の考えていることを見抜けます。しかし、これは良くないことです。師父は次のようにおっしゃいました。「如来佛は牛と馬の考えまで知ることができますが、如来佛は決してそれらの考えに陥って物事を考えないのです」(『二〇〇四年米国西部法会での説法』) 常人の考えていることを探ることはすでに常人の中にいるのと同じで、すでに汚染されています。「心在らざれば」(『洪吟』「道中」)に達していません。

 師父は次のようにおっしゃいました。「しかし常人が社会の中で形成した物は非常に良い物はほとんどなく、これらの物が人体に入ってしまえば人を左右してしまいます。何を見たかは問題ではなく、見たくなければ見なければよいと言われていますが、そうではありません。いったん見てしまえば、中に入ってきてしまいます。なぜならば、いかなる物も他の空間では分体できます。見る時間が長いほど入ってくる物も多くなります。テレビ、パソコン、何であれ見ると中に入ってきます。人間は脳の中、体の中にこれらの良くない物が多く入ってしまえば、あなたの行為もそれに抑制されます。あなたの話、考え方、物事に対する態度、いずれもその影響を受けます」(『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』) 動揺するものは汚染されます。私たちに対する影響は大きくありませんが、主動的に汚染され、求めることは執着です。長くなると面倒なことが起こります。ですから、修煉者は必ず警戒すべきです。主動的に常人社会に汚染されないでください。好奇心などを捨て、はっきりとして師父が要求された三つのことを行うべきです。普段、時間が空いているときなど、心の中で繰り返し発正念すれば、常人社会の汚染を排斥することに効果があります。

 自分が悟ったことはまだ完全にできていません。
 
2010年09月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/22/229958.html

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