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修煉者の志を緩める安逸心


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)長い間、私は毎日、三つのことを仕事のように行ってきました。以前のように精進していないことに気付いても、その原因が分かりませんでした。私は、もし法をちょっと大目に勉強すれば、あるいは同修と交流すれば、数日間たてば一時的によくなりますが、その後、また元の木阿弥に戻ってしまいます。多くの場合は、毎日の早朝の煉功さえ続くことができなくなり、五式の功法を全部やり通すことがなかなかできないのです。真相を伝えることも、緊迫感に欠け、人と出合ったら話をするが、時には出会っても話さず、積極的に行おうとしませんでした。法の勉強も、落ち着いて学ぶことができず、法を読みながら、他の事を考えたりしていました。
 
 このような状態ではいけないと思いつつ、気持ちを切り替えたりして努力したのですが、効き目がありませんでした。途方に暮れた私は繰り返しに自問自答しました。私は一体どうしたのでしょうか?以前の精進する私はどこに消えたのでしょうか? 正念に溢れたあの頃の私はどこに消えたのでしょうか? なぜ、精進することができないのでしょうか? 
 
 原因は一体なんだろうと、自責の念に駆られた私は、耐えずに内に向けて探し始めました。すると、師父が様々な方法を通して、助けの手を差し伸べてくださいました。そして、私は夢の中で自分の長髪が、ぼさぼさしているのを見て、髪の毛を切るべきだと心の中で思いました。(中国語の『頭発』の「発」(髪の毛)の発音が「法」と同じ)目が覚めると、私は法をよく勉強しなればならないと悟りました。いままで、心を込めて法を勉強してこなかったため、すべてにおいて法の要求を満たしていませんでした。それで、効果より形式を重んじるようになったのです。
 
 その後、私は法をよく勉強するようになり、そして、自分の安逸心がどのように膨張してきたのかをはっきりと見えてきました。
 
 正法の歩みが前進するにつれて、周りの環境がますますよくなってきました。私は精進するどころか、緊迫感を少しずつ緩め始め、安逸心のもとで無責な心が生じ始めました。早く法に基づいて正さなかったため、次第に安逸心を膨張させてしまいました。
 
 その現われとして、煉功をさぼるようになったり、集団学法にも参加しなかったり、昼ねもするようになりました。誰に向かっても真相を伝えることができると思っても、実行せず、何事に対しても責任感に欠けていました。こうして安逸心の元で無責任の心が生まれ、そのうえ、他の執着も強くなりました。
 
 以前、私はテレビをほとんど見なかったのです。見ていても番組の内容を受け入れようとせず、すぐ飽きてしまう状態でした。しかし、最近は無責任の心に動かされるまま、家族が見始めると、自分もついつい見てしまい、最後は、だんだんとテレビから離れなくなり、執着し始めました。その結果、法を勉強するときも、発正念のときも集中できなくなったのです。
 
 さらに、夫婦の間の色欲に執着し始めました。取り除くどころか気にも留めませんでした。師父が法の中で何度も、色欲と性欲が人間の執着心であるため、全部取り除くべきだと仰いました。修煉の当初、30歳未満の私はこの点について特に注意を払って修めていました。しかし、いまは、安逸心に左右されるまま執着し始め、その挙句、修煉の志も薄れていきました。
 
 修煉に怠けていることは安逸心がもたらした結果だと気付いても、直ぐ取り除くことができませんでした。私は正念を強くすれば、状態が少しよくなるが、緩めばまた元に戻ります。その繰り返しにとても苦しんでいました。
 
 師父が『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』の中で、次ぎのように説かれました。「人間の頭に注ぎ込まれたものは、そこに存在するようになります。人間には記憶があるのです。記憶と言っても、観念のようなものだと言われていますが、実は実在する物質です。人が話をするとき、相手があなたに何かの道理を述べているとき、あるいはあなたを説得しようとするとき、話されたことは強い勢いであなたの頭に注ぎ込まれ、本当にあなたに物を投げています」
 
 「私は口ばかり達者で実際に行動しない人を好まず、ずる賢い人も好きではありません。私は純朴で足が地に着いた人が好きです。皆さんに長年の修煉を通じて、正しい面で知恵を増やしてほしいのですが、処世術、人となることに関して多く収穫してほしくありません」
 
 これを読んで、私は無責任の状態からはっと目が覚めました。そして、安逸心が完全に取り除くことができなかった原因も分かりました。衆生を救い済度するプロジェクトへの参加が段々と減っていくことや、よく同修に助言するが実際に行動に出ないのが原因でした。また、実際に行うとしても着実に行おうとしなかったこともその原因の一つでした。
 
 自分の次元が落ちていくだけでなく、周りの同修にも影響を与え、全員に怠ける現象が続出しました。同修たちは以前のように積極的に真相を伝えたり、三退を勧めたりしなくなりました。それを目にしても、私はまた他人事のように捉え、内に向けて探そうとしなかったのです。
 
 しかし、法をよく勉強するにつれて、その原因を悟った私は、心の底から「安逸心があってはならない。安逸心が真の私ではない。修煉の志を緩める魔である。これから私は純朴で着実に修煉する大法弟子となる」と一念を生じると、瞬時、正念を取り戻せました。
 
 いまだに、安逸心に左右されて精進できない同修がもしいれば、その危険性を早く認識して取り除き、真の自分を取り戻して正々堂々と責任を果たすようにしましょう。 
 
2010年11月28日


(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/10/28/121078.html
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