日本明慧
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人の善し悪しを判断する基準について 文/中国の大法弟子 (明慧日本)ある人をとても良い人だと言っている同修がいます。私は今まで、このような称賛の言葉をどのぐらい聞いてきたのかわかりません。例えば、ある高齢の同修は「私の息子はとても優しいです」といつも口にしています。しかし、彼女の息子は彼女以外の人に対しては、怒りっぽく、男女の関係にも無頓着です。また、ある同修は「会社の上司はとても良い人で、社員を叱らず、給料も決まった日にきちんと払ってくれます」と言っています。私も以前「会社の上司は良い人で、社員の昼食を無料にし、決まった日に給料を払ってくれます」といつも口にしていました。しかしその一方で、上司は利益のためには手段を選ばない人でした。このような時、私たちが善悪を量る基準は、私たちに対して良くしてくれたから、あるいは自分の観念に符合しているからなのです。しかし、このような人が本当に良い人であるとは限りません。 |
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