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人の善し悪しを判断する基準について


文/中国の大法弟子

(明慧日本)ある人をとても良い人だと言っている同修がいます。私は今まで、このような称賛の言葉をどのぐらい聞いてきたのかわかりません。例えば、ある高齢の同修は「私の息子はとても優しいです」といつも口にしています。しかし、彼女の息子は彼女以外の人に対しては、怒りっぽく、男女の関係にも無頓着です。また、ある同修は「会社の上司はとても良い人で、社員を叱らず、給料も決まった日にきちんと払ってくれます」と言っています。私も以前「会社の上司は良い人で、社員の昼食を無料にし、決まった日に給料を払ってくれます」といつも口にしていました。しかしその一方で、上司は利益のためには手段を選ばない人でした。このような時、私たちが善悪を量る基準は、私たちに対して良くしてくれたから、あるいは自分の観念に符合しているからなのです。しかし、このような人が本当に良い人であるとは限りません。
 
 人の善し悪しについて、一部の同修は、はっきりと判断することができません。ある人のことを大法に対して正義感がある人だと判断し、親しく接している同修がいます。しかしこのような場合、損をしてしまう例も少なくありません。
 
  師父は「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」(『転法輪』)だと言われました。常人は、古代の仁、儀、礼、智、信など、常人の基準で人の善し悪しを判断しています。師父は法理から、現在の常人が良い人だとは言っておられません。現在の人類の道徳基準は既に堕落しており、悪に満ちた人類を良いと言うことができるでしょうか? 
 
  また、一部の同修の欠点が現れた際、「常人以下だ」などと言ってその同修を排斥する修煉者がいます。もちろん、大法弟子の中にいて、法をかき乱す人の場合は別です。しかし、大法弟子は真・善・忍に同化し、本当に良い人であり、偉大な生命なのです。常人の道徳基準は大法弟子と比べられるものではありません。大法弟子は常人から動揺させられることはなく、情に動かされません。私たちは本当の正邪をはっきりと判断することができます。ですから、私達は同修との縁を大切にすることができます。口を修める事に注意し、間違った認識を正してください。
 
 個人の意見です。間違っている所があれば、指摘をお願いします。
 
2011年05月22日

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