あなたは自分の責任を果たせましたか
(明慧日本)この前、私は些細な事で夫と言い争いました。しかし、夫はいつもひと言多いのです。「あなたはどうして少しも責任を負わないの?」「あなたは一番責任感がない。」「あなたはなぜこんなに無責任?」と。最初私もあまり気にかけませんでした。修煉者は「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」ものだと思うと,また自分で自分を「私がまだ心性の関を乗り越えた」と慰め、自分でとても得意になりました。
ある日、朝の煉功の時、私は圧力鍋でご飯を炊きました。排気弁の位置を確認せず、蓋をしてそのまましたため、私達が第5式の静功をする時、圧力鍋が「プー、プー、プー」と蒸気を噴き出し、あの音はすぐにでも鍋が爆発しそうに聞こえて、私達の入定を妨害しました。夫は直ちに行って調整しました。その後、朝6時の発正念が終わった後、私はまた夫に言われると思いました。そして思った通り「あなたはどうしたの、何事をする時少しも責任感がない。これまで学校でクラスの担任をどのようにしてやってきたのかが不思議だ。あなたのような人がもし工場にいたら、とっくに安全事故で除名されたでしょう。まったく救いようがないね……」と。
私は夫の非難を聞いて、突然驚きました。これは師父が夫の口を借りて何度も私を悟らせているのではありませんか? 今ごろ夫は私が責任感がないと言ったのではありませんか。きっとどこかに問題があって、師父が夫の口を借りて私を悟らせようとしているのに、私は悟らないだけではなく、かえってこれが心性の関だと誤解し、夫がどうして何度もこのような話をするのか考えませんでした。修煉者の身に起きたすべてのことは決して偶然ではないので、私は自分を探すべきだと気づきました。師父の説法『ヨーロッパ法会へ』を学ぶ時、師父はおっしゃいました。「大法弟子には責任があるもので、何があってもこの世に来たときの誓願を果たさなければならず、あなたは当初、神の命と引き換えに、今日この宇宙での最も偉大な生命である大法弟子になれたのです。」
私は自分に問いかけました。私はこの宇宙の最も偉大な大法弟子なのでしょうか? 私は責任感があるのでしょうか? 私は自分がした事に対して責任を果たせたのでしょうか? 家族に対して責任を果たせたのでしょうか? 身の回りの親戚と友達に対して責任を果たせたのでしょうか? 自分の世界の衆生に対して責任果たせたのでしょうか? 師父を手伝って法を正すことに対して責任を果たせたのでしょうか? このように聞いてみたら、一連の問題がすべて責任感と関係がありました。なるほど師父は夫の口を借りて何度も自分を悟らせたのです。
再び自分に問いかけてみました。このごろ学法に心を込めましたか? 発正念は純粋な状態でできたのでしょうか? 真相を伝えて人を救うことに力を入れましたか? 人心をどのように取り除きましたか……? あ、探してない時は知りませんでしたが、こう分析したらたくさんの問題を見つけました。学法をいい加減にし、法を読む量ばかり追求し、質を軽視し、時には目は本を見ていても、心の中では本を読んでから何をするかを考えていました。発正念する時あれこれを考えて、甚だしきに至っては、毎日4回の発正念を実行することができない時があり、特に夜12時は、多くの場合は形式的に行いました。
問題を探し出し、問題点である学法の不足、学法の質のなさに気づきましたので、法を暗記しましょう! 自分のすべての細胞に大法を充実させ、常に大法の中に溶け入みます。学法の状態が良くなるにつれて、いくつかの頑固な人心がいつの間にかゆっくり消えてなくなり、体が一層一層と殻を脱いだように、ますます軽くなりました。もっと重要なのはいつも自分が修煉者だと自覚することができ、いかなる事に出会ってもすべて法に照らし合わせて自分を正すことができました。もちろん無理強いに関を乗り越える時もありますが、また一部の人心は徹底的に取除かれていませんが、本当に学法のすばらしさを体験することができました。
2011年05月30日
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