日本明慧
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楽をしたい気持ちを放下する

(明慧日本)病業がある同修と交流する中で、私はある事に気づきました。彼らはいつも法を得た当初の、師父が身体を浄化して下さった時の、身体が楽で清々しい感覚を忘れられずにいます。そのため病気で辛い時、彼らは師父に体の調整して頂いた時の心地良い状態を探し求めます。そして集中して、学法や煉功など三つの事を熱心に行いますが、大きな変化は現れてきません。そして、心の中ではどうして心地良くならないのだろうかと困惑しています。彼らはまるで「心地良さ」を求めて、私達が行うべき「三つの事」を、薬や病気の治療法のように用いてしまっているのです。
 
 あるガンを患った同修は「私が大法の為に行ってきた事は少なくありません。北京で入院し治療を受けている時でさえ、私は大法の為にやるべき事を怠りませんでした。道端で休んでいる時も、チョークで『法輪大法は素晴らしい』と書き続けました。同修が資料を製作していると聞けば、千元、万元と寄付してきました。師父はなぜ、私にこの病気を得させたのでしょうか?」と言っていました。彼は、真に法理を理解できずに、責める心を持ちながらこの世を去りました。最近、同修達は他の同修が関を乗り越えるのが難しい時、善解(注:良い方へ解決すること)出来るよう手助けをしています。しかし私は「その善解の目的はなんだろうか。なぜ、旧勢力に隙を与える事を恐れるのか」と考えてみました。私は自分の身体の調子が悪い時、まず内に向かって探してみました。内に向かって探す事や善解する目的は、心地良さを求めるためだろうか、と細かく分析してみると、あることに気づきました。やはりできるだけ早く、身体の具合が悪いのを何とか治してしまいたいという気持ちが働いているのです。病気について、これは虚像だと自分に言い聞かせながらも、本当は病気になるのが怖く、死ぬのが怖いという心が働いているのです。善解に対してどんなに高い認識を持っていても、目的は、やはり心地良さを求めることです。私は修煉する人が心地良さを求める問題について、ある道家の修行物語を思い出しました。
 
 ある道家の師は、弟子達を率いて、ロウ山の上で修行していました。師は、弟子達に1粒ずつ、ヒョウタンの種を与えました。そして師は、弟子達に、どのように植えるかを教えてあげました。師の言う通りにすれば、結んだヒョウタンは宝物になり、欲しい物は何でも手に入ります。しかし、毎日ヒョウタンの苗に3滴の「中指の血」を必ずやらなければなりません。ある弟子は、後山で用を足している時、小便を掛けたら「紅土の水」が流れ、この水が「中指の血」に似ている事に気づきました。そこで彼は、ふといい考えが浮かび、紅土を掘って、家に持って帰りました。そして彼は、紅土から流れ出る「中指の血」に似た水を作り、必要に備えました。その日から彼は、義兄弟達が大変そうに、ヒョウタンの苗に「中指の血」をやっている様子を見て、心の中でほくそ笑んでいました。なぜなら、自分の中指は、二度と痛くなる心配がありません。3年後、ヒョウタンは成長し、師は宝物を手に入れる為の呪文を弟子達に教えました。弟子達は呪文を唱えて、素晴らしい宝物に変わった品々を、それぞれ師に捧げました。大きなヒョウタンを抱えたこの弟子の番になり、彼も自信満々に呪文を唱えました。しかしヒョウタンは全く変化しません。師は彼にこう言いました。「あなたは何も言わなくてよい。この私が何も知らないとでも思っているのですか。後山の紅土はあなたに掘り出されて、大きな穴が空いてしまいました。あなたは心地良さを求めて、自分の中指が痛くないようにするために、紅土の水を中指の血として使っていましたね。中指の血は、心が通じるのです。私はあなた達に、心から修行するようにと教えたのですよ」師は話し終えると、成就した弟子達を連れて、空に昇っていってしまいました。心地良さを求めた彼は後悔のあまり、大きなヒョウタンを抱きしめながら、自分を嘆くことしかできませんでした。
 
 私は自分に尋ねました。自分が心地良さを求める考え方は、紅土の水を「中指の血」と偽り、ヒョウタンに注ぐ事と、何が違うのでしょうか。修行する人は、心地良さを求めて、楽をすることを選択してしまえば、最後には泣きたくても涙はありません。ただ後悔して自分を嘆くほかないのです。私の目標は多くの衆生を伴って師父に従い、元の世界に帰る事です!
 
 今、私は分かりました。私は心の底から、私の債主に向けて一念を発しました。「私は前生、あなたに何を借りているかに関わらず、たとえ命だとしても、私はあなたにすべてお返しします。しかし私は今、李洪志師父の弟子です。あなたはまず、私の師父に要求を仰って下さい。 私は、師父が按排して下さったものに従います。たとえ命を返すことであろうと、弟子として決して不平不満はありません」このように私が決意を固めた時、私の身体の悪かった所が全て良くなりました。私は涙が止まりませんでした。正に「修は己にありて、功は師にあり」(転法輪)と実感しました。 
 
2011年06月07日

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