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正念で行動を主導するべき


文/中国の大法弟子

(明慧日本)ある日の朝、私は師父の写真の前で線香を上げている時に、「弟子はどんな心もいりません。師父を敬い、大法を敬い、大法を固く修め、師に手伝って法を正し、衆生を救い済度する心しかいりません」と一念を心より発しました。昼ごろに私の携帯電話にメールがきました。そのメールには「あなたの携帯電話番号は賞に当たりました……」と書かれていました。しかも賞品を受け取る際の連絡先も書かれていて、連続して2通も受信しました。私はその電話番号を覚えませんでしたが、少し心が動いてしまいました。私はすぐに、これは人の利益を求める心であることを意識しました。師父の説法、「あるいは誰かあなたに今日の宝くじの一等賞は何番で、それを引き当てるよう教えてくれるとか、およそこのように常人の社会であなたに何か得をさせようとするものはすべて魔であり、生命の危険がある時脱出方法を教えてくれるような場合は別として、それ以外はみなそうです」(『転法輪』)が、私の脳裏に浮かびました。私はこれらのものをいらないと意識すると、すぐに心が落ち着いて、携帯電話を閉じることができました。
 
 「何かの問題が起きたら、大法で量り、大法で自分の心を支配し、大法の要求に合うことを行い、大法と背離することを断固としてしない」私は、これが正念を持って行動を主導することだと思っています。正念を持ち、正しく行うことさえできれば、大法に同化することができます。私は大法の弟子なので、毎日、日常生活の中で遇うすべての事、人と人の付き合いなどは大法をもって量らなければなりません。
 
 『明慧週刊』に掲載されている『精進について』の文章の中に、このような話があります。すなわち「大法弟子には『正念を持っているが、正しい行いができない』という問題は存在しません。正しい行いができないのは、正念がないからで、正念を発すると警戒心を高め、強大な正念で自分を主導すべきです。正念と正しい行いは一体関係です。なぜなら、『物質と精神は同一のものです』(『転法輪』)」と書かれています。
 
 いつも正念で自分を主導し、決して人の喜怒哀楽、執着で量るのではなく、大法をもって量るようにし、法をよく勉強し、心性をしっかり守って、自分が修煉者であることを忘れず、正念の樹立と正しい行いが本当にできれば、これは修めることだと私は思います。いかなることも法の要求に従ってやり遂げて、これこそが実修です。実修することだけが精進することにつながるのです。
 
 私たち、法を正すときの大法弟子は、共に正念を持って行動し、精進、実修をやり遂げるようにしましょう。
 
2011年06月20日

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