『爆竹を鳴らして祝おう』について
文/中国の大法弟子
(明慧日本)2011年7月6日に発表された『爆竹を鳴らして祝おう』という文章を読んで、私が感じたことを同修の皆さんとと交流したいと思います。
昨日、私は動態ネットから、江沢民についての情報を知りました。この時、私は「動揺してはならない」と思いました。そしてその後、明慧ネットを開き、『爆竹を鳴らして祝おう』という文章を読みました。江沢民が確実に死亡したとの記述はありませんでしたが、この情報が普通のこととは思えません。
常人の理から言うと、長年、江沢民は大衆の支持を得ておらず、彼の死はほとんどの国民が歓迎していることです。「すべての中国人が爆竹を鳴らして、この邪悪な政治ごろつきの滅亡を祝おう」(『爆竹を鳴らして祝おう』)江沢民という許すべからざる極悪非道なものは、地獄にたどり着く道のりにおいて、最後まで報いを受けるべきです。また、これは1つの転機でもあります。まだ悪事を働いている悪人たちに、悪事を働いた人の末路を見せることは、警告にもなります。
同時に法理に基づいて言うと、江沢民がやっと今死亡の時を迎えることは、大法弟子にとって、自らの不足によるものです。師父は2002年3月、『北米での巡回説法』の中で「皆さんがあの邪悪な首魁に近いところで、それに向かって正念を発すれば、邪悪による保護は間に合わなくなり、それは気絶してしまいます。なぜなら、彼の人間としてのものは既に全部なくなり、この皮は完全に邪悪生命によって支えられています。正念を発することは、彼らを消滅していることです。もし補給が間に合わなくなったら、それは死んでしまいます」とおっしゃいました。今日、私たちは必ず、全力で江沢民を支えるすべての邪悪生命を解体しましょう。
江沢民が死亡の時を迎えることは、正法の進展が本当に最後まで来ているということです。大法弟子として、どのぐらい私たちの使命を果たせましたか? ですから、私たちは喜んでいる場合ではなく、たくさん学法し、多くの人を救うしかありません。精進しましょう!
2011年07月11日
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